第23話 記憶改竄の朝と、物陰の文学少女
(捕まる……。今日こそ間違いなく、私はお縄を頂戴してしまいます……!)
爽やかな朝日が降り注ぐ百合ヶ丘高校の通学路。
周囲の生徒たちが談笑しながら歩みを進める中、私――潮見雫は一人、極限まで猫背を丸め、胃の痛みに耐えながら校門へと向かっていた。
前髪の奥の目は血走り、目の下のクマは昨日よりもさらに濃くなっている気がする。
昨日の放課後、私は自らの溢れ出すリビドーを抑えきれず、サキュバス『レディ・ドロップ』として完全に覚醒してしまった。
そしてあろうことか、学校の最高権力者である生徒会長と副会長を絶対空間に閉じ込め、あんなことやこんなこと(主にパンチラ撮影やお仕置き)をして蹂躙してしまったのだ。
一応、事後に残存魔力を振り絞って『潮見雫という生徒は、生徒会室で厳重注意を受けただけで解放された』という記憶の書き換えと隠蔽処理を施し、お二人を自宅のベッドまで転移させた。
だが、私の魔法は完璧なのだろうか?
もし、ほんの少しでも『赤いランジェリー』や『黒いTバック』をイジメられた記憶が彼女たちの脳内に残っていたら?
想像するだけで背筋が凍る。
間違いなく退学どころの騒ぎではない。
社会的抹殺、いや、物理的に東京湾に沈められても文句は言えない大罪だ。
(遠くからパトカーのサイレンが聞こえたら、すぐに隠密魔法で裏山へ逃げ込みましょう。ええ、そうします……)
ビクビクと周囲の気配を伺いながら、泥棒のように忍び足で校地の敷地内へと足を踏み入れた、その時だった。
「おはよう、潮見さん。今朝は随分と早いのね」
背後から、鈴を転がすような澄んだ声が響いた。
* * *
ビクゥッ!!
と全身の毛が逆立つ。
恐る恐る振り返ると、そこには艶のある黒髪のストレートロングを朝の風に揺らす、美しき生徒会長・天ヶ瀬清子さまが微笑みながら立っていた。
シワ一つない完璧な制服の着こなし。
彼女が歩み寄るだけで、周囲の空気が浄化されるような花の香りが漂ってくる。
「ひゃ、ひゃいっ!? お、おはよう、ござい、ます……っ」
私は心臓を口から吐き出しそうになりながら、どもりまくって挨拶を返した。
顔面が土気色になっている自信がある。どうしよう、あの微笑みは罠かもしれない。「おはよう(この痴女)」という意味かもしれない。
しかし、清子さまは私の不審な挙動を気にする様子もなく、優しく小首を傾げた。
「昨日も言ったけれど、写真部の廃部についてはもう少し保留にして、生徒会で様子を見ることになったから。あまり落ち込まないでね。それから……盗撮まがいの真似は、もう二度と駄目よ?」
「あ……えっ?」
清子さまのその言葉を聞いて、私は固まった。
保留。
様子を見る。
昨日の記憶……。
(お、おおお……っ! やりました、完璧です! 私の記憶改竄処理は、寸分の狂いもなく清子さまの脳に定着しているようです!)
安堵の波が、一気に全身を駆け巡る。
昨日のあの淫靡で過激な絶対空間での出来事は、彼女の中ではすっかり『お説教をして終わった』ことに変換されているのだ。
「は、はいっ! もちろんです、清子さま! 私は生まれ変わりました! これからは清く正しく、被写体へのリスペクトを忘れないカメラマンとして生きていきます!」
調子の良い言葉がスラスラと出てくる。
急に元気になった私を見て、清子さまは「ふふっ、元気がいいわね」と小さく笑ってくれた。
(あぁ……なんて美しい微笑みでしょう。しかも、昨日はあんな情熱的な真っ赤な下着を身に着けていたなんて……ギャップ萌えの致死量です)
すっかり安心し、夢見心地のフワフワとした気分になった私は、清子さまと他愛のない会話を交わしながら、持ち前の隠密能力(気配を消すスキル)を悪用し、悟られないようにスススッと清子さまの斜め後ろにポジションを移すと、こっそりと鼻から深呼吸をした。
* * *
(すぅぅぅぅぅ……っ。はぁぁ、素晴らしい。清純で気高い、極上のいい匂いです。朝から最高のリビドー補給……)
「ちょっと、そこの不良生徒。清子から離れなさい」
私が変態的な深呼吸を満喫していた、まさにその瞬間。
氷の刃のように冷たく、鋭い声が私たちの間に割って入った。
「ひっ!?」
バサッと音がするほどの勢いで私の前に立ち塞がったのは、凛とした銀髪のハーフアップを揺らす副会長・御園絵里香さまだった。
彼女は清子さまを庇うように背中に回し、私を射殺さんばかりの鋭い眼光で睨みつけている。
「おはよう、絵里香。そんなに睨まなくても、潮見さんは昨日のことを反省しているみたいよ?」
清子さまが苦笑しながら宥めるが、絵里香さまの警戒心は一向に解けなかった。
「清子、あなたは人が良すぎるのよ。……潮見雫。昨日はどういうわけか上手く誤魔化されてしまったけれど、私の目は節穴じゃないわ。あなたは、なんだかすごく危険な気配がする。これ以上、清子に馴れ馴れしく近づくのは私が許さないわよ」
チクッ、と釘を刺すような冷酷な声。
どうやら、昨日の記憶自体は消去できているものの、絵里香さまが持ち合わせている動物的な『野生の勘』というか、私に対する本能的な警戒感までは消し去れなかったようだ。
(ふひひっ。朝からあのクールビューティーな絵里香さまにゴミを見るような目で叱責されるなんて……最高のご褒美です。あの制服の下に、あんな過激なTバックを穿いていると思うと、その冷たい態度すら極上のスパイスですね)
「は、はいぃ……気をつけますぅ……」
私は表面上は怯えたように震えながらも、内心ではガッツポーズを決め、絵里香さまから漂うミントのようなクールな残り香までちゃっかり堪能していた。
* * *
生徒会トップの二人と、しがない日陰者の写真部員である私。
そんな奇妙なスリーショットでの登校風景を、少し離れた植え込みの物陰から、じっと熱い眼差しで観察している生徒がいることに、この時の私はまったく気がついていなかった。
「……ああっ、素晴らしいわ。清子先輩を巡る、絵里香先輩と潮見さんの愛憎渦巻く三角関係……。ドロドロの嫉妬と、密かな情欲の匂いがプンプンします……っ!」
小柄な体に、ふわふわとしたパステルグリーンのウェーブヘア。
マシュマロのように柔らかく、おっとりとした癒やし系の雰囲気を纏うその少女は——文芸部二年の千代田野乃。
彼女は血走った目で手元の大学ノートに何やら猛烈な勢いでメモを書き殴りながら、荒い息を吐いていた。
* * *
そして、その日の放課後。
授業を終え、いつものように旧校舎にある写真部の部室へ向かって廊下を歩いていた私の背中に、ひっそりとした声がかけられた。
「あの……ちょっと、いいですか? 潮見さん」
振り返ると、そこに立っていたのは、パステルグリーンの髪を揺らす小柄な女子生徒だった。
両手で大切そうにノートを抱きしめ、上目遣いで私を見つめるその姿は、小動物のように愛らしい。
確か、同じ二年生の千代田さんだ。
大人しくて、いつも図書室や文芸部で静かに本を読んでいる彼女が、私のような日陰者に一体何の用だろうか?
「は、はい……。私に、何か御用でしょうか……?」
私は警戒しつつも、彼女のその可愛らしい様子に少しだけリビドーを揺らされながら、立ち止まって首を傾げたのだった。
(第24話へ続く)




