第49章 血の条件
倉庫の薄暗い空気の中、佐伯の声だけが重く響いた。
「お前らに頼みたいのは簡単なことだ。ただし、失敗すれば生きて帰れない」
竜司と拓真は、言葉を失ったまま互いに視線を交わす。
この男の“簡単”ほど信用できないものはないと、本能が告げていた。
佐伯はコートの内ポケットから一枚の写真を取り出した。
そこに写っていたのは、まだ二十代前半と思しき若い男――だが、その眼は氷のように冷たく、頬には浅い傷跡が一本走っていた。
「こいつの名前は堂島蓮。半グレ《鬼蜂》の幹部だ。最近は薬の流通ルートを牛耳っていてな……俺の邪魔をしてくる」
竜司が眉をひそめた。
「そいつを……殺せってことか?」
佐伯はゆっくり首を横に振った。
「殺すな。生きたまま、俺のところに連れて来い」
拓真が低く問う。
「なぜ俺たちに?」
「堂島は俺の顔を知ってる。俺が近づけば逃げるか、即座に撃ってくる。だが、お前らは高校生だ。油断する可能性が高い」
佐伯の言葉は冷静で、そして残酷だった。
「ついでに言えば……あいつはお前らの甲子園の夢を壊そうとしている」
その一言に、竜司の拳が震えた。
「どういう意味だ?」
「堂島は、ある高校の野球部に違法薬物をばら撒いている。それも、お前らのブロックで一番の強豪校だ」
拓真は息を呑んだ。
もしそれが事実なら――優勝候補は失格となり、彼らの前に大きな道が開けるかもしれない。
だが同時に、野球という夢が裏社会の策略に絡め取られている現実が、胸を締めつけた。
「どうする?」佐伯が試すような目で二人を見る。
竜司は一瞬だけ躊躇したが、やがて頷いた。
「……やる。だが、終わったら証拠は必ず返せ」
佐伯はニヤリと笑う。
「約束しよう。ただし、お前らが生きて戻れたらな」
作戦はその場で練られた。
堂島は今夜、港の倉庫で密売の取引を行う。
そのタイミングで二人が侵入し、不意を突いて拉致する――単純だが、一歩間違えれば即座に殺される危険な計画だ。
夕刻。
港はオレンジ色の夕陽に照らされ、長く伸びた影が不気味に揺れていた。
二人は作業服に身を包み、配送業者を装って倉庫街へと足を踏み入れる。
「拓真……もし俺たちが失敗したら――」
竜司の言葉を、拓真が遮った。
「そんなこと言うな。絶対にやり遂げる」
倉庫の扉がわずかに開き、中から低い笑い声と段ボールを開ける音が漏れてくる。
覗き込むと、堂島がタバコを咥え、数人の仲間と粉末の詰まった小袋を検品していた。
竜司は呼吸を整え、拓真に合図を送る。
しかしその瞬間――背後で足音がした。
「……誰だ?」
振り返った竜司の目に映ったのは、野球部のマネージャー・沙希だった。
驚きで声を失った竜司に、沙希は小さく首を振り、囁く。
「……逃げて。あの人、罠を張ってる」
次の瞬間、倉庫の扉が勢いよく開き、堂島の部下たちが一斉に銃を構えた。
それは明らかに――佐伯の計画が漏れていた証拠だった。




