93.僕と、未来の相性と、食べ放題
「私が考える、大衆向けの次の一手、それは!」
レミ社長はすっと背筋を伸ばし、自信に満ちた笑みを浮かべて、人差し指を綺麗に突き出した。
「それは……?」
僕がゴクリと唾を飲み込んで先を促すと、彼女は堂々とその答えを口にした。
「焼肉屋です!」
「……え?」
リビングの空気が、一瞬でシーンと凍りついた。僕だけでなく、隣のフェイ先生の動きもピタリと止まる。
「ふ、ふぇ……おろろ……」
僕たちのそのあまりに微妙な反応を察した瞬間、レミ社長の大きな瞳にみるみる涙が溜まり、耳がヘニャンとへたれていく。
「レミ、堪えて!」
泣き出しそうになる直前で、フェイ先生が素早くレミ社長の肩を抱き寄せ、どうにかその場を押し留めた。先生の素早いフォローがなければ、また社長室の二の舞(物理的圧殺)になるところだった。
いや、だって……。
「レミ社長、落ち着いてください。焼肉屋って……僕たちの『焼肉のタレ』とホットプレートが世に広まってから、普通に巷のあちこちにも出来始めてません?」
そう、それは僕もフェイ先生もとっくに知っていた事実だ。だからこそ、期待値が跳ね上がっていた分、「今さら普通の焼肉屋?」というおかしな空気になってしまったわけである。
「違うの! ただの焼肉屋じゃないのよ!」
レミ社長はフェイ先生に支えられながら、必死に身を乗り出して首を横に振った。
「食べ放題なの! 焼肉食べ放題! 『まんぷくししし亭』なのよ!」
「――おお!」
その単語が飛び出した瞬間、僕は思わず膝を叩いた。「なるほど、その発想は僕にはなかったですよ!」
「ふぇ……やっぱり、ヒロキくんの考えてたことと違った……? うちらの未来の相性は合わないのかしら……おろろろ……!」
「レミ!」
僕の「発想になかった」という言葉をネガティブに捉えたレミ社長が、悲壮な顔をしてソファーから立ち上がり、今度こそ僕に向かってダイブしてきそうになる。それをフェイ先生が背後からガシッと羽交い締めにし、間一髪で止めてくれた。
「先生、ナイス!!」
本当にフェイ先生が同席してくれて良かった。命の恩人だ。
それにしても、『焼肉食べ放題』か……。
確かに、元の世界では老若男女が大熱狂する超メジャーな大衆ビジネスだけど、この世界にはまだ存在していない未知の業態だ。
実は、僕の頭の片隅にもその概念自体はあった。だけど、大食いの獣人族(肉食系や大柄な種族)が大量にいるこの世界で「定額で肉が食べ放題」なんてやったら、一瞬で店中の在庫を食い尽くされて大赤字になるんじゃないかと思って、採算の面からハナから除外していたのだ。
だけど、あの経営の天才であるレミ社長が、わざわざ大衆向けの次の一手として持ってきたんだ。獅子丸食品の今の強み――自社工場での安定した肉の仕入れルートや、あの爆売れしている『焼肉のタレ』の大量消費。
それらを組み合わせれば、僕が勝手に無理だと諦めていた「食べ放題」のコストの壁をクリアできる明確な勝算が、彼女の頭の中にはもう見えているに違いない。
「……面白い。大食いの獣人たちが、定額で好きなだけ肉を焼いて、僕たちのタレをドバドバつけて白米と一緒にかき込むお店……。そんなの、流行らないわけがない!」
一気に脳内に『まんぷくししし亭』の賑やかなビジョンが広がっていくのを感じ、僕の料理人と経営者としての血が騒ぎ始める。
「レミ社長、泣いてる場合じゃないです! その『食べ放題』、めちゃくちゃ面白い! ぜひ具体的な中身を詰めさせてください!」
僕が身を乗り出してそう言うと、フェイ先生の腕の中で「おろろ」と泣いていたレミ社長が、パッと耳を立てて嬉しそうに顔を輝かせた。どうやら、僕たちの未来の景色は、ちゃんと一致したみたいだ。
レミ社長が提示した『まんぷくししし亭』の基本ルールは、元の世界でも鉄板の「制限時間90分」「残したら罰金」「持ち帰り厳禁」というものだった。
獣人たちときくと豪快でルールを破りそうなイメージが先行しがちだけど、実際に彼らと接していると、実はみんな驚くほど律儀で、決めたルールはしっかり遵守する。これなら食べ放題ビジネスも十分成立しそうだ。
メニューも「肉、米、飲み物」だけに絞るという潔さ。これならオペレーションもシンプルだし、回転率も稼げる。
ただ、僕としては料理人としての矜持もあって、2点だけメニューへの要望を出した。
一つは『スープ』の導入だ。焼肉の合間に、鶏ガラの澄んだ「清湯」と、あの時大好評だった濃厚な「白湯」の2種類を置きたい。脂っこい焼肉の口直しには最高のパートナーになるはずだ。
そしてもう一つ。僕は覚悟を決めて、地雷かもしれない提案を口にした。
「あと……これ、大象食品さんの技術力をお借りすることになっちゃうんですけど、『冷凍うどん』をメニューに置きたいです!」
レミ社長がどんな反応をするか、思わず身構えた。大象食品のアキラ専務とはライバル関係にあるのだから、当然、「あんな奴の製品なんてダメ!」と怒り出すと思ったのだ。
しかし――。
「おうどん、美味しいもんねー! 冷たいめんつゆでもいいし、鶏ガラスープで食べてもおいしそうね」
レミ社長は意外にもあっさりしていた。経営者としての合理的判断なのか、それとも僕の提案だからすんなり受け入れたのか。その屈託のない笑顔に、逆に拍子抜けしてしまった。
こうして、『まんぷくししし亭』の計画は正式にスタートした。
「よし、これで大まかな枠組みは決まりね。ヒロキくん、メニュー開発は……」
レミ社長が僕に開発を振ろうとしたので、僕は即座に首を振った。
「いや、今回は僕が新メニューを開発する必要はなさそうです。焼肉のクオリティを左右するお肉の選別やカットは、獅子丸食品の精肉部門のプロフェッショナルな面々にお任せしたほうが、絶対にお客様も喜びますよ」
僕がやるべきは、新しい料理を作ることや、タレの研究を深めること。
焼肉食べ放題という新しい市場を切り拓くのは、獅子丸食品の組織力に任せるのが一番だ。
「そうね、精肉担当の黒服たちに最高のカットを指示しておくわ!」
やる気満々のレミ社長を見ていると、今回のプロジェクトに関して僕の出番は少なそうだな、と確信した。
(よし、これなら自分のペースで、またゆっくり新しい料理の研究ができるぞ)
僕は、肩の荷が下りたような清々しい気分で、レミ社長たちが早速会議を始める様子を眺めていた。この世界の食文化が、僕の手を離れてどんどん熱く、豊かになっていく。その中心で自分たちが関わっているという事実に、僕は静かにワクワクしていた。




