第22話 新たな女の登場と、動じぬ新妻
トルドール侯爵邸から厄介者が去り、穏やかな日々が戻ってきた矢先のこと。
私は、エバートン伯爵夫人であるマチルダ様が主催するお茶会へと招待されていた。
会場となったのは、エバートン伯爵家の広々とした庭園だった。手入れの行き届いた花々が咲き誇る中、色とりどりの茶会用ドレスを纏った淑女たちが集まり、優雅に歓談を楽しんでいる。
穏やかな午後の光が庭園を照らし、テーブルの上には美しく盛りつけられた菓子や軽食、香り高い紅茶が並んでいた。
私が会場へ足を踏み入れると、一瞬にして周囲の視線が集まった。
あちこちから、密やかな囁き声が漏れ聞こえてくる。
『……第二王子に捨てられた哀れな令嬢が、トルドール侯爵家に嫁いで……』
『ダニエラ様が病に臥されたとか……。嫁が姑を追い出したらしいですわよ。怖いわね』
耳に届く陰口や好奇の視線。
けれど私は、何も聞こえなかったかのように背筋を伸ばし、気高く優美な笑みを浮かべたまま、淑女たちの間をゆっくりと歩いていく。
(どうやら、ダニエラ様とシモンの噂は広がっていないようね。ひとまずは安心というところかしら)
少なくとも今のところ、侯爵家の内情が社交界に知られている様子はない。
私は小さく息を吐き、何事もなかったかのように前を向いた。
王妃殿下に幼い頃から可愛がられてきたロクサーヌ・トルドール。
長い謹慎を終え、先日の王妃殿下主催のお茶会にも招かれた。王妃殿下からもすでに許しを得ている元公爵令嬢であり、トルドール次期侯爵夫人である私に、表立って嫌味を言える者など、この会場にはいない。
噂好きの貴族たちがどれほど陰で囁こうとも、面と向かって私に不躾な言葉をぶつけてくる者など、そうそういるものではない。
そんな中――品格漂う淑女が、静かに私へと歩み寄ってきた。
一年八ヶ月ぶりに再会する、カークランド公爵夫人である母・イザベルだった。
「久しぶりね、ロクサーヌ。……随分と痩せたかしら? トルドール侯爵家は、何かと大変だったようだけれど……少しは慣れた? アレックス様とは上手くやっていけそう?」
久しぶりに会った娘を心配するような表情を浮かべている。
(さすがはカークランド公爵家ね。トルドール侯爵家の内情も、すでに把握しているというわけね。……それに、お母様が私の心配なんてするはずがないわ。だって、弱っていた私を見捨てたのだもの)
しばらくして、自分が一方的に問いを投げかけていることに気づいた母が、気まずそうに口を閉じた。
それから私は、母に向かってゆっくりと言葉を返した。
「ご心配をおかけしております。つつがなく暮らしておりますので、どうぞお気遣いなく」
そして、洗練された一礼を捧げると、私は静かに母から距離を取った。母との冷え切った関係を、いまさら修復するつもりもなかった。
その時、二人組のよく似た黒髪の美しい女性が私に向かって歩み寄り、目の前で足を止めた。
「アレックス様の奥様でしょうか?」
私は頭の中で貴族名鑑を捲る。だが、思い当たる貴族夫人はいなかった。
「ええ。申し訳ないのですが、初対面だと思うのですけれど。あなたは?」
私の問いかけに、黒髪にヘーゼルの瞳を持つ、肉感的で婀娜っぽい印象の夫人が口を開いた。私よりも年上だろう。
「私はドレーク男爵家の長女で、今はラサール子爵夫人のパメラでございます。こちらは、妹のコレットです」
――アレックス様。
ふと、その呼び方が耳に残った。
(侯爵令息である彼を、妻の前で名前で呼ぶほど親しい関係ということね)
パメラの斜め後ろに立っていた女性が、静かに礼をとった。少し気弱そうな印象で、姉と同じ黒髪にヘーゼルの瞳を持ち、私より幾つか年上に見える美しい女性だった。
「ドレーク男爵家の次女で、コレットでございます」
私は二人の挨拶を受け、ただ小さく頷いた。
ふと母のほうへ視線を向けると、少し離れた先から心配そうにこちらを見つめているお母様の姿が見えた。
「それで? わたくしに何か?」
姉のパメラが、どこか思わせぶりな表情で話し出した。
「実は、この子。妹のコレットが、以前アレックス様と少々親しい間柄になりまして。三ヶ月ほど前の夜会で、まあ……ねえ」
さすがに私にもわかる、暗に男女の仲であると匂わせる発言。
周囲の淑女たちも密かにこちらに耳を澄ませているのが分かった。
パメラはさらに笑みを深め、声を少し落として、追い打ちをかけるように続けた。
「そこで、どうやらこの子がアレックス様のお子を身ごもっているようなのですわ。つきましては、近日中に、父であるドーレーク男爵と共にトルドール侯爵家を訪問させていただきたいと思いますの。いかがでしょうか?」
三ヶ月前の夜会――アレックス様と私がまだ政略とはいえ婚姻を結ぶ前だ。
妹のコレットは、姉に促されるようにしてお腹のあたりを控えめにさすり、弱々しく俯いている。
周囲から興味の入り混じった視線が向けられる中、私は冷静に状況を見極めようとした。
(三ヶ月前の夜会……子爵夫人となった姉と、男爵家の未婚の次女。ダニエラ様とリリアナが屋敷を追われた途端、間髪を容れずに現れた新たな『厄介ごと』というわけね……頭の痛いことだわ)
私は動揺の色ひとつ見せず、扇子を優雅に揺らしながら、凍てつくような美貌に冷たい笑みを浮かべた。
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