効果的な茶番
貴族院は一週間のうち一日を休養日に充てている。休養日をどのように過ごすかは生徒によって様々だが、寮に住んでいる生徒が街に出るという選択をとることは少ない。
学院寮は集まっている生徒の身分から、厳重な警戒態勢が敷かれている。その寮から外に出るには煩雑な手続きが必要な上、必ず護衛の帯同を求められるのだ。
この段取りが面倒で、用事もないのに寮から出ようとする生徒は滅多にいない。そもそも街に出ずとも買い物は商人のほうから足を運ぶような身分なのだ。それ以外の用事のある学生などまずいない。
いるとすれば親元に何らかの用事があって戻る者か、こっそり抜け出して自由を満喫する者くらいだろう。
そしてここにも一人、平民が着るようなラフな服装をしながらまったく育ちの良さを隠せていない少年が、貴族院の敷地を脱出していた。
(思ったより簡単に出られたな。さすがは黒魔術といったところか)
サルバドルが脱出に使ったのはロベルタから習った黒魔術で、効果は黒魔法の操影と同系統のものだ。これを使えば警備兵の目をかいくぐるのは難しくない。
(これを身につけた密偵や暗殺者を阻止するのは至難の業だな)
物騒なことを考えながら、街へ向かうサルバドル。計画の時間まであまり余裕はなかった。
朝からシスネロス子爵邸に戻っていたロベルタは、一時間ばかり邸内で過ごすと屋敷を出た。こちらはちゃんと御者付きの馬車に二人の護衛を連れている。
貴族院からシスネロス邸までの距離はさして離れていない。どちらも王都の貴族街にあるからだ。そして貴族街は特に治安のいい地域でもある。馬車にせよ護衛にせよ、無駄に思える者も多いだろう。
だがこの日は違った。まだ日も高く人通りのある時間であるというのに、覆面で顔を隠した五人の男たちが剣を振りかざしてロベルタの乗る馬車を襲撃したのだ。
賊たちは何の要求もなく問答無用で襲い掛かってきた。御者を放置して二人の護衛に対し二人と三人に別れて攻撃し、三対一となった護衛があっというまに、次いで五対一になった護衛もあえなく無力化される。
だがいよいよ守る者のいなくなった馬車の扉に賊たちが手をかけ、通りすがりのご夫人が悲鳴を上げたその時、凶行の現場に駆け付けた人影があった。
「待てっ!」
凛とした声を響かせて現れたのは他でもないサルバドルだ。既に抜剣しており、駆け寄るや最も近い賊に切りかかる。
一薙ぎで一人、二突きで二人、瞬く間に三人の賊を圧倒したサルバドルは、残った賊を鋭い視線で射貫きながら声をかけた。
「あとはお前たちだけだ。降伏しろ」
賊の目的はロベルタの殺害もしくは誘拐と思われる。である以上馬車の中に侵入するか、ロベルタを引きずり出さなければならない。だがサルバドルを背後に抱えてそれを完遂するだけの力量など賊たちにはなかった。
賊たちはサルバドルを牽制しつつ既に一度倒された者たちに手を貸すと、そのままいずこかへと逃げ去った。周囲に集まった野次馬から安堵したような声が漏れる。いまさらになって街の治安を守る衛視を呼びに行かせようとする者もいた。
襲撃されたシスネロス家の馬車のほうでは、戦いに参加していなかった御者が傷ついた護衛に簡単な手当てをしている。怪我は命にかかわるほどではないようだ。
と、そこで馬車の扉が開き、中からロベルタが現れた。周囲を見回すと、サルバドルに目をとめ馬車から降りようとする。
それを見たサルバドルが手を差し出し、ロベルタはわずかに躊躇った後、その手を借りて馬車から降りた。
「危ないところを助けていただき、誠にありがとうございます。貴方は命の恩人ですわ」
両の手の指を組み合わせ、祈るような姿勢で礼を述べるロベルタ。……だが、その言葉は平坦で、あまり感情がこもっていない。
「大したことではありませんお嬢さん。間に合ってよかった」
こちらは人気劇団の舞台俳優もかくやという風情で見栄をきっている。周囲からいくつか黄色い歓声が沸き上がった。
「そのような服装をされていますが、身分あるお方とお見受けいたしました。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
ロベルタの言葉はやはり棒読みである。それもさっきよりまっすぐな棒になっていた。
「見抜かれてしまっては仕方がありません。私はサルバドル=デ=ファニアと申します。美しいお嬢さん」
観衆から今度はハッキリと歓声とどよめきがあがる。特に女性からは『あの方が……』『王族のサルバドル様よ』などというささやきがあちこちで聞こえた。この様子ではこの件が噂となって広まるのもすぐであろう。
「王族の方でいらしたのですね。知らぬこととはいえ失礼いたしました。私はロベルタ=デ=シスネロスと申します。シスネロス子爵家の者でございますわ」
回を重ねるごとに声の抑揚が擦り減っていくロベルタ。もはや鋼の棒読みである。大根役者ここに極まれり。
「貴女がシスネロス子爵家のご令嬢でしたか。見れば護衛たちも傷ついているご様子。私がお屋敷までお送りしましょう」
観衆の注意をロベルタに向けないよう、やや過剰な演技で言い募るサルバドル。背中は嫌な汗でびっしょりだ。
「重ね重ねありがとうございます。それではどうぞ馬車にお乗り下さい」
ミスリル合金の棒読みでサルバドルを馬車に誘うと、ロベルタはいそいそと馬車に乗り込んだ。後を追うようにサルバドルもまた乗り込む。すると馬車は逃げるようにその場を去っていった。
あとには怒涛の展開についていけず、呆気にとられた観客が残されるのみ。
そこにやっと衛視たちが駆けつけたが、当事者がおらず目撃者も事情がほとんどわかっていなかったため、何もできずに帰っていった。
「がんばりました」
馬車が走り出してすぐに、青白い顔でロベルタが呟く。酷い演技だったが、本人にとってはこれが精いっぱいだったのだろう。これ以上は無理だったと主張するように先んじてサルバドルに声をかけた。
「そう……なのだろうな」
疲れた顔でサルバドルが呟く。別にサルバドルにも演劇の経験があるわけではないが、ロベルタのそれに比べれば遥かにマシな自覚はある。だがロベルタを責めることはしなかった。ロベルタの様子を見ればどれほど苦手だったのかがよくわかったからだ。傀儡を使っている時は完璧な演技ができているのだが、それとこれとは何かが違うのだろう。
なぜ二人はさきほどまであのような演技を、いや茶番をしていたのか。それは噂を作るためだった。
ロベルタとサルバドルが表向きにも主従となるためには、最終的に国王とシスネロス子爵の同意が必要になる。
だがシスネロス子爵はともかく、国王がそれに同意する可能性は低い。利用価値の高いロベルタをライムンド第一王子の側近につけたがることが予想されるからだ。
もちろんシスネロス子爵が同意しない以上、ロベルタがライムンドに仕える可能性はない。しかしそうなると各方面からのロベルタへの勧誘がいつまでも続くことになるし、シスネロス子爵もそれに対応せざるを得なくなる。
結果としてシスネロス子爵の傀儡が早く損耗してしまう上に、傀儡であることが露見する可能性も高くなるだろう。いつもロベルタが近くにいられるとは限らないため、ボロが出やすくなるからだ。加えてもしディバド教会が絡んでくれば、露見の可能性はさらに跳ね上がる。
そういった事態を防ぐためにも、早い段階で正式にロベルタをサルバドルの側近として認めさせなければならない。
そこでサルバドルが考えたのが、ロベルタとサルバドルの恋愛関係をでっちあげることだった。
本人同士が強く希望しておりそのことが周知されている状況であれば、国王といえど考慮しないわけにはいかない。
その場合は主従関係のみではなく婚約関係にもなるであろうが、ロベルタに異存は全くなかった。一方サルバドルのほうは若干複雑そうではあったが。まあ難しい年頃である。
いずれにせよ計画の山場は乗り切ったはずだ。演技力にはいささか、いやかなり問題があったかも知れないが、事実として『シスネロス子爵令嬢がサルバドルに命を救われた』という形は作れた。
この後はシスネロス子爵邸に赴き、少し時間を置いてからなるべく人目につくように学院寮に二人で戻ればいい。その際に親密さをアピールできれば言うことはないが、サルバドルはともかくロベルタには荷が重いだろう。まあできる範囲でやるしかない。
そして噂が十分に広まった時点でロベルタとサルバドルの連名で国王に書状を出す。もちろんシスネロス子爵の書状も添える。これでおそらくうまくいくはずだ。
国王とライムンドは特に外聞に気を使う性格だ。賊から命がけで助けられた少女が助けた少年と恋に落ちた。そんな恋愛小説のような噂を背景にした嘆願を退ける勇気は国王たちにはないだろう。
だからこそロベルタに死んだ魚の目までさせてまでこんな茶番を仕組んだのだ。
ちなみに、ロベルタとサルバドル以外の人物は賊も護衛も御者も全て傀儡である。衛視やディバド教会に介入されないよう、わざわざ死人が出ていない風を装うほどの気の使いようだった。実際は皆死体なので怪我もなにもないのだが。
「これでうまくいくでしょうか」
「それは大丈夫だろう。駄目でも次の手を考えればいいだけだ」
「次はなるべく殺伐とした方法でお願いします」
「……それは冗談だよな?」
「私には冗談がわかりません」
「冗談にしてくれ頼むから」
そう言いつつも、サルバドルはこの茶番が効果を上げると確信していた。貴族、特にご令嬢はこういった噂を好むからだ。そして噂というものは貴族女性の集う茶会でこそよく広がる。
どの程度の時間で広がるかまでは読めないが、今後もロベルタと仲睦まじい様子を学院で見せつければまず間違いなく国王の耳にも届くだろう。その為にもだめ押しが欲しいところだ。
サルバドルはかねてから考えていた方策をロベルタに提案することにした。
「ロベルタ。明日からとは言わないが、折を見てお互いの呼び方を変えないか」
「呼び方……ですか?」
「ああ、いわゆる愛称だな。何か希望はあるか?」
「……お待ちください。殿下を愛称でお呼びせよとおおせなのですよね?」
「そうだ」
「無理です」
「即座に諦めるな」
「ですが無理です」
「頑なに諦めるな」
「サルバドル様とお呼びいたしますのでお許しください」
「長い。そして固い」
「では殿下とお呼びすればよろしいですか?」
「それは危険だと言っただろう」
サルバドルは王族ではあるが、王子ではなく表向き王弟でもないためファニア王国の王室典範では『殿下』の呼称が該当しない。なのにあえて人前でそう呼ぶと、色々と周囲に勘繰られてしまうだろう。
「ならばどうすればいいのですか」
「そうだな、バドとでも呼んでくれ。ベル」
「……?」
「どうした?」
「その、ベルというのは……?」
「君の愛称だが?」
「………………………………」
部屋に沈黙が降りる。ロベルタはサルバドルに返答しない。できない。赤くなって固まっている。どうやら非常に恥ずかしかったようだ。
「ベル? 大丈夫か?」
やはり返答はない。頭の周囲から陽炎のようなものが立ち上っているようにも見える。水でもかけたほうがいいだろうか。
「……先が長そうだな、これは……」
サルバドルのつぶやきがロベルタに聞こえていたかどうかは定かではない。
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