第12章 血のマウンド
夜の港町。
鈍く濡れたアスファルトの上を、街灯が斑に照らしている。
雨上がりの匂いが鼻を刺し、遠くでは暴走族のバイク音が不穏に響いていた。
竜二は、背中にバットケースを背負い、静かに路地を歩いていた。
練習帰りの格好のままだが、目は鋭く、どこか殺気を帯びている。
その視線の先には、昨日の夜、黒塗りのワンボックスから降りてきた男――関西の半グレ組織「鷲田会」の幹部、河野の姿があった。
河野は笑っていた。
「お前ら、不良が野球やってるって噂、もう裏まで届いてんぞ」
低い声に皮肉が混ざる。
竜二は無言で立ち止まり、手をバットケースのジッパーにかけた。
「おいおい、そんな顔すんなや。別に試合の邪魔をする気はない。ただ……この前の港倉庫でのモメ事、あれは見逃せん」
河野の目が冷たく光る。
「お前ら、俺らのシマで勝手に動きすぎや。甲子園行きたいなら、まずは礼儀ってもんを知っとけや」
竜二は一歩前へ踏み出した。
「礼儀? お前らがやってるのは、ただの恐喝と薬の売りさばきだろ。俺たちは野球で勝ちたいだけだ。邪魔するなら――」
その瞬間、背後の路地から二人の男が飛び出した。
鉄パイプの鈍い光。
竜二は反射的にバットケースを開け、木製バットを握りしめた。
「……来いよ」
闇の中、金属音と怒号が交錯する。
バットがパイプを弾き、パイプがバットを削る火花。
だが、数的不利は明らかだった。
竜二の脇腹に重い衝撃が走り、膝がわずかに折れる。
河野がゆっくりと近づいてきた。
「野球はな、マウンドに立てるやつだけが勝負できる。お前、もう立てへんやろ」
河野が足を振り上げた瞬間、甲高いバイク音が割り込んだ。
「竜二ィィーーッ!」
轟音と共に現れたのは、かつての暴走族仲間・丈だった。
ハンドルを切りながら、バイクの後輪を敵の男にぶつけ、竜二を引きずるようにして逃走する。
港の外れまで走り抜け、ようやく止まったとき、竜二は息を荒げていた。
丈は振り返り、低く言った。
「お前ら、本気で甲子園目指すなら、裏の連中を甘く見るな。あいつらは試合だけじゃなく……命まで取りにくる」
竜二は唇を噛んだ。
遠く、港の灯が滲んで見える。
血の味が口の中に広がっていたが、脳裏には一つの決意だけが残った。
――必ず、甲子園に立つ。たとえ、この街の全てを敵に回しても。
だが、その背後ではすでに、鷲田会と地元ヤクザの手が野球部全員に伸び始めていた。
それは、竜二たちがまだ気づいていない、最初の包囲網にすぎなかった。




