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『修道院帰りの侯爵夫人』、社交界一の遊び人の腕に囚われる  作者: 恋せよ恋


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第28話 メルローズの企みの気配

 私は、執務机の上に広げられた調査報告書に再び目を通した。


(有責で婚約破棄されたシャルボワ侯爵令嬢。普通に考えれば、社交界での立場は失墜し、アレックス様との再婚など夢のまた夢……。それなのに、なぜ彼女はあそこまで堂々と押しかけてこられたのかしら)


 単なる彼女の浅慮や我儘だけでは、どうにも説明のつかない違和感が残る。



「……ロクサーヌ様、お茶をお淹れいたしました」


 控えていたメリッサの言葉に頷き、カップを受け取る。一口含んだ温かい紅茶が、鋭くなった神経をわずかに和らげてくれた。


「クロードを呼んで頂戴」


「承知いたしました」


 ほどなくして、家令のクロードが静かに執務室へ入ってきた。



「お呼びでしょうか、ロクサーヌ奥様」


「ええ。先ほどのメルローズ様のことだけれど……彼女の最近の動向について、もう少し詳しく探ってもらいたいの。特に、誰と接触していたのかを」


「誰と……でございますか?」


「ええ。彼女自身は愚かであっても、彼女を利用して我が家に揺さぶりをかけようとしている『黒幕』がいるかもしれないわ。シャルボワ侯爵家の財政状況や、彼女に接触している人物を至急調べてちょうだい」


「承知いたしました。すぐに手配いたします」


 クロードが退出した後、私は窓の外を見つめた。


 もし、メルローズの背後に誰かがいるとしたら――。


 王命による我が家とアレックス様の婚姻を面白く思っていない他派閥の貴族たちか? あとは……誰が。


(私を『修道院帰りの女』と蔑み、離縁させようとする動き……。メルローズはその格好の『捨て駒』に過ぎないのかもしれないわね)


 彼女が狙うのは、アレックス様との既成事実か、あるいは私を失脚させるための罠か。


「どんな企みであれ……私の居場所を脅かす者は、容赦いたしませんわ」


 私は静かに紅茶を一口飲み、カップを置くと、確固たる決意を胸に宿した。


 ◇


 その日の夜、帰宅したお義父様とアレックス様から謝罪を受けることとなった。


「クロードから報告を受けたよ。メルローズ嬢の件、申し訳なかったね。すでに切れた縁だ。いまさら、よくも我が家を訪問できたものだ……呆れるよ」


 アレックス様が不快感と憤りを隠せない様子で不機嫌そうに語る。


「シャルボワ侯爵にもトルドール侯爵家から正式な抗議を申し入れてある。あちらもメルローズ嬢の将来については困っているのであろうが、修道院へ入れるなり、何か手を考えるべきであろう」



 お義父様が淡々と吐き捨てた『修道院』――その響きは私にとって、あの冷たく孤独だった日々を鮮明に思い起こさせるものだった。


 世間から『落伍者』として押し込められ、周囲の記憶から忘れ去られたような場所。


 メルローズの身勝手さには呆れるばかりだが、社会的に居場所を失った令嬢が行き着く先が修道院しかないという貴族社会の歪みに、どこか冷ややかなやるせなさを感じてしまう。



「はい。わかりました」


 胸の奥で掠める感情を静かに押し殺し、私は澄ました顔で返答した。


 お義父様とアレックス様は、問題の始末に目処がついたと言わんばかりに、厳しい表情のまま深く頷いた。


 ◇


 シャルボワ侯爵令嬢との騒動から数日後、侯爵邸の執務室で家政の書類を整理していた私の元に、一通の招待状が届けられた。


 差出人は、ウィンザム侯爵家。

 封筒に刻まれた紋章を見つめながら、私は静かに記憶の引き出しを辿った。



 リチャード・ウィンザム侯爵。


 かつて私が第二王子アドルフ殿下の婚約者であった当時には、殿下の有力な支援者としてよく顔を合わせていた人物だ。


 彼がなぜ、あそこまでアドルフ殿下を手厚く支援し、可愛がっていたのか――それには、社交界の裏側で公然と囁かれるいくつかの理由があった。


 表向きは、現国王派の筆頭貴族に対抗し、アドルフ殿下を即位させることで自派閥の権力基盤と莫大な貿易利権を確立しようという政治的野心。


 そしてもう一つ、より真実味を帯びて囁かれていたのが、執着の噂だった。


 かつてウィンザム侯爵は、アドルフ殿下の母であるエメラルダ王妃殿下をお慕いしていた。しかし、エメラルダ様は現国王の婚約者に決まり、その恋心が報われることはなかった。



 その捨て切れぬ未練と執着ゆえに、王妃の面影を色濃く残す第二王子を庇護し、後見人として支えていた、庇護者として後見を申し出ていたのだという。


 ウィンザム侯爵に娘がいなかったこともあり、アドルフ殿下の幼馴染であり婚約者となった私を、彼はどこか娘のように可愛がってくれた。


 カークランド公爵家と縁付くことで、アドルフ殿下の後見が盤石となることを、むしろ歓迎したのではないか。当時の私から見て、ウィンザム侯爵からは特に悪意を感じたことはなかった。


 アドルフ殿下の強い希望と、私の失態により婚約が破棄されたことを、深く残念がってくださっていたと聞く。



 だが、エドワード殿下が正式に立太子され、第二王子アドルフ殿下のその婚約者であった私が修道院へ送られ、そしてこうしてアレックス様と結婚した今。このタイミングで届いた夜会の招待状が、単なる社交辞令などではないことくらい理解できる。



「ロクサーヌ、ウィンザム侯爵からの招待状が届いたそうだね」


 ノックの後、執務室のドアが開き、アレックス様が入ってきた。その表情には、警戒と苦々しい色が広がっている。


「ええ、アレックス様。ちょうど今、確認していたところですわ」


「断ることもできるが……あそこは王宮内でも無視できない規模の派閥を持っている。無用な摩擦は避けたいところだが、君に嫌な思いをさせるのではないかと心配なんだ」


 私の過去を知るアレックス様だからこそ、かつて関わりの深かったウィンザム侯爵との再会を懸念しているのだろう。その遣る瀬無いような配慮に、私は淑女の笑みを返した。


「お気遣いは感謝いたします、アレックス様。ですが、逃げる理由などございませんわ。わたくしは今やトルドール侯爵夫人ですもの。堂々と出席いたします。もちろん、ご一緒してくださいますでしょう?」


 何が待ち受けていようと、私は侯爵夫人として堂々と振る舞うまで。

 私は招待状を静かに閉じると、アレックス様に向かって微かな笑みを深めるのだった。


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