第24話 文芸部室の密室取材と、暴走する妄想録
「あの……ちょっと、いいですか? 潮見さん」
放課後の廊下。
いつものように旧校舎にある写真部の部室へ向かっていた私は、背後からかけられた控えめな声に足を止めた。
振り返ると、パステルグリーンのウェーブヘアを揺らした小柄な女子生徒が、大事そうに大学ノートを胸に抱えて立っていた。
同じ二年生の千代田野乃さんだ。
「千代田さん? 私に、何か御用でしょうか……?」
私は極端な猫背のまま、前髪の奥からおずおずと尋ねた。
普段、図書室の片隅でひっそりと本を読んでいるような大人しい彼女が、学年でもトップクラスの陰キャである私に話しかけてくるなんて珍しい。
「その……突然ごめんなさい。実は、私の小説の執筆に、少しだけ協力してほしくて……」
「小説の、執筆に――?」
上目遣いでモジモジと頼み込んでくる千代田さん。
マシュマロのようにふんわりとした癒やし系の雰囲気に、私のチョロい自尊心は簡単にくすぐられた。
(ほほう……? クラスでも目立たない彼女が、わざわざこの私を頼ってくるとは。写真部の活動は基本的に自由参加ですし、今日は千代田さんに付き合いますか。――たまには人助けをしてあげるのも悪くありません。なにより、この純朴そうな文学少女の匂い、なかなかそそられます)
「わかりました。私でよければ、お力になりますよ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
千代田さんはパァッと顔を輝かせた。
私は一度写真部の部室へ顔を出し、アリス先輩たちに「今日は友人の手伝いがあるので休みます」とドヤ顔で断りを入れてから、千代田さんの案内で文芸部の部室へと向かった。
* * *
文芸部の部室も、私たち写真部と同じく旧校舎の片隅にあった。
ギィ、と立て付けの悪いドアを開けると、古い紙とインクの匂いがふわりと漂ってくる。壁際の本棚にはおびただしい数の書籍が積まれ、中央の長机には原稿用紙や資料が無造作に広げられていた。
「散らかっていてごめんなさい。適当に座ってください」
千代田さんに促され、私はパイプ椅子に腰を下ろした。
窓の外からはグラウンドの部活動の声が遠く聞こえるが、この部屋の中は奇妙なほど静まり返っている。
「他には誰もいないんですか?」
「ええ。うちの部は部員が少ないですし、今日は私一人です」
千代田さんは私の対面に座り、コト、と持っていた大学ノートを机の上に置いた。
完全なる密室。二人きり。
私は少しだけドキドキしながら姿勢を正した。
「それで、私は何をすればいいんですか? 何か写真の資料でも必要ですか?」
「いえ、そうじゃないんです。潮見さんにお願いしたいのは……『取材』です」
「取材?」
「はい。今度書く小説のテーマについて、どうしても潮見さんご本人からお話を伺いたくて」
千代田さんは、ゴクリと唾を飲み込み、真剣な眼差しで私を真っ直ぐに見つめた。
そして、信じられない言葉を口にした。
「テーマは——生徒会長の天ヶ瀬清子先輩、副会長の御園絵里香先輩、そして潮見さんの間で繰り広げられる、『禁断の三角関係』についてです」
「…………?」
私はポカンと口を開けた。
今、なんと?
生徒会長と、副会長と、私の、三角関係?
千代田さんは頬をほんのりとピンク色に染めながら、熱を帯びた声で語り始めた。
「私、今朝見てしまったんです。校門で、清子先輩と潮見さんが親しげに会話しているところを。そこへ、まるで嫉妬に狂ったかのように絵里香先輩が割って入って、潮見さんを厳しく叱責する姿を……! あの瞬間、私の脳内に鮮烈なインスピレーションが舞い降りたんです!」
「い、いや、あれはただ私が怒られていただけというか……」
「隠さなくても大丈夫です! 私にはわかります。あの三人の間に流れていた、愛憎渦巻く複雑な空気。絶対的な権力者である二人の美しい先輩が、平凡な一人の下級生を巡って火花を散らしている……。これこそ、私が求めていた究極の百合小説の題材です!」
千代田野乃。
大人しい癒やし系の文学少女だと思っていた彼女の正体は、現実の人間関係を勝手にエロティックな脳内妄想で変換してしまう、重度の『百合妄想オタク』だったのだ。
彼女は妄想の世界を夢見ている。
私はここで「誤解です」と全力で否定するべきだろう。
しかし、その時の私は、千代田さんの真剣な眼差しと、「権力者二人に奪い合われるヒロイン」という甘美な設定に、すっかり気を良くしてしまっていた。
(ふ、ふふふ……。なるほど? 千代田さんの目には、私がそんな風に映っていたのですね。確かに、昨日の絶対空間でのお仕置きを考えれば、あのお二人と私が『深い関係』にあると言っても過言ではありません。相手は大人しいオタク少女。少しばかりサービスして、私の妄想を語ってあげるのも一興というものです)
私はわざとらしくコホンと咳払いをし、憂いを帯びたヒロインのような表情を作って、重々しく口を開いた。
「……ふぅ。まさか、千代田さんにそこまで見抜かれていたとは思いませんでした」
「えっ!? じゃ、じゃあ、やっぱり……!」
「ええ。実は私と清子さまは、周囲には秘密にしていますが、誰もいないところでは典型的な『お姉さまと妹』の関係なんです。清子さまは私を溺愛していて、二人きりになるととても甘やかしてくれるんですよ」
私はニヤニヤしそうになる口元を必死に引き締めながら、あることないこと(完全に私の願望)をペラペラと語り出した。
「そして、清子さまを私に取られたと嫉妬した絵里香さまが、私にきつく当たるんです。でもね、千代田さん。絵里香さまのあの厳しい叱責の中には、単なる嫉妬だけじゃなく……私に対する、歪んだ『情欲』も混じっているんですよ」
「じょっ、情欲……ッ!?」
千代田さんの肩が、ビクンと大きく跳ねた。
「ええ。絵里香さまは、私を憎みながらも、私のことが欲しくてたまらないんです。だから、誰もいない生徒会室で、私に情欲交じりのお仕置きをしてくるんです。あんなことや、こんなことを……」
私が即興で作り上げた(半分は昨日の実体験だが)捏造エピソードを語り終えると、文芸部の部室は水を打ったような静寂に包まれた。
……やりすぎただろうか。
いくらなんでも嘘くさすぎたかもしれない。
そう思って千代田さんの顔を覗き込んだ、次の瞬間。
「さ、最高じゃないですかぁぁぁぁッ!!」
ダンッ!!
と長机を両手で叩き、千代田さんが立ち上がった。
「ひぃっ!?」
パイプ椅子から転げ落ちそうになった私の目に映ったのは、先ほどまでの「おっとりした癒やし系少女」の面影を完全に失った、未知の生物の姿だった。
パステルグリーンの髪を振り乱し、普段は隠れている瞳孔が限界まで開いている。その目は完全に血走り、荒い鼻息が「フンス、フンス!」と部室に響き渡っていた。
「もっと! もっと詳しく教えてください、潮見さん! 清子先輩の甘やかし方とは具体的にどういう手つきですか!? 絵里香先輩の情欲交じりのお仕置きとは、身体のどの部位を、どんな風に責められるんですか!?」
「え、あ、ちょ、千代田さん……?」
私は完全に圧倒されていた。
火のついたオタクの熱量は、時にサキュバスの魔力すら凌駕する。
身を乗り出し、机の上に這い上がるような勢いで私に詰め寄ってくる千代田さん。
その血走った視線は、もはや私を「人間」ではなく「至高の百合素材」としてしか見ていなかった。
「さあ、詳細なディテールを! 嘘偽りのない、生々しい一次資料を私に提供してください!!」
調子に乗ってホラを吹いた代償は、想像を絶する形で私に牙を剥こうとしていた。
(第25話へ続く)




