第12話 流行遅れの制服と、驚速の権限奪取
自室へ戻ると、専属侍女のメリッサとコレットが温かいお茶を淹れてくれた。
少しばかりの談笑に付き合う。私に対して未だ緊張を解けないでいる彼女たちの心をほぐすため、そして何より、この屋敷の『内情』をさらに深く探るための時間だった。
たわいもない世間話に花を咲かせる中、私はふと、二人が身に纏っている侍女服に目を留めた。
トルドール侯爵家といえば、王国有数の財力を持つ大貴族だ。使用人の身だしなみは、そのまま主の威厳と直結する。にもかかわらず、彼女たちの制服のデザインは一世代前の流行遅れで、生地の端々はいくら丁寧に洗濯されていても、隠しきれないほどに薄く磨り減っていた。
「ねえ、メリッサ。その制服、いつ支給されたもの?」
私の唐突な質問に、メリッサは隣に立つコレットの顔を不安げに見合わせながら、恐る恐る口を開いた。
「はいっ。……ええと、私がこの侯爵家にお勤めさせていただいた時ですから、かれこれ三年ほど前でしょうか」
「コレットも同じかしら?」
「はい。私も、こちらの屋敷に勤めた初日に三着支給されまして、それきりになりますので……同じく三年前になります」
「そう。毎日着て、丁寧に洗濯もして、三年間、たったの三着なのね。……とっくに替え時だわ」
私は考え事をしながら、それきり黙り込んだ。
メリッサとコレットは、遠くを見つめたまま、突然深い考えに沈んでしまった私を、何か不手際でもあったのかと怯えるような目で見つめている。
けれど、私の頭の中で渦巻いていたのは、彼女たちへの怒りなどでは断じてなかった。
(三年間、制服の更新がされていない。洗濯場は二人きりで過重労働。厨房の仕入れにも不審な点があるし、下級使用人たちの勤務時間は常軌を逸している……)
父から渡された報告書と、この数日で私自身の目で集めた邸内の情報を、脳内でパズルのように組み立てていく。報告書に記されていた帳簿の数字と、今日聞いた厨房の話を照らし合わせれば、仕入れ価格にも不自然な点があることが分かる。
トルドール侯爵家の財政は極めて健全であり、予算がないはずがないのだ。
つまり、現侯爵夫人ダニエラが家政の予算をどこか別の場所――おそらく、彼女の実家であるルース男爵家や、身内への過剰な支援に回している可能性が高い。
名門侯爵家の次期夫人として、そして将来の王子妃として身につけてきた家政や統治の知識が、このあまりにも杜撰で不潔な家政を『見過ごせない』と激しく告げていた。
やるべき事柄が、私の頭の中で瞬時に整理されていく。
コンコンコンコン。
その時、静かにドアが叩かれ、家令のクロードが姿を現した。
「若奥様。ご当主夫妻への面会の申し入れですが、旦那様より、今からでもお会いできるとのお返事をいただきました」
「そう。手回しが早くて助かるわ、クロード。それじゃあ、すぐに伺うわね」
私はソファーから立ち上がり、淑女の笑みを浮かべた。
クロードの案内で向かったのは、侯爵夫妻が私生活で使う私的なサロンだった。
扉が開くと、ふかふかのソファーに腰掛けたノーマン侯爵と、その隣でどこか落ち着かない様子で座るダニエラ夫人が目に入った。
「お義父様、お義母様。突然お時間をいただき、ありがとうございます」
私が優雅に一礼すると、ノーマン侯爵はいかにも包容力のある父親といった笑顔を浮かべた。
「ああ、構わないよ、ロクサーヌ。遠慮は不要だ。私たちはもう、家族じゃないか。……それで、どうしたんだい? 嫁いできてまだ五日目だというのに、何かこの屋敷で問題でもあったかな」
「はい。まだ嫁いで五日目で、口を挟むのは早いかとも思ったのですが……侯爵家の『家政』の件で、どうしてもお伝えしたいことがございまして」
「家政の? 家政はすべてダニエラが賄っているはずだが、何が問題なのかな?」
ノーマン侯爵が不思議そうに首を傾げ、ダニエラ夫人の身体が強張る。私はそんな夫妻を見据え、今日、使用人から集めた『不備』を極めて淡々と、しかし決定的な調子で突きつけた。
「はい。下級使用人たちが過酷な勤務を強いられている点、使用人たちの制服が三年も支給されず老朽化している点。さらに厨房の仕入れ先における価格の不自然な高騰、および下級使用人たちの勤務時間の劣悪さ……などでしょうか。大貴族としての品格と、邸内の統治に関わる問題だと見受けられます」
「…………」
サロンが一瞬にして、凍りついたように静まり返った。
ノーマン侯爵は驚きに目を見張り、それから、隣で身を固くしているダニエラへ、じわじわと冷徹な怒りを孕んだ視線を向けた。
まさか我が家で、そこまで杜撰な家政が行われていたとは。使用人を酷使し、制服も更新せず、厨房の予算を不透明にしている――それが世間に漏れれば、トルドール侯爵家の名に傷が付く。
「ダニエラ……。君は一体、この屋敷をどう管理していたんだ?」
低く抑えられた侯爵の声には、隠しきれない戸惑いと怒気が滲んでいた。
ダニエラはビクリと身体を震わせ、まるで蛇に睨まれた蛙のように顔を青ざめさせる。
侯爵は深く、重々しい息を吐き出すと、私へと向き直った。その瞳には、落胆から一転して、救世主を見るような強い感嘆が宿っている。
「……嫁いできてまだ五日だというのに、もうそこまで見抜いたというのか。ロクサーヌ、君はさすが『王子妃候補』だっただけある。当主の私が気づけなかった我が家の恥部を、こうも鮮やかに暴いてくれるとは。……君のような聡明な人間を迎えられて、本当に良かった」
侯爵の称賛の声が響く中、私はそっと、一言も発せずに身を固くしているダニエラ夫人に目を向けた。彼女は私と視線が合った瞬間、あからさまに顔を伏せた。
彼女の実家への不正な金銭の横流しを、私が掴んでいると察したのだろう。
私はそのダニエラ夫人に向かって、至極おっとりと、慈悲深い笑みを向けた。
「お義母様は、これほど大きな侯爵家の家政をお一人で切り盛りされるのは、さぞご負担だったことでしょう。……不肖の身ではございますが、私に家政の『補佐』をさせてはいただけないでしょうか。少しずつでも、お義母様から学んでいきたいと思いますわ」
「え? ……あ、ええ。それは……」
補佐、という言葉を使いながらも、それが事実上の『査察』であることをダニエラは理解したのだろう。彼女は助けを求めるように、隣のノーマン侯爵を縋るような目で見つめた。
だが、ノーマン侯爵が下した決断は、彼女の希望を無残に打ち砕くものだった。侯爵は大きく頷くと、ダニエラではなく、真っ直ぐに私を見て告げたのだ。
「いや、確かにダニエラには、この侯爵家の家政は荷が重すぎたのだろう。今後の使用人の人事も、必要な予算の配分も、君に任せる。何かあれば、私に直接報告を上げてくれればいい」
「旦那様……っ!?」
ダニエラ夫人が絶望の声を漏らすが、侯爵はそれを取り合わない。
彼にとっても、名門侯爵家の家政が杜撰なのは頭の痛い問題だったのだろう。王子妃教育を受けたロクサーヌが、自ら家政を立て直してくれるなら、願ってもない話なのだ。
「はい。ありがとうございます、お義父様。お義母様のご負担を減らせるよう、誠心誠意、努めさせていただきますわ」
私は深く優雅に一礼した。
こうして、嫁いでわずか五日目にして、私はトルドール侯爵家の家政を任されることになった。
サロンを出た私の背後で、ダニエラ夫人がガタガタと震えているのが分かった。
あのリリアナという愛人擬きも、洗濯場の杜撰な人事も、これでいつでも私の手一つで立て直せる。
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