第5話 ギャルへの報告と、背後からのデュフフ
昼休み。
燦々と太陽の光が降り注ぐ中庭を遠目に眺めながら、私は人気のない旧校舎の空き教室にいた。
埃っぽい空気と、使われなくなった古い机が並ぶだけの寂しい空間。
そこに、場違いなほど華やかな香水の匂いが漂っている。
「——で? 聞かせてもらおうか、ジメ子。昨日のミッションの結果はどうだったわけ? まさか、何もせずに帰ったなんて言わないよね?」
教壇に腰掛け、短いスカートから大胆に生足を投げ出しているのは、クラスのトップギャルである軽井沢莉愛さんだった。
彼女は鋭いプラスチックのネイルをパチンと鳴らし、私の顔をじっと見つめてくる。
私はごくりと唾を飲み込み、前髪の隙間から莉愛さんの綺麗な顔を見返した。
そして、おずおずと報告を開始する。
「は、はい……。結論から申し上げますと、きちんと確かめてきました。軽井沢さんに言われた通り、天ヶ瀬会長のスカートの中の匂いを……その、嗅いできました」
「はぁ!? お前、マジでやったの!?」
莉愛さんが驚きのあまり教壇から飛び降りた。
ローファーが大きな音を立てる。
「や、やりましたとも! 嘘ではありません! 会長の匂いは……なんと言いますか、とても清らかで、清楚な、聖なる花の香りがしました!」
私は胸を張って言い切った。
嘘は言っていない。
清子様の匂いは本当に素晴らしかった。
けれど、私は大事な事実を一つ、胸の奥深くに隠し持っていた。
それは、清子様が穿いていたのが、あの清純な容姿からは想像もつかないような『極薄の黒レースの下着』だったということだ。
(言えません……! いくら莉愛さんに脅されているからとはいえ、清子様の名誉のためにも、あのハレンチな黒レースの件だけは、私の墓場まで持っていかなければなりません……!)
【現在の蓄積リビドー:18%】
昨夜の完全覚醒のおかげでゲージはリセットされたはずなのに、清子様の下着を思い出すだけで、私の心臓がピキピキと音を立ててゲージを押し上げる。
そんな私の内なる葛藤を知る由もない莉愛さんは、両手を腰に当てて、信じられないものを見るような目で私を凝視していた。
「マジか……。頭いかれてんじゃねーの、おまえ……。本当に生徒会長のスカートめくるとか、ガチの犯罪じゃん。……じゃあさ、どんなパンツ穿いてたか言ってみろ?」
莉愛さんがニヤニヤしながら、私に顔を近づけてくる。
ギャル特有の距離感の近さ。
彼女が動くたびに、甘いココナッツのような香水が鼻をくすぐり、私のリビドーがさらに数パーセント上昇した。
【現在の蓄積リビドー:22%】
「そ、それについては……言えません」
「は? なんでだよ」
「言えないものは言えないのです! それは乙女のプライバシーであり、私が守るべき最後の砦ですから!」
「怪しいなー。そこまで頑なに隠すとか、やっぱり嘘だろ? 怖気づいて何もできなかったのを、それっぽい嘘で誤魔化そうとしてるんじゃねーの?」
莉愛さんは目を細め、私の胸ぐらを掴むかのように一歩詰め寄ってきた。
「う、嘘ではありません! 本当にこの目で、そしてこの鼻で奇跡を体験してきたのです!」
「はいダウト。証拠がないなら嘘決定ー。あーあ、せっかくアタシのプライドを傷つけた暴言を許してやろうと思ったのになー。サボった詫び、きっちり入れてもらおうか」
莉愛さんは意地悪く笑うと、私の財布が眠る制服のポケットを指差した。
「今日の昼飯、アタシの分も奢れ。売店で焼きそばパンとイチゴオレ買ってこい。ダッシュな」
「そ、そんな〜……! 私の今月の全財産が底を突いてしまいますよ……!」
私がその場に崩れ落ちそうになった、まさにその時だった。
* * *
「——デュフフ……。潮見さんの言っていることは、すべて本当ですよ……ふひっ」
ガタゴトと、空き教室の隅に積み上げられていた古い机の影から、ぬるりと黒い人影が現れた。
どんよりとした暗いアッシュグレーのショートカット。
前髪で完全に目が隠れており、猫背で首からゴツい一眼レフカメラを下げた女子生徒——高校2年生の影山暦さんだった。
「うわっ!? 何、おまえ!? いつからそこにいた!?」
莉愛さんが素っ頓狂な声を上げて飛び退く。
「むふふ……。最初から、ずうっといましたよ、軽井沢さん。それよりも、これを見てください……ふひひっ」
暦さんは気味の悪い笑い声を漏らしながら、手慣れた手つきでカメラの液晶画面を私たちに突き出してきた。
「こ、これは……!」
私と莉愛さんは、同時にその画面を覗き込んだ。
そこに映し出されていたのは、夕暮れの旧校舎の階段。
派手にひっくり返って廊下に倒れ込んでいる私(ジメ子)の姿と——その目の前で腰をかがめている、天ヶ瀬清子会長の姿だった。
構図が最悪だった。
清子様が、私を心配してしゃがんでいる。
その股間の前には、私の後頭部があった。スカートの奥をガン見している瞬間が、恐ろしいほどの高画質で捉えられていた。
「デュフフ! 会長を写真に撮ろうと付け回していたら、偶然この歴史的瞬間を写しまして。残念ながら、潮見さんの頭がジャストミートで邪魔をしており、秘部……すなわちパンツ自体は写っておりませんが、位置関係からして、彼女の網膜には確実にその聖域が焼き付いていたはずです。羨ましいです。ぐへへへへ……!」
暦さんはカメラを愛おしそうに撫でながら、じゅるりと涎をすするような音を立てた。
「お、おおう……」
莉愛さんは完全に圧倒されていた。
あまりのガチ写真の登場に、疑いは完全に晴れたようだったが、それ以上に別の問題が発生していた。
莉愛さんはゆっくりと首を回し、憐れみと恐怖が半分ずつ混ざったような目で私を見つめた。
「ジメ子……お前、本当にやったんだな……。しかも、どさくさ紛れに――自分を心配する相手のパンツの匂いを嗅ぐとかさ。ガチの変態じゃん……ちょっと引くわ……」
「ち、違うのです! これは不可抗力と言いますか、階段で足がもつれてずっこけた結果でありまして……!」
「いや、言い訳はいいから。とりあえず、パンはもういいわ。――じゃあな!」
莉愛さんはひらひらと手を振りながら、引きつった笑みを浮かべて、逃げるように空き教室から走り去っていった。
* * *
釈放されたのは嬉しいけれど、クラスのトップギャルに「ガチの変態」として認定されてしまった悲しみが、私の胸に重くのしかかる。
【現在の蓄積リビドー:15%】
精神的ダメージのせいで、リビドーゲージが少しだけ下がってしまった。
「あの……助かりました、影山さん。それで、その……この後のことも見ましたか?」
私は冷や汗を流しながら、暦さんに尋ねた。
もし、私がレディ・ドロップに変身して清子様を保健室に連れ去ったところまで見られていたら、私のサキュバス人生は完全に終了だ。
「いえ……それが不思議なことに、この写真を撮った直後、急に頭がぐにゃりとして、意識が飛んでしまいまして……。気が付いたら、我らが写真部の部室のソファにひっくり返っていたのです。ふひっ。パンツが写っているかもと思って、急いで確認したのですが、先ほどの通りでして。無念です!」
「そうですか……。それは、残念でしたね(よかったあああああ!!!)」
心の中でガッツポーズを炸裂させる。
どうやら、完全体サキュバスが本能的に放った隠蔽魔法が作用して、部外者である暦さんの意識を遠ざけ、記憶をプロテクトしてくれたようだった。
悪魔の力、様々である。
安堵して胸をなでおろす私に、暦さんは一歩、また一歩と猫背のまま距離を詰めてきた。
前髪の隙間から、爛々と輝く怪しい光が覗いている。
「それよりも、潮見雫さん……。あなた、我らが写真部に入りませんか? 部室には、あなたのように美少女を愛し、美少女に飢えた、同好の士が揃っていますよ……くひっ、くひひっ!」
「同好の、士……ですか?」
暦さんの差し伸べてきた手は、少しだけ怪しかったけれど。
「美少女」という甘美な響きに、私のサキュバスとしての本能が、またしてもピクリと小さな反応を示すのを止めることができなかった。




