第29話 廃部の危機と、追い詰められたジメ子
駅前のファストフード店。
ポテトが揚がるジャンクな油の匂いと、放課後の学生たちの賑やかな笑い声が交差する店内の片隅で、私たち五人は、まるでそこだけお通夜のような重苦しい空気を纏ってテーブルを囲んでいた。
「うぅ……っ、ぐすっ……私の、私のせいです……。私が、あんな破廉恥な小説を書いたばかりに……ごめんなさい、皆さんの大切な部室を……っ」
パステルグリーンのウェーブヘアを揺らしながら、文芸部の千代田野乃さんがテーブルに突っ伏して号泣している。
つい一時間前。
学年主任の冴子先生と委員長の橙子さんによる『ガサ入れ』を受け、私たちの写真部は事実上の廃部宣告を受けた。
即座に部室から追い出された私たちは、とりあえずこのファストフード店に逃げ込み、緊急の作戦会議(という名の反省会)を開いていたのだ。
「あーもう、千代田ちゃん泣かないで! 誰も君のこと責めてないからさ!」
部長の蓮見アリス先輩が、隣に座る野乃さんの肩を抱き寄せ、よしよしと頭を撫でている。
プラチナブロンドの髪を揺らすイギリス人ハーフの超絶美人。
彼女が身を乗り出すたびに、制服の開いた胸元からこぼれんばかりのFカップが、野乃さんの華奢な背中にむにゅん、むにゅんと押し付けられていた。
(……おおぅ。あんな絶望的な状況の直後だというのに、アリス先輩のわがままボディのせいで、私のサキュバスとしてのリビドーが微弱に反応してしまいます)
私はストローでメロンソーダの氷をカラカラとつつきながら、極度の猫背のまま現実逃避気味にその光景を眺めていた。
「デュフフ……気にする必要はありません、千代田さん。写真部が失われたのは痛手ですが、あの『冴子×橙子』の究極の尊厳破壊シチュエーションを読めただけで、我が写真部……いや、パンチラ研究会としては本望というもの……くひっ」
私の対面では、前髪で完全に目を隠した影山暦ちゃんが、ポテトを齧りながら気持ち悪い笑い声を漏らしていた。彼女は廃部危機だというのに、未だに没収された小説の余韻に浸っているらしい。
「こ、暦先輩! 不純すぎますぅ! 部室がなくなったら、私たちがこっそり集めた『美少女たちの尊い日常百合写真』のデータバンクも没収されちゃうんですよ!? どうするんですかぁ!」
唯一の常識人である一年生の小鳥遊紡ちゃんが、おさげ髪を振り乱しながら半泣きでツッコミを入れた。
気弱な彼女だが、裏では隠れ百合マニアであり、誰よりも写真部の活動(隠し撮り)に情熱を注いでいる。その彼女がここまで焦っているのを見ると、事態の深刻さが改めて浮き彫りになった。
「そうなんだよねー」
アリス先輩が、野乃さんを抱きしめたまま大きなため息をつく。
「冴子ちゃん……佐々木先生、マジでガチギレしてたじゃん。明日には正式な廃部届を出すって言ってたし。これを覆すには、余程の奇跡が起きるか、学校の超上層部に直談判してコネで握り潰すくらいのウルトラCが必要だよ?」
上層部への直談判。
アリス先輩のその言葉を聞いた瞬間、それまで泣きじゃくっていた野乃さんが、ハッと顔を上げた。
涙で濡れた瞳が、なぜか一瞬だけキラリと希望の光を帯びる。
「……あ、ありますっ! コネなら、私たちには最強のコネクションがあります!」
「え? マジで? 誰がそんなの持ってるの?」
アリス先輩が目を丸くする。
暦ちゃんと紡ちゃんも、ポテトを食べる手を止めて野乃さんに注目した。
もちろん、私もメロンソーダから口を離し、首を傾げた。
野乃さんは鼻をすすると、まるで救世主を崇めるような、信じられないほど真っ直ぐでキラキラとした尊敬の眼差しを、一直線に私へと向けてきたのだ。
「潮見さんです!!」
「…………はへ?」
私は間の抜けた声を出した。
* * *
「潮見さんは、泣く子も黙る生徒会トップ……生徒会長の清子先輩と、副会長の絵里香先輩と、個人的に極めて親密な、特別なご関係なんですっ!? 潮見さんからお二人に頼み込んでいただければ、生徒会の権力で覆せるかもです!」
ピタリ、と。
ファストフード店の喧騒の中で、私たちのテーブルだけが時を止めたように静まり返った。
(えっ? 野乃さん、突然何を言って————あっ!)
脳内の記憶の引き出しが、ガラガラと音を立てて開く。
あれは数日前。
野乃さんと初めて部室で二人きりになった時のことだ。
彼女の暴走する百合妄想を煽り、かつ自分を大きく見せるために、私は適当なでまかせを口にした。
『実は私、生徒会のトップ二人から激しく愛されていて、毎日のように取り合われているんです——』と。
あれは、完全なる私の妄想、正真正銘の『真っ赤な嘘』であった。
「……えっ!? し、潮見ちゃんが!? あの生徒会長たちと!?」
「デュフフ……!? 潮見さん、ただ者ではないと思っていましたが、そんな特大のコネを持っていたのですか……!?」
「し、潮見先輩……っ! すごいですぅ! さすがは私の先輩ですぅ!」
アリス先輩、暦さん、紡ちゃんの三人が、一斉にバッと身を乗り出し、私の顔を至近距離で覗き込んできた。
三人の瞳には、「頼む、私たちを救ってくれ」という強烈な期待と、尊敬の念がこれでもかとばかりに溢れている。
「あ、いや、あの、その……」
私の背筋を、滝のような冷や汗が流れ落ちていく。
心臓が早鐘のように打ち鳴らされ、口の中がカラカラに乾いた。
(ち、違います! あれは私が調子に乗って吹いたただのホラ話です! 生徒会のトップ二人なんて、私は遠くから眺めたことすら数回しかない、完全なる高嶺の花なんです!!)
喉まで出かかったその真実を、私はどうしても口に出すことができなかった。
もし今、「あれは嘘でした」なんて言えばどうなる?
廃部の原因を作って泣いていた野乃さんを絶望の底に突き落とし、純粋な尊敬の目を向けてくれている後輩の紡ちゃんを裏切り、アリス先輩や暦さんから「なんだよ、ただの虚言癖の陰キャかよ」と軽蔑されるに決まっている。
写真部(パンチラ研究会)は、学校内で誰からも相手にされない私が、唯一自分の本性を曝け出せる大切な居場所なのだ。
それを自分の口から崩壊させることなど、絶対にできない。
「潮見さん……! お願いします! 私のせいで皆さんの部室がなくなるなんて、絶対に嫌です……っ! どうか、生徒会のお二人の力を貸りてください!」
野乃さんが、私の両手をギュッと握りしめ、涙ながらに懇願してきた。
「お願い潮見ちゃん! 頼れるのは君しかいないのよ!」
「デュフフ……頼みましたよ、我が盟友……ふひっ!」
「潮見先輩、一生ついていきますぅ!」
四方向から浴びせられる、逃げ場のない期待とプレッシャー。
完全に退路を断たれた私は、引きつった笑顔を顔面に張り付けたまま、小刻みに震える声で答えるしかなかった。
「……ふふ、ふふふ。ええ、ええ! もちろんです! この私、潮見雫にお任せください! 生徒会長たちを動かし、写真部の廃部など、必ずや撤回させてみせましょう!!」
「「「「おおおおおっ!!!」」」」
四人が歓喜の声を上げ、ハイタッチを交わして盛り上がる中。
私はテーブルの下で、膝をガクガクと震わせていた。
(終わりました。完全に詰みました。コネなんて微塵もないのに、どうやってこの絶体絶命の状況を覆せばいいんですか……!)
正面から説得しても、冴子先生と橙子さんが許してくれるはずがない。
となれば——
残された手段は、ただ一つ。
私が人間としての正攻法を捨て、サキュバス『レディ・ドロップ』としての魔力を行使し、あの二人を直接、力技で『わからせる』しかない。
天使に見つかるリスク?
そんなものを気にしている余裕は、もはや1ミリも残されていなかった。
私は空になったメロンソーダのグラスを睨みつけながら、破滅的な決断へと腹をくくったのだった。
(第30話へ続く)




