第9話 食後のテラスと、暴かれた夜の秘密
重苦しい晩餐を終え、私はアレックスに促されて、食堂に隣接するテラスへと出た。
夜風が頬を冷たく撫でていく。見上げれば、夜空には満天の星が広がっていた。けれど、私の心は少しも晴れなかった。
隣に立つアレックスは、先ほどまでの険しい表情を消し、優しく微笑んで私を見つめていた。
「ロクサーヌ。僕たちは婚約期間を置かず、夫婦になる。両家当主の話し合いで、結婚式や披露宴も行わないことが決まっているんだ。君も、いきなり我が家で暮らすことになって大変だろう。だから、まずはこのひと月、お互いのことを知る時間にしよう」
それは、一見すると傷物の私を気遣う、この上なく紳士的な提案だった。
けれど、実家からも王宮からも『不祥事を起こした厄介者』として扱われ、結婚式すら挙げてもらえない自分の境遇を、改めて突きつけられたようでもあった。
私は胸の奥をチクリと刺す痛みを無視し、何事もなかったかのように微笑んだ。
「はい、お心遣いに感謝いたします、アレックス様。少しでも早くトルドール侯爵家の夫人として相応しく振る舞えるよう、精進してまいります」
「はは、そんな堅苦しくならなくていいんだよ。二人の時は、もっと気楽に僕に甘えて欲しいな」
「……はい。努力いたします」
甘える、という言葉が私の喉に苦く引っかかった。
もう裏切られたくない。だから、誰も信じないと決めたのだ。この男の優しい言葉に搦め捕られて、もう二度と、あんな惨めな思いをするのだけは御免だった。
その後、私はメリッサたちに案内され、あの『可愛らしい部屋』へと戻った。
侍女二人に手際よく寝支度を整えてもらい、ベッドに横になったものの――初めての、それも過去の愛憎が渦巻く慣れない屋敷で迎える夜は、思った以上に私の神経を昂らせていた。
柱時計が、静かに夜の十一時を告げた。
その時、静まり返った廊下から、ス、ス、と誰かが絨毯を踏み締める微かな気配が伝わってきた。
(……十一時。護衛の巡回かしら?)
こんな夜更けに何事だろうと、私はベッドから抜け出し、足音を立てずに扉へと近づいた。ほんの少しだけドアを開け、隙間から外の様子を覗き見る。
その瞬間、私は危うく声をあげそうになった。
廊下の薄暗い明かりの中、背中が大きく開いた白い夜着を纏った、肉感的な女性の後ろ姿が見えたからだ。明らかに護衛ではない。彼女は吸い寄せられるように廊下の奥へと進み、ある部屋の前で足を止めた。そして、周囲を気にするように、控えめながらも手慣れた様子でドアを叩いた。
しばらくして、扉が静かに開いた。
漏れ出た光に照らされたのは、昼間、侍女長アメリアから『行儀見習い』として紹介された元男爵令嬢――リリアナの横顔だった。
そして、彼女が吸い込まれるように入っていったその部屋は、他でもない、アレックスの寝室だった。
バタン、と静かに扉が閉まる。
その途端、心の中に、また一つ諦めにも似た感情が湧き上がって消えていく。
「――ああ、そういうことなのね」
私は開けていたドアを静かに閉め、暗闇の中でぽつり、と呟いた。
邸内にも、ちゃんとお盛んな遊び相手がいるのだ。昼間、私の前で『君ほどの女性を妻に迎えるんだ、もう火遊びの必要はない』などと、どの口が言ったのだろう。さすがは社交界一の遊び人、稀代の嘘つきだ。最悪だわ。本当に虫唾が走る。
――けれど。
アレックスへの嫌悪とは裏腹に、胸の奥は冷たく、ズキズキと痛んでいた。
最初から期待などしていなかった。愛なんて求めていない。そう自分に言い聞かせ、傷つかないように心を閉ざしていたはずだった。
なのに、どうしてこんなに胸が苦しいのだろう。どうして、また裏切られたような惨めな気持ちになっているのだろう。
(私……傷ついているの?)
認めたくなかった。アドルフ殿下の時と同じように、また男の不実に心を痛めている自分の弱さが、惨めで仕方がなかった。
アレックスを信じかけたわけではない。ただ、ほんの少しだけ期待してしまったのだ。『お互いを知ることから始めよう』と言った、あの優しい瞳に、嘘はなかったのではないかと。
やっぱり、男の言葉なんて信じる価値もない。
私は自嘲気味に微笑むと、冷え切ったベッドへと戻り、上掛けを頭から被った。
今度こそ、私は心を閉ざした。
もう二度と、アレックス・トルドールに心を揺さぶられない。そう固く決めた。
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