3-5
カーラが二階のその部屋に入ったとき、モラードは、大量に積み上げた本の中で、埋もれるように研究をしていた。
入るときにノックをしたはずだが、モラードは、カーラの入室にも気づいていない。
「モラード様。」
内側から、もう一度ノックをすると、モラードは、
「もう少し待っていろ!」
と、声だけで応えた。
モラードは、他人の気持ちに興味がない。
奥さんは、愛想を尽かして出て行ったらしいが、それでも、息子レオは、今も、モラードを父と慕い、必死に父を守ろうとしている。
レオが父を守ると決めたのは、母が家を出て行った時だ。その時、少年レオはこう思った。「もう、父を守ってやれる人は僕しかいない。父がやりたいことをやれる環境を作るのは、もう僕しかいないんだ。」と。そして、一緒にいこうという母の誘いを振り切って、父の元に残る決心をした。
このとき、すでにモラードには、有り余るお金があった。お金に執着はなかったが、多くの事がお金で解決できることを知って、モラードは、お金を道具として使う事を覚えた。私兵を雇い、武力と財力で、邪魔者を排除していく。これで、何の気兼ねなく、自分のやりたいことができるのだ、と。
しかし、その陰で、レオが周囲に頭を下げて回っていたことを、モラードは知らなかった。
レオが、どれほど父を慕っているか。
レオが、父のために何をしてきたか。
そして今、レオが、どのような立場に立たされているか。
モラードは知らねばならなかった。
しばらくして、モラードはペンを置いた。
「何の用だ?」
立ち上がって顔を上げると、モラードは、カーラを見て動きを止めた。
「……?!」
デノビア領にいるはずのカーラが、ここにいる!
「わっ!」
モラードは驚いて、尻もちをついた。
その振動で、山積みの本が床に崩れ落ちる。
「だ、誰か! 誰かいないのか?!」
モラードは、すぐさま人を呼んだ。
が、大声を上げても、誰も応えない。
「誰か! 誰か!!」
叫び続けるモラードに、カーラは、ゆっくりと頷いた。
「……モラード様。デノビア領へ帰りましょう。」
「……?」
「あなたはまだ、デノビア領でやらなければならないことがあるはずです。」
そして、カーラは、扉を大きく開け放した。
すると、廊下の音が、いくらか部屋に流れてくる。
「……?」
カーラはそのまま、モラードをおいて廊下へ出た。
廊下には、外の喧騒が響いている。
カーラが窓際で待っていると、
「……な、何だ?」
と、モラードが、恐る恐る顔を出した。
地響き、野太い声、金属音。
その音に引き寄せられて、モラードが窓の外を覗き見る。
「?!」
眼下には、大型の魔獣がいた。
それも、一頭ではすまない。
五、十、それ以上。
戦っているのは、国王軍だ。
それに、黒衣の兵。
それから、デノビア領軍も。
「!!」
モラードは、その中にレオを見つけて、窓にしがみついた。
「……レオ……。」
見開いた目線の先に、レオがいる。
レオが魔獣と戦っている。
「……何だ……これは……。」
目の前にある現実に、モラードは少しも動けなくなった。
全身を震わせながら、戦うレオを見つめている。
「……ああ。」
カーラは、モラードを祈るように見つめた。
今、モラードは、息子レオを見ている。
魔草の研究にしか興味がなかったモラードが、息子レオを見つめている。
息子レオが、あんな大型の魔獣と戦うところを目にするのは、初めてだろう。
非戦闘員がいるこの建物を背に、魔獣に立ち向かっていくレオを見て、モラードが、何を感じるのか。何を思い、何を考えるのか。
もし、それが「子を想う親の気持ち」であったなら……。
そう、カーラは、願わずにはいられなかった。
そして、カーラは、魔獣と戦っている兵達にも視線を向けた。
国王軍、デノビア領軍、モラードの私兵たち。
本来なら、彼らはこんな場所で、魔獣と戦うことはなかったはずだ。
彼らを、こんな状況に貶めたのは、カーラだ。
(……皆さま。)
妹クイをけしかけ、あんな恐ろしい魔獣と対峙させた罪を、カーラは、痛いほど自覚していた。もしかしたら、怪我をする人がいるかもしれない。もしかしたら、命を落とし、その家族にまで辛い思いをさせてしまうかもしれない。そんな押しつぶされそうな不安ごと、カーラはその責を、一人で背負う覚悟だった。
(……どうか、ご無事で。)
カーラは、ただ祈る事しかできなかった。




