第7話 迎えられた、優しい部屋
家令のクロードに案内された部屋は、実家であったカークランド公爵家の自室よりも遥かに広々としていた。
しかし、一歩足を踏み入れた瞬間、私は奇妙な違和感を感じた。
壁紙は柔らかなペールピンクの小花柄を基調とし、丸みを帯びた可愛らしい印象の家具で統一されている。レースのカーテンからは優しい陽光が差し込み、まるで絵本に出てくるうら若い乙女の部屋のようだった。
今の私――すべてを拒絶し、心を凍らせた『十八歳の淑女』の佇まいには、あまりにも似合わない、ひどく甘く少女趣味の空間。
私がその違和感に足を止めていると、後ろに控えていた侍女長のアメリアが、どこか探るような、複雑な色を瞳に浮かべて静かに口を開いた。
「ロクサーヌ様。このお部屋はアレックス様が壁紙から家具、調度品に至るまで、将来の侯爵夫人のためにと、ご自身でお決めになったお部屋にございます。お気に召していただけるとよろしいのですが……。もし、何か不具合がございましたら、すぐに改装いたしますので、なんなりとおっしゃってくださいませ」
『将来の、侯爵夫人のために』
アメリアのその言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に、父バーナードから届いた『報告書』の一節が鮮明に蘇った。
そこには、トルドール侯爵家の内情だけでなく、私の夫となる男――アレックス・トルドールの、過去の女性関係についても詳細に記されていた。
社交界一の遊び人である彼には、当然ながら、かつて正式に結ばれていた『元婚約者』が存在していたのだ。二人の婚約がなぜ破棄されたのかまでは書かれていなかったが、アレックスがこの部屋の調度品を選んだ時期は、まさにその令嬢と婚約関係にあった頃だろうと推測された。
つまり、この部屋は私のためにではなく、彼の『元の婚約者』のために誂えられた部屋なのだ。
実家から汚点として厄介払いされ、婚約期間もなく放り込まれた私に用意されたのは、別の女の影が色濃く残る、お下がりの部屋。
普通なら、侮辱されたと怒り狂うか、あるいは惨めさに涙を流す場面かもしれない。けれど、今の私の心は、そんなことで揺らぐほど脆くはなかった。
最初から彼に愛など求めていないし、期待もしていない。ただ、目の前の事実をそのまま受け止めただけだった。
「――元婚約者の方は、穏やかな雰囲気を好まれたのですね。とても優しい印象のお部屋ですわね」
嫌味のつもりは、毛頭なかった。
ただ、報告書に記されていた事実と、目の前の部屋の印象を照らし合わせ、思ったままを淡々と、するりと口にしただけの感想だった。
しかし、その瞬間。
部屋の空気が、ピシリと固まった。
案内人である家令のクロードは、幽霊でも見たかのように目を見開き、侍女長のアメリアは息を詰まらせて顔を青ざめさせている。
私がなぜ彼らがこれほど動揺しているのか分からずにいると、アメリアが慌てたように深く頭を下げた。
「ロ、ロクサーヌ様、これは、決してそのような無礼な意図で用意したわけでは……!」
「いいのよ、アメリア。責めているわけではないわ。本当に、素敵な部屋だと思っただけですから」
私が大人の余裕を持って微笑むと、彼女たちはかえって、底知れぬ恐ろしさを感じたように肩を震わせた。
嫁いできたばかりの令嬢が、初日にしてこの家の『過去』を無表情で、しかも極めて優雅に指摘したのだから、無理もない。
侍女長は冷や汗を拭うようにして、背後に控えていた三人の女性を前に進め、話を逸らすように声を震わせた。
「……失礼いたしました。ロクサーヌ様、こちらが本日よりロクサーヌ様の専属としてお仕えする侍女にございます。挨拶を」
促されて前に出た二人の若い侍女は、部屋の凍りついた空気に呑まれ、緊張で顔をガチガチに強張らせていた。
「め、メリッサと申します! 男爵家の次女でございます。至らぬ点ばかりですが、精一杯お仕えいたします!」
「同じく、コレットと申します。ロクサーヌ様にお仕えできて光栄です!」
身を硬くする二人を見つめ、私は冷めた心を微かに緩めた。私のような『曰く付きの不祥事令嬢』の専属にされるなど、彼女たちにとっても罰のような恐怖でしかなかっただろう。私は極めて穏やかな、それでいて丁寧な声音で声をかけた。
「メリッサ、コレット。……二人の年齢を伺っても?」
「は、はい! 私は十九にございます!」
「私も十九になります、ロクサーヌ若奥様」
「そうなのね。私より一つ上だわ。これからどうぞよろしくね」
私の優しい微笑みと気さくな態度に、二人は目に見えてホッと胸を撫で下ろした。
だが、その場には、もう一人メイド服を着た女性がんでいた。彼女だけは頭を下げず、不躾な、そしてどこか品定めで私を蔑むような視線を向けてきている。
私がそちらへ視線を向けると、侍女長が打って変わって冷徹な声でその女性を紹介した。
「こちらはリリアナです。ダニエラ奥様のご友人の娘で、元男爵令嬢にございます。当家へは行儀見習いという名目で入っておりますが……。ロクサーヌ様のお世話に直接就く予定はございません」
なるほど、と私は内心で得心した。
アメリアの『直接就く予定はない』という強い牽制。そして『現侯爵夫人のご友人の娘』という響き。
この屋敷の歪な人間関係が、早くも形となって私の前に現れたようだった。
「面白かった」と思っていただけましたら、
・ブックマーク
・作品ページ下部の「⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎」欄にて
ポチッとクリックしていただけますと、とても励みになります。




