第10話 休日の籠城戦と、清楚なる聖域(トイレ)の残り香
【現在の蓄積リビドー:0%】
休日の朝。
私は着古したジャージ姿のまま、リビングのソファでだらだらと麦茶を飲んでいた。
平和だ。
学園で軽井沢さんたちのお尻に翻弄されることもなく、見えない天使の気配に怯えることもない。
これぞ休日の醍醐味である。
「あっ、そうだ。今日うちに友達が来るからさ。自分の部屋に籠ってて、そんで下に降りてこないでね、姉貴」
そんな私のささやかな安らぎを切り裂いたのは、洗面所から出てきた妹——
潮見天衣だった。
中学生ながらティーン向け雑誌の読者モデルを務める彼女は、休日の朝から完璧なスキンケアを終え、ミルクティーベージュのセミロングヘアを艶やかに輝かせている。
姉の私から見ても、ちょっと引くくらい可愛い。
「お友達ですか。へぇ〜、どんな子たちですか?」
私が尋ねると、天衣ちゃんは不機嫌そうに整った眉をひそめた。
「別に雫に関係ないでしょ。ただのクラスメイトで、読モ仲間よ。いい? 私の友達の前で、そんなヨレヨレのジャージでウロウロされたら――見られるこっちが恥ずかしいから、絶対に姿を見せないでよ」
「うっ……分かりましたよ。どうせ私は日陰者ですからね」
(天衣ちゃんの仕事仲間ですか。悪い友達ではなさそうですね。それにしても読モということは、さぞかしレベルの高い美人さんなのでしょうか?)
そんな想像を膨らませながら、私はすごすごと二階の自室へと引き上げた。
* * *
言いつけ通りに部屋にこもった私は、ノートパソコンを起動し、積みゲーになっていた百合エロゲーの消化に勤しんでいた。
画面の中では、可憐な少女たちが制服姿のまま、それはもうけしからん体勢で愛を育んでいる。
【現在の蓄積リビドー:15%】
(ふぅむ……。やはり二次元の摂取でも、サキュバスとしてのリビドーは多少なりとも刺激されてしまうようですね。とはいえ、この程度なら全く問題ありません)
マウスをクリックしながら、私はふと一階の様子に耳をすませた。
数十分前から、下では女の子たちの華やかな笑い声が聞こえている。
どうやら天衣ちゃんの読モ仲間たちが到着したらしい。
それと一緒に、『クゥ〜ン、わんわんっ!』という、やけに尊大な響きを持った鳴き声も聞こえてくる。
(それにしても、天衣ちゃんが拾ってきたあの謎の生物——ルキちゃん。よく考えると変な犬ですね。人の言葉を喋りますし……、得体の知れない未確認生物が家にいるとか、ちょっと怖いですね)
私がそんな呑気なことを考えていた、その時だった。
「……っ」
下腹部に、ツンとした特有の圧迫感が走った。
(しまった……。朝から麦茶をがぶ飲みしすぎました。猛烈に、トイレに行きたいです)
しかし、我が家のトイレは一階、リビングのすぐ横にある。
天衣ちゃんからは「絶対に姿を見せるな」と厳命されている。もし見つかれば、後でどんな罵詈雑言を浴びせられるか分かったものではない。
「し、しかし、このままでは膀胱が破裂してしまいます……!」
私は意を決して部屋を出た。
抜き足、差し足、忍び足。
私は階段の壁にへばりつくようにして、音を立てずに一階へと降りていく。
まるで敵地に潜入する特殊工作員のような緊張感だ。
リビングの扉は閉まっている。
中からは楽しげな会話が漏れ聞こえていた。
(よし、今なら誰も廊下に出てきません。この隙に一気に……!)
私がトイレのドアノブに手を伸ばそうとした、まさにその瞬間だった。
——カチャリ。
内側から鍵が開く音がして、トイレのドアが手前に開いた。
「——ひゃっ!?」
私は咄嗟に後ずさり、息を呑んだ。
そこから現れたのは、息を呑むほどの『美』だった。
年齢は天衣ちゃんと同じくらいだろうか。
しかし、纏っているオーラが私のような地味子とは決定的に違う。
腰まで届く、艶やかで美しいサファイアブルーのストレートロングヘア。
陶器のようになめらかで白い肌。そして、すべてを見透かすような、涼しげでミステリアスな青い瞳。
まるで、一流の職人が丹精込めて作り上げた、アンティークのフランス人形がそのまま歩き出したかのような、圧倒的な清楚系美少女だった。
「あっ……」
青髪の美少女は、廊下に立ち尽くすジャージ姿の私を見て、ほんの少しだけ目を丸くした。
「えっと、あの、その……っ」
私は極度の緊張で、言葉を詰まらせた。
「あっ、お姉さんですか?」
彼女は、透き通るような美しい声で、ふわりと微笑んだ。
「私は天衣の友達の、雅 魅夜と申します。今日はお邪魔しております」
ぺこりと上品にお辞儀をする魅夜さん。
その所作一つ一つが、洗練されたお嬢様そのものだった。
「あ、あっ、えっと! 天衣の姉の、潮見雫です。い、いつも妹がお世話になっております……っ」
私は顔を真っ赤にして、ギクシャクとお辞儀を返した。
平静を装ってはいるが、心臓は早鐘のように打ち鳴らされている。
もちろん、彼女のあまりの美しさにドギマギしているのもある。
だが、私のサキュバスとしての本能——いや、限界オタクとしての変態的な思考回路は、別の事実を猛烈な勢いで処理し始めていた。
(ま、待ってください。ということは……。この、この世のものとは思えないほどの超絶美少女が、つい数秒前まで、我が家のこのトイレで……個室で、用を足していた、ということですよね……!?)
フワリ、と。
開け放たれたトイレのドアの隙間から、石鹸のようないい香りと、ほんのりとした生温かい空気が、私の鼻腔をくすぐった。
【現在の蓄積リビドー:40%】
(ああっ! なんて素晴らしい残り香! 香りだけではありません! 今、私がこのまま便座に座れば、それは実質的に、魅夜さんの肌の温もりを直接お尻で受け止めることになるのでは!?)
ダメだ、そんな破廉恥なことを考えてはいけない。
しかし、理屈ではないのだ。
目の前にいる清楚で神聖な美少女。そして、彼女が使った直後の、合法的に侵入できる密室空間。
サキュバスである私の脳内で、背徳感とフェティシズムが化学反応を起こし、爆発的なエネルギーとなって下腹部から全身へと駆け巡っていく。
【現在の蓄積リビドー:65%】
「あの、お姉さん? どうかされましたか? 顔が赤いようですが……」
魅夜さんが、不思議そうに首を傾げて私を見つめてくる。
そのサファイアブルーの瞳に吸い込まれそうになる。
「い、いえ! な、なんでもありません!」
私は必死で取り繕うが、脳内ではトイレの中の情景に思いを馳せていた。
狭い個室の中に充満する、魅夜さんの残した甘やかな空気。
そして、まだ微かに温もりを残しているであろう便座。
【現在の蓄積リビドー:85%】
【警告:リビドーゲージが急上昇しています】
(くっ……! 落ち着きなさい、潮見雫! ここでリビドーを暴走させたら、妹の友達の目の前でレディ・ドロップに変身するという前代未聞の大惨事になってしまいます!)
私は小刻みに震えながら、尿意を我慢する。
そして、必死にリビドーゲージの上昇を抑え込もうと悶絶するのだった。




