9.僕と、ホットプレートと、焼肉パーティー
エネルギーの抽出だとか、有毒ガスだとか。
まさかそんなスケールの大きな話が、自分の毎日の料理にまで影響してくるなんて思ってもみなかった。
元の世界では当たり前だったことが、ここでは当たり前ではない。
この不自由で、だけどどこか新しい未来の世界の中で、僕は自分の料理人としてのやり方をいろいろと探っていく必要がある。
そう改めて決意し、僕は静かに拳を握った。
でも、料理人としてどうしても譲れない不満が一つだけある。
「……せめて、コンロがもっと小さければなぁ」
調理台の片付けを終えた僕は、ぽつりと独り言を呟いた。
「ん? 小さければって……どういうこと?」
フェイ先生が、僕の言葉に耳をピクッと動かした。
「あ、いや。この世界のIHコンロって、どれも調理台にがっしりとはめ込まれていて、すごく大きくて動かせないじゃないですか。もっとこう……持ち運びができるくらい、ノートパソコンみたいに薄くて小さなコンロがあれば便利なのに、と思ったんです」
「持ち運べる、コンロ……? え、何のために?」
フェイ先生は本当に不思議そうな顔で首を傾げた。歴史学の権威である彼女の頭の上にも、今日何度目か分からない『?』が浮かんでいる。
「何のためって、食卓の真ん中にその小さなコンロを置いて、みんなで一つの鍋を囲んで、温めながら突っついて食べるんです。僕の世界じゃ『鍋料理』って言って、定番の冬の団欒なんですけど……」
おとなしく説明する僕を見て、フェイ先生は完全にフリーズした。
みるみるうちにその目が限界まで見開かれ、パンダの黒い耳がピンと直立する。
「……え、ちょっと待って。何それ……その発想はマジでなかったわ」
「えっ? ないですか?」
「ないわよ!!」
フェイ先生はバンッ、と調理台を両手で叩いて僕に詰め寄った。なかなかに圧がすごい。
「私たちの常識だと、コンロっていうのは『強大な電力を安全に消費するために、壁の太い配線と直結した巨大な設備』じゃなきゃいけないと思い込んでたの! だから調理器具は全て厨房に固定されているのが当たり前。……なのに、それを小さくして、食卓の上に直接置くだけなんて……!」
フェイ先生は頭を抱え、興奮したように厨房内をウロウロと歩き回り始めた。
「技術的には、海中物質から抽出した電力を小型のバッテリーに溜めて、IHの出力を卓上用に抑えれば、今ある技術だけでも絶対に作れるわ。制御が難しいなら、最初から出力を小さく制限した専用のポータブル機を作ればいいだけなんだから……! なんで今まで誰も気づかなかったのよ……!」
どうやら、あまりにエネルギー量が膨大すぎる世界だったせいで、この世界の人々は「いかに安全に大電力を御するか」という引き算の発想ばかりに囚われていたらしい。
最初からバッテリーに小分けにして、小さなコンロを孤立させるという「小回りを利かせる」発想そのものが、歴史上すっぽりと抜け落ちていたのだ。
「卓上に、熱源を置く……。それ、マジで歴史的な発明よ。もしそれが実現したら、厨房で孤独に料理を作る必要もなくなって、みんなで喋りながら熱々の料理を食べられるってことでしょ? 食文化の革命じゃん……!」
「あ、はい。元の世界では、わりと普通の光景でしたけど……」
呆然とする僕を余所に、フェイ先生の目がキラキラと輝き始める。歴史学者としての、そして何より「美味しいものが大好きな一人の獣人」としての知的好奇心と食欲に、完全に火がついたようだ。
「決まり! 寮長、私、知り合いの工学部の教授に頼んで、その『卓上IHコンロ』の試作品を速攻で作らせるわ! 」
「えっ、あ、はい。喜んで」
まさか僕のちょっとした愚痴が、この世界の技術者たちを動かす一大プロジェクトに発展してしまうなんて。
「卓上コンロ……うん、これはマジでいけるわ。工学部の連中に言えば、二つ返事で開発に飛びつくはずよ!」
鼻息を荒くして、スマホを取り出そうとするフェイ先生。
その様子を見ながら、理系男子高校生としての僕の脳内に、もう一つのアイデアが閃いた。この世界の「強すぎるエネルギーの制御が難しい」という問題を、別の角度から解決できるかもしれない。
「あの、フェイ先生。もし卓上コンロを作るなら……最初から熱源と鉄板を一つに合体させた『ホットプレート』っていう器具も、一緒に提案してみてはどうですか?」
「ホッ……トプレート? 何それ、温かいお皿?」
フェイ先生が端末を握ったまま、またしても目を丸くした。
「違います。コンロの上にフライパンを乗せるんじゃなくて、大きな四角い鉄板そのものが発熱する調理器具です。温度調節のダイヤルをつけて、お肉を焼きながらその場で食べることができるんです」
おとなしく解説を続ける僕の言葉を、フェイ先生は食い入るように聞いている。
「これなら、コンロと調理器具が完全に一体化している分、エネルギーのロスも少ないですし、漏電や加熱のトラブルを防ぐ安全設計も、別々に作るよりずっと簡単になると思うんですけれど……」
「……っ!!」
フェイ先生は今度こそ言葉を失い、持っていた端末を落としそうになった。パンダ耳が今までにないほど激しくピコピコと動いている。
「あんた……マジで天才じゃないの!? 専属料理番(※寮長です)にしておくの、国家的な損失レベルなんだけど!」
フェイ先生は僕の肩をガシッと掴んで激しく揺さぶった。僕の視界がぐわんぐわんと歪む。
「鉄板と熱源の一体化! それよ! 別々に作ると『上に何を乗せるか』でエネルギーの制御が不安定になるけど、最初から一体の『家電製品』としてパッケージングしちゃえば、安全基準をクリアするのなんて赤子の手をひねるより簡単だわ! なんで気づかなかったの、私たちの科学者は全員バカなの!?」
「あはは……。ただの、僕の世界にあった便利な家電ですよ」
目を回しながら僕が苦笑いしていると、厨房の入り口から「何、何の話ー?」と賑やかな声がした。
引っ越しの片付けを終えたサリー、コニー、アオイ、ピピが、フェイ先生の大声を聞きつけて集まってきたのだ。
「先生、大騒ぎしてどうしたの?」
サリーが体を壁に預け、黒い猫耳を不思議そうに傾ける。
「ちょっとみんな聞きなさい! 私たちのちびっ子寮長が、とんでもないものを発明しようとしてるわよ! テーブルの上でお肉をジュージュー焼きながら、みんなで突っついて食べる魔法の鉄板!」
「えっ! テーブルの上でお肉を焼くの!?」
コニーの金の尻尾が、ご馳走の気配を察知して激しく左右に振られた。アオイも「……お肉、焼き立て……美味しい、絶対……」と、グレーのクマ耳をパタパタさせて目を輝かせる。
「テーブルの上に熱源を置くなど、これまでの安全基準の常識では考えられませんが……ヒロキくんの言う一体型の設計なら、確かに委員長としても許可が出せそうです。というか、普通に私も使ってみたいです」
ピピも丸メガネの位置を直し、冷静を装いつつも興味津々の様子だ。
「でしょ!? よーし、工学部のじじい達を全員呼び出して、徹夜で試作品を作らせるわ! 予算なら歴史学の研究費をジャンジャン流用してあげる!」
「先生、それは横領じゃ……」というピピの真っ当なツッコミは、興奮したフェイ先生の耳には全く届いていなかった。
「待っててねヒロキ! 数日中に、その『卓上コンロ』と『ホットプレート』、形にして持ってきてあげるから!」
フェイ先生は嵐のように端末にメッセージを打ち込みながら、ものすごい勢いで飛び出していった。
「あはは……。本当に作ってくれるんだ」
呆気にとられる僕の隣で、サリーが「やったじゃん、ヒロキ」と僕の頭を優しくぽんぽんと叩いた。大きな手のひらが温かい。
「ホットプレートができたらさ、まずはみんなで焼肉パーティーやろうね」
「そうですね。特製のタレは……この世界の調味料で作る方法を、僕が考えておきます」
ないものは、作ればいい。
火が禁忌とされる世界で、新しい食の歴史が今、確かに作られようとしていた。




