第11話 牙を剥いた「氷の淑女」と、見当違いの挑発
私が家令のクロードや侍女長のアメリアを従えて廊下を歩いていた時のことだ。
向こうから、わざとらしいほどに優雅な足取りで近づいてくる人影があった。ダニエラ侯爵夫人の『友人の娘』として紹介された元男爵令嬢、リリアナだった。
彼女は私の前で足を止めると、形の良い唇を歪め、ひどく思わせぶりな態度で私を傲慢に見据えてきた。その瞳には、『第二王子に婚約破棄された』傷物令嬢である私への、隠しきれない侮蔑と勝ち誇ったような色が浮かんでいる。
「あら、若奥様。お屋敷の案内を受けていらっしゃいますの? ですが、あまり無理はなさらない方がよろしいですわ。アレックス様は夜のお戯れも大変お好きな方ですのに……今夜も若奥様の寝室へは向かわれないようですものね。お若いのに、すでに『お飾りの妻』なんてお可哀想に……ふふふ」
クスリと扇で口元を隠し、妖艶に笑うリリアナ。
その言葉の裏にある意味を、私が理解できないとでも思ったのだろうか。嫁いだ初日の夜遅くに、彼女がアレックスの寝室へ滑り込んでいった姿を、私はこの目でしっかりと見ているのだ。
『私は毎晩、あなたの夫に抱かれているのよ』という、これ以上ないほど下品で愚かな当てつけだ。
普通なら、新婚早々こんな不貞を突きつけられれば、屈辱に震え、涙を流すかもしれない。けれど、私は表情ひとつ変えずに、ただ冷徹な光を宿した瞳でリリアナを正面から見据えた。私の心は、この程度の浅薄な挑発で揺らぐほど、安っぽくは作られていない。
「リリアナ。あなた、誰にものを言っているのかしら?」
低く、けれど廊下に凛と響き渡る声。
リリアナの笑みが、微かに引き攣った。私は一歩、彼女へと歩み寄る。私の身体から放たれる、元王子妃候補としての圧倒的な威圧感に、彼女は思わず一歩後退りした。
「自分の立場がわからないようなら、この家には置いておけないわね」
「な、なっ……!」
リリアナは顔を真っ赤にし、金切り声を上げた。
「私は、現侯爵夫人ダニエラ様の縁続きなのですよ! 実家を追われて政略で輿入れしてきただけのロクサーヌ様に、一体何の権限があるというのですか!」
「そうねえ」
私は小さく息を吐き、後ろに控えていた家令のクロードを振り返った。
「では、その『権限』とやらを、まずは手に入れなくてはいけませんわね。――クロード。侯爵夫妻に面会を申し入れておいてちょうだい。時間はあちらの都合にお任せするわ。洗濯場の人事の件など、いくつかお話ししたいことがあると伝えてちょうだい」
「はっ。若奥様、ただちに手配いたします」
クロードが一切の躊躇なく、深く頭を下げて私の命令に従う。
その光景を見て、リリアナは幽霊でも見たかのように、その場に固まった。
実家を追われた傷物令嬢だと侮っていた私が、まさか嫁いで数日で家令を従え、侯爵夫妻との面会まで迷いなく申し入れたのだ。
「そんな! アレックス様に夜のお誘いをしてもらえないからって、私を目の敵にしているのね! ただの嫉妬でしょう!?」
見苦しく怒鳴り散らす彼女に、私は心底呆れ果て、深い溜息を漏らした。
この女は、自分がどれほど致命的な暴挙に出ているのか、本当に理解していないらしい。あまりの頭の悪さに、可哀想にすら思えてくる。
「はあ……。リリアナ。あなた、王立学園は?」
「っ……!」
私の唐突な質問に、リリアナは言葉を詰まらせ、悔しそうに唇を噛んだ。
「……家が没落して、一年だけしか通えなかったわ。それが、なによ!」
「それで、この侯爵家に行儀見習いにいらしたのよね? けれど、おかしいわね。なぜ、平民となったあなたが、下級侍女ではなく、まるで一介の貴族令嬢のように『行儀見習い』としてこの邸に居座っているのかしら?」
私の冷徹な指摘に、リリアナの顔からサーッと血の気が引いていく。
王立学園を一年で中退し、実家の没落によって貴族籍を失った女。本来なら、没落して平民となった彼女が、名門侯爵家で貴族令嬢のように扱われるなど、到底考えられない。
「それ、は……っ。ダニエラ奥様が、お誘いくださったからで……!」
「そう。よく分かったわ」
私は冷たく微笑み、彼女にトドメを刺すように言い放った。
「没落した元男爵令嬢を、侯爵家の使用人として正式に雇うこともなく、ただの『お気に入り』として邸内に置き、侍女の職務も与えずに遊ばせている。……その件も含めて、しっかりとお義母様にお尋ねしなくてはいけませんわね。侯爵家の品格に関わる、重大な問題ですもの」
「あ! う……っ」
リリアナは、もはや言葉にもならない声を漏らし、ガタガタと震え出した。
彼女はただの女の嫉妬のぶつかり合いを仕掛けたつもりだったのだろう。だが、私が仕掛けたのは、貴族社会における『法』と『大義名分』を用いた、冷徹な排除の論理だ。
「さあ、行きましょう、クロード、アメリア。これ以上、不勉強な方とお話ししていても時間の無駄だわ」
「はい、若奥様」
私は怯えるリリアナを一瞥もせず、優雅にその横を通り過ぎた。
背後で、リリアナが絶望に満ちた顔でへたり込む気配が伝わってくる。
夫の不実。侯爵家当主の後妻である義母の放漫な家政。そして、それを笠に着る愚かな愛人まがいの女。この屋敷に蔓延るゴミがあまりにも多すぎて、眩暈がしそうだ。
けれど――売られた喧嘩なら、礼儀正しく、きっちり買って差し上げますわ。
私は冷めた心のまま、いったん自室へ戻った。侯爵夫妻との面会の時間が決まるまで、部屋で静かに待つことにした。
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