第13話 傷物令嬢、社交界に帰還する
トルドール侯爵邸に嫁いでから、目まぐるしい一週間が瞬く間に過ぎ去った。
家政権を掌握した私は、さっそく使用人の増員と勤務体制の改善、そして三年以上放置されていた制服の新調に手を付けた。
邸内が目に見えて活気を取り戻していく中、夫となったアレックス様は王太子殿下の側近業務が多忙を極めているらしく、新婚だというのに、ここ数日は顔を合わせていない。
お互い都合の良い割り切った関係だ。顔を合わせずとも、自分のやるべき仕事をこなしていればそれでいい――そう思っていた。
そんな折、王宮から王家の紋章が捺された、重々しく格調高い『王妃主催のお茶会』への招待状が届いた。エメラルダ王妃が丹精込めて育てられた、王宮の至宝たる薔薇園。そこは、選ばれし高位貴族の夫人のみが足を踏み入れることを許された、至高の社交場であった。
それは、私が一方的な婚約破棄の後、トラファルガー修道院に追いやられてから、実に一年半ぶりとなる公式な社交の場への復帰を意味していた。
招待状が届いてから当日までの数日間、私は粛々と準備を整えた。
◇
そうして迎えた正午――私は、どこか不安気な様子の義母ダニエラと共に、1年半ぶりに登城し、その絢爛たる薔薇の園へと足を踏み入れた。
陽の光を浴びて色とりどりの薔薇が咲き誇る王宮の庭園。そこには、豪奢なドレスを纏った高位貴族の夫人たちが集まり、小鳥の囀りに紛れて、ひそひそと品性のない囁き声を交わしていた。
「お聞きになりまして? 今日のお茶会、あのカークランド公爵家のロクサーヌ様が出席されるとか」
「まあ! 一年半も修道院で謹慎されていらしたのでしょう? それが今度は、よりによってあのトルドール侯爵家のアレックス様に嫁がれるなんて」
「ふふふ、お可哀想に。大変でございましょうねえ、アレックス様といえば……ねえ?」
「ええ、本当に。いくら血筋がよろしくて第二王子殿下の婚約者だったとはいえ、一度ケチがついた『傷物令嬢』ですもの。社交界一の遊び人と噂される次期侯爵様でも、あの方にとっては身に余る贅沢というものですわ」
「あら、ミランダ様は、アレックス様とも特にお親しいのではありませんでしたかしら?」
夫人たちの視線が集まったのは、薄紫のドレスを派手に着こなした若き未亡人、ミランダ前ヨーク伯爵夫人だった。彼女は扇で口元を隠し、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「……まあ。夜会で《《個人的な》》お話をさせていただく程度ですわ。私は夫を亡くして以来、縛るもののない自由な身ですもの。皆さまとは違って、いつでも彼を温かくお迎えできますもの、ほほほ」
かしましい噂話が風に乗って聞こえてくる。
だが、私を品定めするような視線の中を歩きながらも、私の歩調が乱れることはなかった。かつて叩き込まれた王子妃教育の記憶が、今の私を支えている。
何を囁かれようが構わない。
ピンと背筋を伸ばし、顎を上げ、凛として前を見据える。今の私は、トルドール侯爵家の次期夫人だ。背負うものが増えた分だけ、私はかつてよりも強く、胸を張って前を向かねばならない。
やがて周囲が水を打ったように静まり返り、エメラルダ王妃殿下の登場が告げられた。
「皆さま、ごきげんよう。今日は真っ赤な大輪の薔薇が見頃ですの。どうぞ、ゆっくりと交流を楽しんでちょうだいね」
出席しているのは、厳選された高位貴族の夫人たちと、そのお付きの者たち。
王妃は優雅に周囲を見廻し、一瞬、私の席で視線を止めた。周囲には気づかせないほどの僅かな目の配りだったが、その瞳には確かな温度が含まれていた。
お茶会が始まれば、微笑みの仮面の下で、高位貴族家の夫人らしく領地の物産や交易、政略、そして最新のゴシップという名の弾丸が飛び交う。
案の定、先ほどのミランダ前ヨーク伯爵夫人が、私の席へと優雅を装った足取りで歩み寄ってきた。
「ごきげんよう、ロクサーヌ次期侯爵夫人。アレックス様とのご結婚、心よりお祝い申し上げますわ」
私が挨拶を返す間も与えず、彼女は小馬鹿にしたような笑みを深めて言葉を重ねる。
「でも……アレックス様は、ほら、ああいうお方でしょう? お世辞にも大人しいとは言えないお盛んな方。殿方を知らない無垢なあなたでは、とても満足させられないのではないかしら? 彼って夜は本当に激しい方だから……ふふふ、お若い奥様には荷が重くてよ?」
周囲の夫人たちは、談笑を続けているフリをしながらも、全員が耳をそば立ててこちらの様子を窺っていた。
あまりにもあからさまで下品な大人の関係の匂わせ。社交界一の遊び人を夫に持ったのだ。これほど夫人が集まる場で、こうした嫌味を向けられることくらい、百も承知だった。
私は、十八歳の新婚の夫人とは到底思えない、底冷えするほどに美しい微笑みを浮かべた。
「ごきげんよう、ミランダ前ヨーク《《伯爵》》夫人」
あえてねっとりと、その肩書を強調して呼びかける。
するとミランダは、大勢の夫人たちの前でズバリと己の素性を名指しされたことに、あからさまな驚きに表情を強張らせた。
(――あら。これしきのことで、簡単に表情を変えないでちょうだい。小物すぎて、これでは退屈しのぎにもならないわね)
内心でミランダの反応を鼻で笑いながら、私は一歩も引かずに言葉を重ねる。
「私は王子殿下の元婚約者として、最高水準の礼儀作法を学んでまいりましたの。ですから、そのような基礎的な礼儀すらなっていない方とお話しする気はございませんわ。……もしそれが、つまらない下賤な戯言ではなく事実だというのなら、私ではなく夫に直接おっしゃってくださいまし。彼の『女性の趣味が酷く悪い』ということは、あなたを見てよく理解いたしましたから」
「な、何ですって……!」
ミランダの顔が屈辱で真っ赤に染まる。
周囲の夫人たちが、息を呑んでこちらに注目した。
王家から処分を受け、修道院で一年半も謹慎し、すっかり大人しくなったと思った令嬢が、一歩も引かずに、笑顔のまま相手の品性を『下賤』と叩き切ったのだ。
この瞬間、周囲は理解した。ロクサーヌ次期侯爵夫人は、決して侮ってはならない『只者ではない』存在なのだと。
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