暗い夜に向かって歩き始めた。
「ねえ、あたしと妹、どっちが大事なの?」
「妹とレイラは全く別だ」
「あたし、本当はセンセイって呼びたくない」
「だったらウキンでいいじゃないか」
「やだやだやだやだ」
「テアシ……」
俺はテアシを見つめた。
あの可愛かったレイラの面影は何一つない。
ただの骸骨が駄々をこねている。
俺は手を伸ばして骸骨の頭を撫でた。
「俺はもう死んだ。これからはずっと一緒にいるよ」
そう言うと、テアシが顔を上げて俺の顔を見つめた。手を伸ばして両手で俺の頬をつかんだ。
「えへへへへへへへへ。センセイ、つーかまえた」
テアシは笑っているのだろうか。
あの日、頭に血が上った俺は団地に行ってセイラと会った。そして気づいたらアイラが背後にいて、後ろから頭を殴られた、までは覚えている。
それから目を覚ますと車の中にいて、運転していたのはセイラの彼氏だった。
助手席から滝本セイラの興奮したような甲高い悲鳴のような声が響いていた。
どこかへ向かっていたけど、それは川の方向じゃなかった。真っ暗な山道をどんどん上がっているような感覚だった。
「俺の妹と何か話をしたのか?」
「してないよ。あの女の子が生意気で、勝手に部屋に入ってこようとしたから出ていけって追い出したもん」
追い出したのか……。
そんないきさつがあったとは夢にも思わなかった。
「知らない女がアパートに来て頭にきたもんだから、センセイにすぐ連絡したんだよ。なのに何度、電話しても出ないし、だんだん心配になって、そしたら、センセイからメッセージがきた。見たら、かけおちしようって書いてあるじゃん。えっ? えっ、嘘っ? マジで? あたしびっくりしたんだよね」
そうか。
アイラはそんなことを書いて、テアシに送っていたのか。
「あたし、あれ見て有頂天になってさ。まさか、センセイがあたしとかけおちしてくれるなんて思わないじゃん。あの女の子に対してもざまあって思ったし。だから、行く行くすぐ行く、どこで待ち合わせる? って入れたら、〇〇橋の下で待ってるってあった。なんで橋の下? って思ったよ。けど、あたしみたいなバカがそんな事、考えるわけないじゃん。アパートの鍵もかけずに走ってここに来たよ」
どんな顔をして言っているのだろう。
こういう時、骸骨って損だよな。
俺は静かに聞いていた。でも、俺の顔も見られなくてよかったかもしれない。
「あたしはセンセイが待っている橋に向かって走った。月が出てたし、車とか電灯とかもあって明るかったけど、橋の下の川の辺りは真っ暗だった。すると、暗闇の中でスマホの明かりが光っていて、あっ、センセイだと思って駆け寄った。でも、そこにいたのはセンセイじゃなかったよ」
ああ、その時、俺は別の場所にいたからな。
テアシは川のふちにしゃがみ込んだ。
俺はテアシの隣に座った。
テアシは真っ暗な川を見ている。
「センセイはいなくて、アイラおばさんだったから。あたし、おばさんに正直に言ったんだ。また生理がこないよって。そしたら殴られた。その後は覚えてない……」
俺は川を睨んでいた。テアシの記憶があいまいでよかった。
お互いが同じよう目にあっていたんだな。そして、おそらく同じ日だったんだ。
俺とテアシが死んだ日は。
「……助けに行けなくて……ごめんな」
それしか言えなかった。
ううん、とテアシは言った。
「いいよ。だってセンセイ今ここにいるじゃん。あたし、センセイがいたらそれでいい。死んでも一緒にいられるなんて幸せだよ」
俺はかける言葉が見つからなくて黙っていた。
「聞いてもいい?」
「ん?」
「センセイはあの日、何をしていた? どこにいたの?」
「あれ? 言わなかったっけ」
「うん。センセイはいつもいろんな事をはぐらかしてばかりだよね……」
テアシの自信なさげな声が届いた。
真っ暗闇の川の流れを見ていると、すべてがどうでもいい事のような気がしてきた。
俺は立ち上がって、テアシの腕を引き上げた。
「行こうか。間に合わなくなるぞ」
「もう少しここにいたい」
「もう真っ暗だし。駅に行く前にどこかで休もうか。俺は少しだけ疲れたよ」
テアシが顔を上げる。
「どこで休むの?」
「俺たちにベッドは必要ないだろ?」
ゴミだらけの廃校で眠れるのだから、どこででも寝られる。
「それか駅の近くにホテルがあるかもしれない。ふかふかのベッドはないかもしれないけど」
「ウキン……」
久々にその名前で呼んでくれたな。
俺はこっそりと笑った。
テアシの声にはどこか怒りが混じっていた。
「なんだよ」
「女心をもう少し勉強した方がいいと思う」
「女心って? なんだそれ」
「骸骨にも女心があるの。そういえば、前にエッチなことされたの思い出したっ」
「エッチなことって……」
ドキッとしながら記憶をたどる。
「ああ! あれか、骨盤をじっと見た、あれか」
テアシが歩き出したので、俺は慌てて追いかけた。
そして、後ろからテアシの手を取る。
感覚は全くないが、テアシは足を止めると俺の腕にしがみついた。
俺たちは暗い夜に向かって歩き始めた。




