第17話 家政の立て直しと、不貞の代償
翌日から、私は王子妃教育での学びを活かし、トルドール侯爵家の家政の見直しに着手した。
まず私が手をつけたのは、使用人たちの労働環境の改善だった。
給与体系の見直しを行い、適正な給金と必要な増員を提案した。さらに明確な雇用規約を設け、休日の確保やお仕着せの定期的な支給など、使用人たちが誇りを持って働ける環境を整えていった。
もちろん、これらの改革はすべて、事前に当主である義父ノーマンの承認を得ている。
自分たちの声に耳を傾け、親身になって待遇改善を断行してくれた若奥様、ロクサーヌの姿に、家令クロードと侍女長アメリアをはじめとする使用人たちは深く感謝した。
こうして私は、少しずつ使用人たちの信頼と支持を得ていった。
――だが、本格的な帳簿の監査を進める中で、無視できない大きな不正が見つかった。
「ねえ、クロード。毎月、帳簿に記載されていない結構な金額の使途不明金が存在するのだけれど……。これは、どなたに確認すべきなのかしら?」
「……そちらは、ダニエラ奥様が管理しておられました。……恐らく、ご実家であるルース男爵家への援助に流用されたものかと」
「まあ。でも……お義父様からは『ルース家への援助は、別途侯爵家から毎月十分な額を支払っている』と伺っておりますけれど?」
「はい。ですが……帳簿外の金銭の行方は、それ以外に考えられません。奥様には侯爵夫人としての予算も潤沢に割り当てられておりますので、ドレスや装飾品もそちらで十分に賄えるはずなのですが……」
「そう。けれど、おかしいわね。これは調査が必要だわ。直接ダニエラ様に尋ねても、まともな回答は得られないでしょうから」
家令クロードに過去の使用人名簿や侯爵家の取引記録を調べさせ、護衛たちにはダニエラの行動を密かに監視させた。
◇
果たして、監視の網はすぐに獲物を捕らえた。
ダニエラが『実家へ顔を出す』と偽って向かっていたのは、ルース男爵邸ではなく、市井の片隅にある小さな一軒家だった。
そこに住んでいたのは、ルース男爵家で護衛を務めていた男――プラモンドン男爵家の、爵位継承権を持たない三男・エチアン。
かつてダニエラが、学園卒業後にノーマン侯爵の愛人として囲われていた時期にも、エチアンは彼女の護衛としてそばにいた。そして二人は、ノーマン侯爵の目を盗んで関係を持っていたのだ。
十三歳になるダニエラの連れ子、シモン。
彼の栗色の髪と明るい茶色の瞳は、ノーマン侯爵の面影など微塵もなく、その元護衛の男の髪と瞳の色だったのだ……。
「シモン様の出生時期と、エチアンの証言。そして二人が共に暮らしていた時期を照らし合わせれば、答えは明らかですわ」
ダニエラは毎月、侯爵家から不正に引き出した金銭を携え、情人である元護衛のもとへ通っていたのである。
「――証拠が揃いましたわね」
私は集められた詳細な調査報告書と、帳簿の使途不明金を元に調査した証拠書類を胸に抱き、義父ノーマンの執務室へと向かった。
コンコンコン、執務室の重厚な扉を叩く。
「入れ」
低く重々しい声を受け扉を開けると、そこには書類と向き合う当主、ノーマン侯爵の姿があった。
「ロクサーヌか。家政の立て直しに精を出していると聞いているよ。クロードたちも喜んでいる。感謝するよ」
「ありがとうございます、お義父様。お仕事中失礼いたします。本日は、家政の監査中に見つかりました『重大な不審点』について、ご報告に参りました」
私が淡々と、けれど一切の感情を排した声で告げると、お義父様は不審そうに眉をひそめた。
「不審点……? 一体何のことだい?」
「こちらをご覧ください」
私は静かに、胸に抱えていた厚みのある書類の束を、彼の執務デスクの上へ滑らせた。
それは、過去数年間にわたる帳簿の使途不明金の詳細。そして、護衛ロベルトとデレクが尾行し、市井の一軒家で捉えた周囲の証言と、密会の詳細な記録だった。
お義父様は怪訝な顔で書類に手を伸ばしたが――目を通すにつれ、その顔が強張っていった。
「な……なんだ、これは……っ!? ダニエラが……市井で男と……!?」
「はい。ダニエラ様が家政のための予算をその男の生活費として不正に引き出しております。ルース男爵家ではなく、市井の一軒家に住む男――かつてルース家で護衛を務めていた元男爵家三男のもとへ流れておりました」
「馬鹿な……! ルース家での護衛だと……!?」
ノーマンが手にした報告書を、怒りからかクシャッと握りしめた。私は追撃の手を緩めず、トドメとなる冷酷な真実を口にした。
「……お義父様。シモンの栗色の髪と明るい茶色の瞳。ご自身の面影と重ね合わせたことがおありですよね?」
「っ――!?」
「シモンの髪と瞳の色は、その元護衛の男と同じでございます。……学園卒業後、お義父様がダニエラ様を市井でお世話されていた時期にも、その男はダニエラ様とともに暮らしておりました。……これ以上は、申し上げるまでもございませんわね」
「まさか! そんな……」
ノーマンは絶望と屈辱に歪んだ顔で頭を抱えた。
かつて、妻を病で亡くし、世間の嘲笑を押し切ってまで侯爵家に迎え入れた長年の恋人である男爵令嬢。学園時代から愛し合い、その実家ごと養い、似ていないことを気にしつつも我が子であることを信じて疑わなかったダニエラの子・シモン。
その実態は、自分を『都合の良い金づる』としか思っていない女にいいように踊らされ、他の男の種を育てさせられていたという、この上なく哀れで惨めな道化に過ぎなかったのだ。
バタンッ!!
その時、執務室の扉が荒々しく開かれた。
立っていたのは、顔を青ざめさせたダニエラだった。
金銭の不正流出が公になりつつあると聞きつけ、焦って言い訳にやってきたのだろう。
「ノーマン様……! この女が何か変な言いがかりをっ!」
「黙れっ!!」
地を這うような怒号が執務室に響き渡った。
ノーマンは怒りのあまり赤らんだ顔で立ち上がると、デスクの書類をダニエラの顔に向かって叩きつけた。
「の、ノーマン……? これ、は……っ!? キャッ!」
舞い散る書類の中に浮き出る、密会の証言と長年の不貞の証拠。ダニエラはそれを目にした瞬間、悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。
「嘘だろ……嘘だと言ってくれ、ダニエラ……! 私を騙していたのか!? あの子も……シモンも私の子ではないと言うのか!!」
「ち、違います! これは何かの間違いです! ノーマン様、信じて……っ!」
「見苦しいですわよ、ダニエラ様」
私は狼狽えるダニエラを、心底汚いものでも見るような目で見下ろした。
「元護衛の男の自白も、すでに書面で取ってありますわ。……これだけの証拠が揃っていて、白を切れるとお思いで?」
「ひっ……! あ、あなた……っ! 余計なことを! この邪魔者が……!!」
ダニエラが血の気の引いた顔で大きな声をあげ、私を睨みつける。
お義父様は怒りと屈辱で肩を激しく上下させ、冷酷な宣告を下した。
「……離縁だ!! 即刻、この屋敷から出て行け! 何一つ、侯爵家から持ち出すことは許さん! ルース男爵家への援助も今この瞬間をもってすべて打ち切る! これまで盗み取った金も、法に則って一銅貨に至るまですべて回収してやる」
「そんな……! お願いです、ノーマン様! この女の言うことを信じるなんて! 私たちは学園時代から愛し合ってきたではありませんか! それに、シモンはあなたを父親だと信じているわ! せめてシモンだけでも……! あの子に罪はないわ!!」
すがりつくダニエラを、ノーマンは冷たく突き放した。
「我が家の血を引いておらぬ者を置く道理などない。あの子も連れて、二人して今すぐ出ていけ!」
シモンに直接の罪はない。……けれど、血の繋がりもなく、不義の落胤として連れてこられた以上、侯爵家に残れるはずもなかった。それが、この貴族社会の理だ。
「いやあ! 離して! 私はトルドール侯爵夫人よ! 離しなさい! ノーマン様! ノーマン様!」
報告書が散乱する執務室から、ダニエラは護衛たちに両脇を支えられながら連れ出されていった。
実家へ連れ戻されたところで、侯爵家からの援助を断たれたルース男爵家はいずれ破滅を免れず、ダニエラたちに待っているのは悲惨な末路だけだ。
お義父様は、崩れ落ちるようにどさりと椅子へ腰を落とし、頭を抱えた。その惨めな姿は、いつものトルドール侯爵家当主としての威厳と煌びやかさはなかった。
私はその姿を冷ややかに見つめながら、退室のため声をかけた。
「失礼いたします、お義父様。……これで、この屋敷の厄介事が一つ、片付きましたわね」
一切の情も通わない冷たい言葉を残し、私は静かに執務室を後にしたのだった。
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