第9話 謎の生物と、自室の平和(自家発電)
【現在の蓄積リビドー:65%】
キーンコーンカーンコーン……。
放課後を告げるチャイムが鳴り響いた瞬間、私はひったくるように鞄を掴み、誰よりも早く教室を飛び出した。
「おい、ジメ子! 何慌ててんだ!?」
「申し訳ありません軽井沢さん! 当方、急を要する家庭の事情により、本日はこれにて失礼させていただきます!」
背後から飛んでくる莉愛さんの声を華麗にスルーし、私は全速力で家路を急いだ。
心臓がバクバクと脈打ち、下腹部の奥底がジンジンと熱を帯びている。
昼休みに、莉愛さんのお友達である千代さんとノン子さんから、至近距離で「ギャルのお尻フリフリ」を見せつけられた代償は大きかった。
空っぽだったはずのリビドーゲージは、みるみるうちに50パーセントまで跳ね上がってしまったのだ。
その後、さらにリビドーは上昇を続けている。
(これ以上、学校に留まるのは危険すぎます! 朝のようにまた限界突破して、学園内でレディ・ドロップに変身などしてしまえば、今度こそ天使の監視網に引っかかってしまいます!)
サキュバスとしての本能が暴走する前に、一刻も早く安全な場所に避難し、己の手で『ガス抜き』を行わなければならない。
つまり、端的に言ってしまえば——
早く家に帰って、自家発電をしてスッキリしたかった。
息を切らしながら自宅にたどり着き、ガチャリと玄関のドアを開ける。
薄暗い三和土に転がり込むように靴を脱いだ、その時だった。
「ふんぬっ!?」
「きゃんっ!?」
足元に、真っ白でモフモフした毛玉のようなものが飛び出してきた。
私は慌ててステップを踏み、ギリギリのところでその毛玉を蹴飛ばすのを回避し、無様に廊下に尻餅をついた。
「お、おっと、危ないところでした。お怪我はありませんか、ルキちゃん」
私が冷や汗を流して尋ねると、その白い毛玉——ポメラニアンは、くるりとこちらを振り向き、愛らしい黒らまな瞳で私をキリッと睨みつけた。
『家の中をドタバタと走るな、下等生物。それと、気安く私の名前を呼ぶんじゃない、わん』
やけに偉そうで尊大なセリフ。
(相変わらず、天衣ちゃんが拾ってきたこの謎の生物は口が悪いですね……)
ルキと名付けられたこのメスのポメラニアン。
背中に小さな白い天使の羽のような模様があり、なぜか人の言葉で会話ができるという、どう考えても普通の犬ではない我が家のマスコットである。
【現在の蓄積リビドー:67%】
(ああもう、犬と遊んでいる場合ではありません! リビドーが少しずつせり上がってきています!)
「はいはい、ごめんなさいね。では、私は急ぎの用事がありますので!」
ルキを無視して、大急ぎで自室に向かおうと廊下を歩き出した私を、リビングの扉から出てきた人影が呼び止めた。
「姉貴。……おかえり」
「ひゃっ!? あ、ああ、天衣ちゃん。ただいま帰りました」
ビクッと肩を跳ねさせて振り返る。
そこに立っていたのは、私とは似ても似つかない、キラキラとしたオーラを放つ中学二年生の妹——潮見天衣だった。
ティーン向け雑誌の読者モデルをしている彼女は、綺麗に手入れされたミルクティーベージュのセミロングヘアを揺らし、部屋着ですら隙のない可愛さを保っている。
天衣ちゃんは、ジメ子で冴えない私を普段から見下しており、生意気な態度ばかりとってくる。
「ねえ、雫」
天衣ちゃんは、不機嫌そうに腕を組み、探るような目で私を見つめてきた。
「今日の朝、雫の高校の近くで……ものすごい変態か、不審者を見なかった?」
ドクンッ!!!!!
心臓が、文字通り口から飛び出そうになった。
(不審者!? それなら、朝イチで軽井沢さんを保健室に連れ込んで緊縛した、レディ・ドロップ(私)の事でしょうか!?)
顔面からサァーッと血の気が引くのを感じながら、私は必死に表情筋を引きつらせて笑顔を作った。
「さ、さあ? 何のことでしょう。本校は真面目で規律正しい生徒ばかりですからね。変態も不審者も、通ってはいませんよ」
「ふーん……。ならいいけど」
天衣ちゃんは私の顔をじっと見つめた後、ふいっと視線を逸らした。
「とんでもなく妖しい気配がしたから、てっきり姉貴の学校にヤバい悪魔でも出たのかと思ったけど。……まあ、雫が見てもわかんないか」
何やらぶつぶつと呟いて、考え事をする妹。
「ねえ、もし怪しい奴を見かけたら、すぐに私に連絡してね」
生意気な口調の中に、微かに混じる姉への心配の響き。
天衣ちゃんは、こう見えて中身は極度のシスコンに違いない。
「は、はい。もちろんです。それでは、私は部屋で勉強がありますので!」
私は逃げるようにして自分の部屋へと駆け込み、ガチャリと鍵をかけた。
「はぁ……はぁ……っ」
ドアに背中を預け、ずるずると床にへたり込む。
危機は去った。
ここは私だけの不可侵領域だ。
安心した途端、抑え込んでいた熱が、下腹部から一気に全身へと駆け巡った。
【現在の蓄積リビドー:68%】
「んぅっ……」
私は制服のスカートを軽く握りしめ、ベッドの上に身を投げ出した。
目を閉じると、今日の昼休みの光景が、鮮明な映像となって脳内にフラッシュバックしてくる。
アッシュグレーのお団子ヘアを揺らして笑う千代さん。
眠たげなタレ目で、ゆるいボブヘアを揺らすノン子さん。
二人の短いスカートがリズミカルに揺れ、その奥にある健康的な曲線美が、私を挑発するようにキュッキュッと踊っていたあの極上の光景——。
【現在の蓄積リビドー:70%】
【現在の蓄積リビドー:85%……っ!】
「あぁ……っ、ギャルのお尻……最高でした……っ」
私は熱い吐息を漏らしながら、自分自身の中心へとそっと手を伸ばした。
妹が一階にいるという、究極の背徳感。それがスパイスとなって、私のサキュバスとしての本能をさらに激しく燃え上がらせる。
「んっ、あ、くぅ……っ!」
クラスメイトたちの悪ノリの挑発を最高のオカズにしながら、私はベッドの上で一人、静かに、そして激しくリビドーの炎を鎮めていった。
【現在の蓄積リビドー:0%】
【リビドーの初期化に成功しました】
「……ふぅ」
十数分後。
すっかり賢者モードになった私は、ティッシュを片付けながら、ベッドの上で呆然と天井を見上げていた。
(なんとか、今日もバレずに一日を終えることができました……。しかし)
学校では美少女たちの誘惑(無自覚)と戦う日々。
覚醒して完全体になってしまえば、私を問答無用で浄化しようとする『天使』に見つかる確率が跳ね上がってしまう。
「私の女子高生ライフ、ハードモードすぎませんか……?」
ポツリと呟いた私の言葉は、誰に届くこともなく、夕暮れの自室に虚しく吸い込まれていった。




