第58章 沈黙の間合い
銃声が響いた直後、港の空気が凍りついた。
竜司は自分の胸元に熱い衝撃を感じたが、同時に九条の身体もぐらりと揺れていた。
互いの呼吸音だけが、波音と混ざって夜の港に漂う。
九条の右手から銃が滑り落ち、アスファルトを転がる金属音がやけに響いた。
彼は口の端から血を滲ませながら、ゆっくりと膝をついた。
「……まだ、終わらねえ……」
低く、掠れた声が耳に刺さる。
竜司は足元がふらつき、影山の肩にもたれかかるように立っていた。
脇腹の古傷の痛みと、新たに受けた銃弾の衝撃が混ざり、視界が霞む。
それでも彼は銃口を九条に向けたまま、最後の一歩を踏み出そうとした――その瞬間。
港の奥から、耳をつんざくようなタイヤのスキール音が響いた。
黒いSUVが猛スピードで防波堤に乗り上げ、ヘッドライトが竜司と九条を同時に照らす。
SUVの助手席から降り立ったのは、革のロングコートに身を包んだ女だった。
艶やかな黒髪を一つに束ね、鋭い眼差しを竜司たちに向ける。
「……探すのに、随分時間がかかったわ」
その声を聞いた瞬間、沙希の表情が驚きで固まった。
「美咲……!」
沙希が呟く。
それは沙希のかつての同僚であり、三年前に忽然と姿を消した女――美咲だった。
美咲は九条に近づくと、まるで旧知の友に再会したかのように微笑んだ。
「立てる?」
九条は息を荒げながらも、彼女の手を取った。
その仕草は敵同士というより、何かの同盟関係を思わせた。
竜司は眉をひそめ、影山に低く囁く。
「……あの女、九条と繋がってやがる」
影山の視線も険しくなる。
「いや……それだけじゃない。あれは警察の人間だ」
影山の言葉に、竜司の背筋に冷たいものが走った。
美咲はかつて公安部に所属していたはずだ。しかし、数年前のある事件を境に消息不明になり、死んだとまで噂されていた。
その彼女が今、九条の味方として現れたということは――裏にもっと大きな闇がある。
「さて……この場は私たちが預かるわ」
美咲は竜司に向かって笑みを浮かべた。
「竜司くん、あなたはここで倒れてもらう」
その言葉と同時に、SUVの後部から黒装束の男たちが降り立ち、一斉に銃を構えた。
数はおよそ八人。港の黒服とは装備も立ち振る舞いも異なり、軍隊のような統率を感じさせた。
影山が即座に反応し、竜司と沙希を庇うように前に出る。
「撃つ気か……?」
美咲は肩をすくめ、後方の部下に合図した。
その瞬間、銃口の先から閃光が走る――しかし弾丸は竜司たちには届かなかった。
頭上で何かが破裂し、白い煙が辺りを覆ったのだ。
煙幕の中から低い声が響く。
「動くな……全員その場で武器を捨てろ」
竜司はその声を聞き、驚きで目を見開いた。
――間違いない。あの声は、二年前に死んだはずの佐久間だった。
煙の向こうから現れた男は、防弾ベストに黒いタクティカルギアをまとい、銃を構えていた。
九条も、美咲も、一瞬だけ動きを止める。
「……生きていたのか、佐久間」
九条の声には、怒りよりもむしろ動揺が混じっていた。
佐久間は無言で九条を見据え、その銃口をゆっくりと持ち上げた。
竜司の耳に、心臓の鼓動がやけに大きく響く。
状況は一瞬で逆転するかもしれない――だが、誰が味方で誰が敵かはもうわからなかった。
次の瞬間、佐久間の引き金が引かれた。
銃声が夜の港を切り裂き、誰かの身体が崩れ落ちる――。




