第18話 写真部の日常(偽)と、生徒会長の秘密の素顔
【現在の蓄積リビドー:5%】
(昨日使い果たしたため、ほぼ完全な出涸らし状態)
「終わったかもしれません……。私の高校生活、いや、人生そのものが完全に終了しました……」
翌朝。
私は私立百合ヶ丘高校の、いつもの薄暗い旧校舎の廊下を、まるで行き倒れ寸前のゾンビのような足取りで歩いていた。
いつも以上に極限まで猫背を丸め、紺藍色の跳ねたショートボブの隙間から、血走った目で地面を見つめる。目の下の不健康なクマは、寝不足のせいで通常の二倍の濃さになっていた。
無理もない。
私は昨日、リビドーゲージが限界突破した勢いに任せて、サキュバスの姿——『レディ・ドロップ』へと覚醒し、我が写真部の愛すべき(変態の)仲間たちを、部室で徹底的にお仕置き(という名の過激な撮影会)してしまったのだ。
アリス先輩の黒レース、暦さんの水玉模様、紡ちゃんの純白コットン……ああ、思い出すだけでも脳がとろけそうだが、今はそれどころではない。
(いくら気絶した三人をそれぞれの自宅のベッドへ転移させ、記憶を曖昧にする隠蔽魔法をかけたとはいえ、もし万が一、魔法の効き目が薄れていたら? 『おのれジメ子、よくも私たちをあんな破廉恥な目に……!』と、部室に入った瞬間に竹刀や三脚で滅多打ちにされるのでは……!?)
ガタガタと膝を震わせながら、私は恐る恐る写真部の部室のドアノブに手をかけた。心臓がうるさいほど警報を鳴らしている。
意を決して、ガチャリとドアを開けた。
「あ、潮見ちゃん。おはよー。今日も相変わらずジメジメしてて可愛いわね。お尻さわらせて!」
「フヒッ、潮見さん、おはようでございます。アリス先輩に触らせるのであれば、ぜひ私にも一揉み、ぐへっ、させてもらえればと、デュフフフフッ!」
「潮見先輩、おはようございますぅ! あの、なんだか私、昨日の夜、すっごくエッチな……あっ、いえ、えっと、その……もっ、もの凄く幸せな夢を見た気がするんですぅ……!」
部室の中にいた三人は、驚くほどいつも通りだった。
アリス先輩は制服の胸元を緩く開けた陽キャギャルそのままだし、同級生の暦さんは前髪の奥で怪しい笑いを浮かべているし、一年の紡ちゃんは顔を上気させてフワフワしている。
昨日のことなど、これっぽっちも覚えていない。
完璧に記憶は消去されていた。
「はい……っ。お、おはようございます、みなさん……」
私はその場にへなへなと崩れ落ちそうになるのを堪え、心の底から安堵の溜息を吐き出した。
(サキュバスの隠蔽魔法、万歳です……! 神様悪魔様サキュバス様、ありがとうございます。私の社会的抹殺はひとまず回避されました……!)
「よし、全員揃ったわね。じゃあ、今日の写真部のミーティングを始めるわよ」
アリス先輩がパンと手を叩き、真面目な顔で部員たちを見渡した。
「最近の我が部だけど、ちょっとストックしている写真のジャンルが偏りすぎてるわ。具体的に言うと、女子生徒のチラリズムとか、太もものクローズアップとか、私の黒レースとか」
「ブッ!? せ、先輩、最後のは自分の意思では……っ」
私が盛大に吹き出すと、アリス先輩はそれを無視して言葉を続けた。
「このままだと、学校側に活動報告書を提出した時に一発で不健全指定されて、予算を削られるか廃部に追い込まれるわ。だから今日の活動は、カモフラージュ用の『普通の写真』を撮ることにします! コンテストに応募できそうな、健全で、爽やかで、中身の詰まってない日常を切り取りなさい!」
アリス先輩の号令の下、私たちは普通の写真部として、常識的な活動をすることになった。
* * *
そして、放課後――
「うむ、我ら秘密結社にとって、カモフラージュは基本。――私は中庭の野良猫でも撮ってきますかね。フヒっ、フヒヒヒっ」
「私は、図書室の木漏れ日を撮ってきますぅ!」
暦さんと紡ちゃんがカメラを手に、やる気満々で部室を飛び出していく。
カモフラージュ、という言葉に、私の隠密サキュバスとしての本能がピクリと反応した。確かに、今後のパンチラ研究会の存続のためには、学校側を欺く完璧なカムフラージュ写真が必要不可欠だ。
「わかりました……。私も『普通の風景』を撮ってきます……」
私は愛用の一眼レフカメラを首から下げ、別行動で放課後の校内を歩き回ることにした。
すたすたと足音を消して歩く。
普段から気配を消して生きている私にとって、校内でのステルス行動など赤子の手をひねるより容易い。誰ともすれ違うことなく、私は旧校舎の最上階にある、普段は使われていない空き教室へと潜り込んだ。
埃っぽい匂いが鼻をくすぐる。
夕暮れ時のオレンジ色の光が、誰もいない教室の床に長い影を落としていた。整然と並んだ机と椅子。
「うん、いいですね……。この『無人の教室』という寂しげな空間。これなら、いかにも芸術に悩む高校生カメラマンが撮った風の、健全な活動実績になります」
私はカメラを構え、パシャパシャと数枚の写真を撮った。
ファインダー越しに見る夕光の教室は、我ながらなかなかのクオリティだ。これならお堅い生徒会役員や先生も文句は言うまい。
一通り撮り終え、ふうと息を吐いて窓辺に近づく。
窓の外を見下ろすと、中庭を挟んだちょうど真向かいに、新校舎の三階部分がそっくりそのまま視界に飛び込んできた。その場所にある部屋のプレートには、私の目が正しければ『生徒会室』と書かれている。
「おや……? ここからだと、生徒会室が真正面から丸見えではありませんか」
私のドス黒い好奇心が、ムクムクと頭をもたげた。
生徒会室。
そこは、この私立百合ヶ丘高校の頂点に君臨する権力者たちの聖域。
「せっかくですから……全校生徒の憧れである、清子さまのお姿を拝見しましょうかね。デュフフ、……いけません。暦さんの笑い方が移ってしまいました」
私はカメラバッグから、普段は滅多に使わない、大口径のガチな望遠マクロレンズを取り出した。バズーカ大砲のようなそれを一眼レフにガチリと装着し、窓の隙間から新校舎へと銃口を向けるように構える。
ファインダーを覗き、レンズのフォーカスリングを回す。
視界が急速に引き締まり、生徒会室のガラス窓の奥が、まるで目の前にあるかのように鮮明に映し出された。
「あ……」
私は思わず、息を呑んだ。
そこに、いたのだ。
生徒会長、天ヶ瀬清子さま。
艶のある美しい黒髪のストレートロングを背中に流し、シワ一つない完璧な制服を身にまとった美少女。普段の彼女は、品行方正で規律に厳しく、私たちのような底辺生徒を寄せ付けない神聖なオーラを放っている。
だが、今の彼女は違った。
清子さまは生徒会室の窓際にぽつんと立ち、誰にも見られていないと思い込んでいるのか、物憂げな表情で遠くの外を眺めていたのだ。
少しだけ伏せられた長い睫毛。微かに開かれた、桜色の薄い唇。
その表情は、まるで遠く離れた恋人を想う乙女のような、あるいは城に捕らわれた可憐な姫君のような、息を呑むほどに儚く、そして妖艶な美しさを孕んでいた。
「素晴らしい……っ! 何ですかこの極上の被写体は……!」
私のカメラマン(変態)としてのソウルが完全に激しく燃え上がった。
カシャ。
カシャシャシャシャ!
静かな空き教室に、静音モードに設定したシャッター音が小気味よく響く。
ファインダー越しに、清子さまのその一瞬の、奇跡のような美しい素顔を、私は無我夢中でフィルム(データ)に焼き付けていった。
完璧だ。
光の当たり方、髪のなびき方、そのすべてが国宝級の芸術作品。
【現在の蓄積リビドー:15%】
(美しすぎる被写体を前に、エネルギーが微上昇)
「ぐへ、ぐへへへ……清子さま、最高です。これぞ隠密撮影の醍醐味……っ」
私は完全に調子に乗っていた。
だが、あまりにも夢中になりすぎたのが災いした。
夕日の鋭い光が、私の構える巨大な望遠レンズのガラス面に反射し、ギラリと眩しく光ったのだ。
レンズ越しに見える清子さまの瞳が、不自然な光を察知して、ハッとこちらを向いた。
「え……?」
バチッ、と。
中庭を挟んで数十メートル離れているはずなのに、確かに、お互いの視線が正面から衝突した。
清子さまは驚いたようにその美しい目を見開き、自分が覗き見られていたことに気づいたのか、みるみるうちにその白い頬を微かに赤らめていくのが、望遠レンズを通して恐ろしいほど鮮明に見えた。
「ひゃあああっ!? め、目が合いましたっ! バレました!?」
私がパニックを起こしてカメラを引っ込めようとした、その時。
レンズの視界の端から、もう一人の人物がヌッと現れた。
凛とした銀髪のハーフアップ。
スタイル抜群で、冷徹な完璧主義者として恐れられる生徒会副会長——御園絵里香さまだ。
絵里香さまは、顔を赤くして動揺している清子さまに「どうしたの?」と声をかけるような仕草を見せた後、清子さまの視線をなぞるようにして、ゆっくりと中庭の向こう……つまり、私がいる旧校舎の空き教室の窓へと、その氷のように冷たい視線を動かした。
ゾクッ、と全身に鳥肌が立った。
絵里香さまの鋭い眼光が、私のいる場所を完全に『ロックオン』したのが分かった。彼女の目が「見つけたわよ、ネズミ」と言っているかのように爛々と輝いている。
絵里香さまはすぐさま清子さまに一言二言告げると、冷徹な表情のまま、生徒会室の奥へと早歩きで姿を消した。その方向にあるのは、部屋の出口。――彼女が向かう先は、私のいるこの教室だろう。
「と、と、と、盗撮が完全にバレましたぁぁぁ!!」
私はガタガタと震えながら、バズーカのようなカメラを抱えて床に転がった。
あの絵里香さまの動きは確実だ。
今すぐこの場を押さえるために、凄まじいスピードでこの空き教室へと向かってきているに違いない。
清子さまを盲信・崇拝するあの副会長に捕まったら、我が写真部はただの廃部どころか、不審者として文字通り爪の先までバラバラに解体されてしまう!
「まずいですよこれは、絶体絶命のピンチです!」
冷や汗を滝のように流しながら、私は大慌てでカメラをバッグに押し込み、パニック状態で空き教室のドアへと手を伸ばした——。
(第19話へ続く)




