第2話 ストーキングは大義名分を纏う
放課後の教室。
夕日が差し込む窓際で、私は一人、机に突っ伏して頭を抱えていた。
クラスメイトたちは部活やバイトへと散っていき、静まり返った空間に、私の重苦しい溜息だけが鼓膜を震わせる。
【現在の蓄積リビドー:32%】
お昼休みの喧嘩の後は心臓がバクバクしてゲージが跳ね上がっていたけれど、5時間目と6時間目を死んだようにやり過ごしたおかげで、リビドーはなんとか安全圏まで落ち着いている。
そして、落ち着くと同時に反省しだした。
(猛省です……。人生最大レベルの大猛省です……!)
思い出すだけで顔から火が出そうだった。
昼休み、私の机にお尻を押し当てて話し込んでいたクラスのギャル、軽井沢莉愛さんに対して、私はパニックのあまり「お尻が臭そう」などという、女子高生相手にしてはあまりにも致命的すぎる暴言を吐いてしまったのだ。
莉愛さんは普段、別に私を積極的にいじめてくるような悪い人ではない。
ただ、カースト最上位のギャル特有の距離感の近さで、私の机をちょっとした椅子の代わりにしていただけなのだ。
それなのに、サキュバスの本能でリビドーゲージを刺激された私は、妄想オタクモードとなり、とんでもない失言で彼女のプライドを傷つけてしまった。
当然、莉愛さんは激怒した。
放課後の別れ際、念を押すように彼女が言い残したセリフが、呪いのように頭の中でリピート再生される。
『お前、今から会長のところ行って、スカートめくって匂い嗅いで来い。逃げたら教科書全部池に沈めるからな』
昼間は犯行を『見張る』と言っていた莉愛さんは、それだけ言い残すとさっさと帰ってしまっていた。
いざ放課後になると面倒臭くなったのだろう。
(ギャルの気まぐれにも困りものですね。やれやれですよ)
何もせずに、このまま帰宅するのもいいかもしれません……。
(――とはいえ教科書を池に沈められるのは困ります。買い直すお金もありませんし、何より親に説明がつきません。進むも地獄、退くも地獄……ですが、これはある意味、ものすごいチャンスなのではないでしょうか?)
私は机から顔を上げた。
前髪がもぞもぞと跳ねている。
鏡を見るまでもなく、不健康なクマの浮き出た私の目が、怪しくらんらんと輝いているのが分かった。
(そうです。私は莉愛さんに脅されているのです。不可抗力です。つまり、私がこれから憧れの生徒会長、天ヶ瀬清子様のスカートをめくろうとするのは、すべて身を守るための『正当防衛』! 決して私のスケベ心やサキュバスの計画的犯行ではないのです!)
最悪な自己正当化(大義名分)を完了した私は、ダボダボの制服を乱暴に整えると、鼻息荒く教室を飛び出した。
嘘をついて「やった」ことにしてもよかったが、こんなチャンスは二度とない。
実行する決意を固め、私は人気のない廊下を歩き出す。
目指すは、完璧超人の美少女生徒会長が統治する、聖域——
生徒会室だ。
* * *
校内をさまようこと十数分。
夕暮れの渡り廊下で、私はついに『その人』を発見した。
「——では、明日の朝一番で職員室に提出しておきますね」
「ええ、よろしく頼むよ、天ヶ瀬さん」
先生と頭を下げ合い、一人で歩き出す黒髪のストレートロング。
生徒会長、天ヶ瀬清子様だ。
背筋がピンと伸びた美しい立ち姿。
歩くたびに、ブレザーの裾が可憐に揺れる。
すれ違う生徒たちが一瞬で目を奪われ、誰もがため息を漏らすような、文字通りの高嶺の花。
そして、彼女が歩いた後には、まるで本物の花が咲いたかのような、気高くも甘い香りがふわりと残されていた。
すうっ、と私はその残り香を、鼻腔がはち切れんばかりに深呼吸で吸い込んだ。
【現在の蓄積リビドー:38%】
(くはぁっ……! なんという上質な匂いですか……! 軽井沢さんの香水とは違う、これは清子様自身の肉体から立ち上る聖なるアロマです! これだけでご飯が三杯は食べられますよ……!)
私は完全に不審者の動きで、清子様の後ろを一定の距離を保って尾行し始めた。
壁の影に隠れ、かばんで顔を半分隠しながら、抜き足差し足で後を追う。
ストーキング。
それは犯罪。
だが、今の私には『莉愛さんに脅されている』という無敵の盾がある。
スリルと興奮で、心臓の鼓動が徐々に速くなっていく。
清子様の細い腰つき、タイトスカートに包まれた健康的で美しい太もものラインが、一歩踏み出すごとに私の視覚を暴力的にジャックした。
【現在の蓄積リビドー:45%】
清子様は本校舎を離れ、人気のない旧校舎の方へと向かっていく。
どうやら、古い資料室に用事があるらしい。
好都合だった。
誰もいない旧校舎なら、誰かに目撃されるリスクは低くなる。
(落ち着くのです、私。ミッションはあくまで『スカートをめくって匂いを嗅ぐ』こと。清子様は品行方正を絵に描いたような人です。穿いているのは間違いなく、純白の綿パンツでしょう。それならサキュバスの私でも、ぎりぎり正気を保ったまま耐えられるはずです)
そうだ。聖なる白。
女子高生の、それも生徒会長の純白下着。
それさえ目撃できれば、莉愛さんへの報告義務も果たせるし、私は家に帰ってそれをオカズに、思う存分自家発電のフェスティバルを開催すればいい。
それでリビドーゲージはまたゼロに戻る。
完璧な計画だ。
【現在の蓄積リビドー:52%】
旧校舎に入ると、あたりはすっかり薄暗くなっていた。
ギィ、ギィ、と床板が鳴る静かな廊下。清子様は前方を歩いており、私の存在にはまだ気づいていない。
やがて、彼女は資料室へと続く階段に足をかけた。
夕日の光が斜めに差し込む、古い木造の階段。清子様がトントンと小気味いい音を立てて上っていく。
(今です……! 階段の下からなら、少し手を伸ばすだけで、あの絶対領域の奥へと侵入できます……!)
私は足音を完全に消した。
サキュバスの隠密能力をフル活用し、空気そのものに溶け込むようにして、清子様の後ろ髪が届きそうなほどの至近距離へと肉薄する。
一段、二段と、彼女の後ろをついて上る。
目の前には、規則正しく左右に振られる、清子様の美しいお尻。
昼休みに見た莉愛さんのお尻が『弾けそうな野生の果実』だとしたら、清子様のお尻は『計算され尽くした芸術的な彫刻』だった。
布地の上からでもわかる、引き締まった極上の曲線。
ドクドクと、耳の奥で自分の血流の音がうるさいほどに響く。
【現在の蓄積リビドー:65%】
(あああ、もう限界です! 目が、目が清子様のお尻に吸い付いて離れません! 脳がパチパチと弾けそうです……!)
息が荒くなるのを必死に抑える。
清子様が階段の中ほどまで上ったその瞬間、私は意を決して、右手を前に突き出した。
その指先をスカートの裾へと滑り込ませ、一気に跳ね上げるために。
しかし。
サキュバスとしての本能的な興奮と、ストーキングの極限状態の緊張は、私の惰弱な運動神経を完全に狂わせていた。
突き出した右手に気を取られ、自分の足元の意識がおろそかになる。
階段の段差に引っかかった。
「あ——」
気づいた時には、完全に重心が後ろへと傾いていた。
あ、と思った瞬間に、視界がぐにゃりと反転する。
* * *
「うぎゃあああーーーっっ!?」
静かな旧校舎に、私の情けない、地鳴りのような悲鳴が響き渡った。
階段の途中で盛大に足をもつれさせ、なす術もなく後ろ向きに転げ落ちたのだ。
ゴン、バキ、ズシンと、背中や腰を階段の角に痛烈に打ち付けながら、私は一気に一番下の踊り場(廊下)まで転がり落ち、大の字になってひっくり返った。
「いったたたた……!」
涙目で悶絶しながら、私は痛む身体をなんとか仰向けにした。
幸い、一段一段が低い古い階段だったため、骨折まではしていないようだったが、あまりの衝撃に頭がクラクラする。
その時。
タタタタ、と急ぎ足で階段を下りてくる、ローファーの音が聞こえた。
「ちょっとあなた、大丈夫!? すごい音がしたけれど……!」
上から降ってきたのは、鈴を転がしたような、美しくも焦燥に満ちた声。
私の悲鳴を聞いて、生徒会長・天ヶ瀬清子様が、慌てて階段を駆け下りてきてくれたのだ。
「あ、うう……」
声も出ないまま、廊下に倒れた状態で、私はゆっくりと目を開けた。
視界のピントが徐々に合っていく。
私のすぐ目の前。
心配そうに腰をかがめ、私を覗き込もうとしている清子様の姿があった。
そして。
廊下に倒れている生徒を見て焦ったのだろう。
重心のバランスを崩し、尻もちを搗いてしまった。
「キャッ!」
清く正しいロングスカートが乱れ、普段は隠されている美しい太ももが、私の目の前であらわになった。
その瞬間、見てしまった。
(え……?)
私の予想していた、清純で聖なる『純白』など、そこには影も形もなかった。
夕日の逆光に照らされて、私の網膜に焼き付いたのは。
白い太ももの対比で、あまりにも鮮烈に、そして淫靡に主張する——【極薄の、透け感のある黒レースの下着】だった。
ドゴォォォン!!!
と、脳内で何かが爆発する音がした。
【現在の蓄積リビドー:100%突破!!!】
【警告:リビドーゲージ最大値を検出。完全体への強制覚醒を開始します】
(く、黒……!? そんな、あの清純な清子様が、学校にこんなハレンチな黒レースを穿いてくるなんて……ッ!!!)
細胞のすべてが沸騰する。
私の身体の奥底から、ドス黒くも圧倒的な魔力の奔流が、一気に噴き上がろうとしていた。




