第15話 ジメ子のご機嫌な一日と、秘密の現像作業
【現在の蓄積リビドー:15%】
(昨夜の賢者モードから少しだけ回復)
「ふふ、ふふふふ……。むふ、むふふふふふ……」
自分で言うのもなんだが――
今朝の私は完全に通報一歩手前の不審者だったと思う。
私立百合ヶ丘高校へと続くいつもの登校路。
私はいつものように猫背を極限まで丸め、ショートボブの紺藍色の髪をもぞもぞと跳ねさせながら、前髪の隙間から地面を見つめて歩いていた。
ダボダボの大きめの制服に身を包み、目の下には不健康なクマを刻んだ私の姿は、周囲のキラキラとした女子高生たちから見れば、近づくことすら躊躇われる「ジメ子」そのものだ。
いつも、世界のすべてを呪うような負のオーラを全身から撒き散らしている。
それが私――。
だが、今日だけは違った。
私の制服の胸ポケットには、昨夜の激闘の末に命がけで手に入れた、あの『奇跡のSDカード』が収められているのだ。
(ああ、思い出すだけでも下腹部の奥底がじんわりと熱くなってきます……っ。私の可愛い可愛い妹、天衣ちゃん。そして清楚で冷徹な魅夜さんに、生意気な赤髪メスガキの雛ちゃん。あの三人の天使が、戦闘の余波——というか、私が魔力で巻き起こした完璧なる局所的突風によって、スカートを盛大に全開にしていたあの瞬間……!)
脳内で昨夜の光景をハイビジョン再生するだけで、私のリビドーゲージがピコピコと上昇していくのを感じる。
いつもなら「教室を襲撃するテロリストへの対処」くらいしか考えていない陰キャの私が、今日は微かに、本当に微かにだが、嬉しそうに口元を緩めてフヒフヒとにやけていた。
* * *
ジメ子が微かに嬉しそうにしている。
その事実だけで、クラスメイトにとっては十分な怪奇現象だったに違いない。
案の定、教室に入って自分の席に座ってなお、ニヤニヤが抑えきれずに机を指でトントン叩いていた私に、上空から鋭い声が降ってきた。
「おい、ジメ子」
ビクッと肩を揺らして見上げると、そこには我がクラスの一軍ギャル、軽井沢さんが立っていた。
きつめに巻いた金髪を揺らし、いかにもガラの悪そうな様子で私の机に片手を突いている。
「なんだよ、お前。朝からやけに機嫌が良いじゃねーか。気持ち悪いにやけづらしやがって。なんか悪いもんで食ったの? それともついに本格的に頭イカれた?」
手厳しい。
実にお厳しい言葉である。
普段の私なら「すみません。思い出し笑いです」と平伏するところだ。
だが、今日の私は無敵の概念バリアに包まれている。何せポケットには極上の神データがあるのだ。
いつもの私とは違う。
私は前髪の隙間から軽井沢さんを見上げ、フッと不敵な、そして最高にキモい笑みを浮かべて返事をした。
「えっ? 軽井沢さん……私の些細な変化に気づくなんて。さては、日頃から私のことをずーっと熱い視線で観察していたんですね? いやあ、私に気があるなら最初からそう言ってくれればいいのに。私、ジメ子ですけど、ギャルからの熱烈なアプローチもやぶさかではないですよ? いやあ、照れますねぇ、ムフフフ」
「……あ?」
軽井沢さんの美しい額に、ピキッと青筋が浮かぶのが見えた。
「そんな訳ねーだろ。きもいっつーの」
「あばばばばばばばばばばっ!?」
次の瞬間、私の視界がぐにゃりと歪んだ。
軽井沢さんの容赦のない右手が目にも留まらぬ速さで伸びてきて、私の両頬を片手でギチギチと強く挟み込んできたのだ。
凄まじい握力によって私の両頬の肉は中央へと圧迫され、唇が前方に思いきり突き出される。そう、まるで水揚げされたばかりの、締まりのない不細工なタコのような唇に変形させられてしまったのだ。
「ふ、ふがっ!? ふががががっ!」
一軍ギャルに片手で顔面をホールドされ、無様にタコ面を晒しながら悶絶する高校二年生。クラスメイトたちの視線が痛い。
「調子乗ってんじゃねーぞ、ジメ子。次そのキモいツラで中身のないこと抜かしたら、今度は口の形を完全に固定してやるからな」
軽井沢さんはフンと鼻を鳴らすと、私の頬をパッと離し、自身の華やかなグループへと戻っていった。
「はひぃ……死ぬかと思いました……。あのギャルの握力、ゴリラ並みですか……照れ隠しにしてもやりすぎですよ」
私はジンジンと熱を持つ両頬を両手で押さえながら、机に突っ伏した。
しかし、私の心はこれっぽっちも折れていなかった。むしろ、脳内では不健全なサキュバスの全肯定優越感モードが爆発していた。
(ふふん……いい気なものですね、軽井沢さん。今はそうやって私を不細工なタコにして満足しているがいいですよ。ですが、私のポケットにあるこのカードの中身を見たら、あなただって腰を抜かしてひっくり返るに違いありません。私には、この街を守る『正義の天使』たちの、誰にも言えない極上の秘密が握られているのですから……!)
この圧倒的なギャップ。
これこそが、隠密サキュバスとしての最高の蜜の味だった。
* * *
その日の授業時間は、まさに生殺しだった。
数学の数式がすべて天使のフリルに見え、英語の長文がすべてパンチラの解説文に見える。リビドーが高まりそうになるのを必死に抑えながら、私はひたすら時計の針が進むのを待った。
そして、待ちに待った放課後がやってきた。
終礼のチャイムが鳴り響くと同時に、私はクラスの誰よりも早く席を立ち、音もなく教室を飛び出した。
目指すは、私立百合ヶ丘高校の旧校舎の片隅、薄暗い廊下の奥にひっそりと佇む『写真部』の部室である。
表向きは由緒正しき風景写真や日常を切り取る部活。
だがその実態は、私を含めた一部のコアな人間が集う【裏名:パンチラ研究会】の秘密基地であった。
「よし……誰もいませんね」
部室のドアを静かに開け、中に誰もいないことを確認する。
先輩のアリスさんや同学年の暦さん、後輩の紡ちゃんはまだ来ていないようだ。まさに天が与えてくれた絶好のチャンス。
私は素早く中に入ると内鍵を閉め、部室の隅に鎮座する、部費(という名のアリス先輩のポケットマネー)で購入した最高級のデスクトップパソコンを起動した。
さらに、写真部の特権である、色彩表現に優れたプロ仕様の高画質インクジェットプリンターの電源を入れる。
ゴトゴト、ウィィィンと、プリンターが重々しい音を立ててウォームアップを始める。
私は胸ポケットから、昨夜の戦利品であるSDカードを取り出し、震える手でパソコンのスロットに差し込んだ。
画面に表示される、数々の画像ファイル。
そのサムネイルを見ただけで、私の脳から妙な汁が溢れ出そうになる。
「ひ、ひえぇ……改めて大画面で見ると、凄まじいクオリティです……」
そこには私の執念の結晶がこれでもかと写し出されていた。
天衣ちゃんのピンクのフリルスカートが風で大きく捲れ上がった瞬間の、芸術的な一枚。魅夜さんのスラリとした生足の奥に隠された、神秘的な布地。雛ちゃんの躍動感溢れるダイナミックなハイキックの瞬間の、純白の輝き。
「これを……今すぐ形(物質)にするのです……!」
私はゴクリと唾を飲み込み、プリンターに最高級の厚手光沢紙をセットした。
そして、印刷ボタンを力強くクリックする。
* * *
ウィィィン、ウィィィン、と、プリンターが規則的な音を立てて動き出した。
ノズルが高速で往復し、真っ白な光沢紙の上に、鮮やかなインクが吹き付けられていく。独特のインクの匂いが部室に満ちていく。
最初に出てきたのは、天衣ちゃんの写真だ。
「素晴らしい……。最高画質でプリントアウトされたことで、布地の細かなシワや、太ももの影のグラデーションまでもが完璧に再現されています。これはもう、ただの写真ではなく芸術ですよ……!」
私はプリンターの排紙トレイから、まだインクの乾ききっていない写真をそっと両手で持ち上げ、うっとりと見惚れた。
次々と吐き出される、高画質なパンチラ写真の数々。部室の机の上が、あっという間に天使たちの破廉恥な秘密で埋め尽くされていく。
【現在の蓄積リビドー:45%】
(興奮により急上昇中)
「ふふ、ふふふふ……ぐへ、ぐへへへへ……」
私は完全に理性を失い、引きつったオタク特有の笑い声を漏らしながら、印刷されていく写真を恍惚の表情で仕分けていた。最高の気分だった。私の現像作業は誰にも邪魔させない。
——その時だった。
ガチャリ。
静まり返った部室に、あまりにも場違いな、金属的な音が響き渡った。
「え……?」
私の思考が一瞬でフリーズする。
ドアの鍵は閉めていたはずだ。だが、この部室の鍵は職員室にも予備はある。
ゆっくりと、信じられないほどのスローモーションで、部室のドアノブが回り、ドアが開いていく。
プリンターは今まさに、雛ちゃんが豪快に足を蹴り上げ、その奥の純白がこれ以上ないほど鮮明に写し出されている『一番ヤバい生々しい一枚』を、ウィィィンと音を立ててトレイへと吐き出している真っ最中だった。
(な、ななな、何ということでしょう……! 今これを見られたらやばいのでは……!? いや、やばいなんてレベルじゃありません! 私は一発で社会的抹殺、警察に通報されて人生が終了します! 相手が先生だったら? 普通の生徒だったら!? いや、たとえ写真部の同士たちだとしても、この生々しすぎる身内の写真はマズいのでは!?)
心臓がドクンと大きく跳ね上がり、冷や汗が滝のように吹き出す。
陰キャとしての本能が、過去最大の警報を脳内で鳴り響かせていた。
迫り来る足音。
開かれるドア。
私はトレイの上の写真に手を伸ばそうとしたが、恐怖と焦りで指先がすくんで動かない。
絶体絶命の緊迫感の中、私はただ、ドアの向こうから現れる『誰か』の影を、見つめることしかできなかった——。
(第16話へ続く)




