第16章 逆転の仕込み
老人の口から出た名に、源と恭平は息を呑んだ。
――山岸孝三。
全国高等学校野球連盟の幹部で、甲子園大会の運営にも深く関わっている人物だ。
「そんな大物が、なんで八百長なんかに……」恭平が呟く。
老人は薄く笑った。
「大物だからこそだ。奴は賭場と裏社会を結びつけて、試合の流れを操っている。監督や選手を金と脅しで縛り、思い通りに結果を動かす」
源は深く息を吐いた。
「じゃあ、鬼塚はその下っ端ってことか」
「下っ端……だが腕は立つ。お前らが正面から挑めば、命はない」
老人は机の引き出しから一枚の紙を取り出した。
「これが次の試合で奴らが用意している“台本”だ」
そこには、投手交代のタイミング、エラーの指示、さらにはベンチでの合図までもが細かく書き込まれていた。
恭平はそれを睨みつけた。
「ふざけんな……これ、試合じゃねぇ。ただの茶番だ」
その夜、源と恭平は竜司のアパートを訪れた。
竜司は部屋の隅で膝を抱え、何度も携帯を見ていた。
「お前ら……あの写真、見たのか」
源が頷く。
「山岸孝三だ。奴らの台本も手に入れた」
竜司の目に、一瞬だけ光が宿った。
「……なら、使える」
恭平が眉をひそめた。
「使うって、どうするつもりだ?」
竜司は低く答える。
「売るふりをして、全部ひっくり返す。試合中に奴らの台本を無効化して、逆に証拠を作る」
源は腕を組み、慎重に言葉を選んだ。
「それ、下手すりゃバレるぞ。映像も証人も揃えないと意味がない」
竜司は机の引き出しから小型カメラを取り出した。
「これをユニフォームの内側に仕込む。試合前のロッカールームからベンチまで全部録る」
計画は綿密に立てられた。
まずは鬼塚から受け取った台本通りに動き、相手を油断させる。
しかし決定的な場面――九回裏の守備で、わざと台本を破る動きを見せる。
その瞬間、黒幕側が慌てて指示を飛ばせば、それも映像に記録される。
さらに試合後、録音した音声と合わせて一気にメディアへ流す。
恭平が深く息を吐いた。
「完璧だ……ただし、成功すればの話だ」
源は竜司の肩を叩いた。
「お前の覚悟に乗る。ただ、松尾には話すな。あいつはきっと顔に出る」
試合前日。
鬼塚が再びグラウンド脇に現れ、竜司を呼び出した。
「猶予は今日までだ。やるのか、やらねぇのか」
竜司は一拍置いてから、淡々と答えた。
「……やる」
鬼塚はニヤリと笑い、ポケットから封筒を取り出した。
「いい心がけだ。明日の朝、ロッカーにこれを貼っておけ」
封筒の中には、細かく書き込まれた新しい台本が入っていた。
竜司は受け取り、静かに頭を下げた。
背を向けた鬼塚の足音が遠ざかると、竜司は台本を強く握りしめた。
――これで全員、地獄へ引きずり込む。
夜。
竜司は松尾と屋上に立っていた。
「明日……俺ら、勝てるよな」
松尾の声はかすかに震えていた。
竜司は笑みを浮かべた。
「ああ、勝つ。絶対に」
だがその笑顔の裏で、竜司の胸は張り裂けそうなほど高鳴っていた。
――勝つために、明日は嘘をつく。
――勝つために、俺は全てを晒す。




