8.僕と、IHと、巨大なエネルギー源
「……あ」
そこで、僕の頭の中に、また一つ小さな疑問の種がぽつりと落ちた。
初めてサリーの家でカルボナーラもどきを作ったときもそうだった。
学校の広大な調理室にある何十台ものコンロを見渡してみても、状況は全く同じだった。
そして、引っ越してきた特別寮でも
「ガスコンロが、一台もない……」
そう、すべてがフラットなガラスタップの『IHクッキングヒーター』なのだ。
元の世界の高校の調理室なら、強い火力を必要とする中華鍋などのために、
いくつかガスコンロが併設されているのが普通だった。
けれど、この世界には、火の粉一つ、ガス管一本すら見当たらない。
「(この世界って、めちゃくちゃオール電化が進んでるのかな……?)」
美味しいハンバーグプレートを平らげ、みんながそれぞれの部屋の片付けに戻った後。
僕は厨房の後片付けをしながら、この疑問をフェイ先生に切り出してみた。
「フェイ先生。ちょっとお聞きしたいんですけど……。この世界って、どこに行っても調理器具がIHですよね。
オール電化が進んでて凄いなと思うんですけど、料理人としては、やっぱりたまには『火』を使った料理もしたいなって思うんです」
何気なく、少し残念そうに言った僕の言葉に、フェイ先生はコーヒーカップを持つ手をピタッと止めた。
黒い耳が警戒するように後ろに寝る。彼女はいつもの今どきの若者っぽい軽いノリをすっかり消し去り、ひどく渋い顔で僕を見つめた。
「ヒロキくん。……あんたの世界じゃどうだか知らないけど、この世界において『火』はね、ほとんど禁忌のようなものなのよ」
「……禁忌、ですか?」
思わず手を止め、先生を振り返る。彼女のただならぬ気迫に少し気圧されてしまった。
フェイ先生は深くため息をつき、コーヒーを一口啜ってから、世界の仕組みを教えるように静かに語り出した。
「私たちの世界のエネルギーはね、すべて海中から採掘される『エネルギーの塊』みたいな未知の物質から供給されているの。そこから膨大な電力を抽出して、世界を動かしている。……ちなみに、そのエネルギーを吸い尽くした後の『出がらしの物質』を薄く伸ばして加工したのが、あそこにあるペットボトルやプラスチック製品ね」
先生が指差した先には、僕の世界のものと見た目は変わらない透明な飲料ボトルがあった。まさかそれがエネルギー物質の残骸だったなんて。
「その海中物質のエネルギー量がね、とにかく尋常じゃないくらい膨大で、扱いがめちゃくちゃ難しいのよ。これだけのエネルギーを安全にコントロールして、都市に送るインフラを作り上げるだけでも、私たちの先祖は血の滲むような一苦労を重ねてきたの」
フェイ先生は丸メガネの奥の目を少し細めた。
「あまりにエネルギーが強すぎて、ガスのような流体のエネルギーを安全に封じ込める小規模な施設や器具なんて、現代の技術でも発電所以外じゃ作れない。だから、家々の調理器具だって、送られてきた電力で発熱させるIHみたいなものしか作れないし、存在しないのよ」
「じゃあ……もしこの世界で『火』を使おうと思ったら……」
「そう。木や紙を直接燃やすっていう、原始的な方法しかないわ」
フェイ先生は声を落とす。
「でもね、植物や可燃物を直接燃やすと、獣人の身体にはめちゃくちゃ有害なガスが発生するの。だから室内で火を使うなんて自殺行為。……だから私たちは、火を恐れ、忌避し、エネルギーはすべて電気に変えて使う。それがこの世界の鉄則なのよ」
ガス火が存在しないのではない。強すぎるエネルギーを御しきれず、電力を介さなければ安全に使えないのだ。
「なるほど……。だから、どこに行ってもIHだけだったんですね」
僕は自分の手元を見た。
料理の基本だと思っていた「火加減」のコントロールが、この世界では命に関わる危険思想になり得る。
人類が去った数億年後の未来の地球は、僕の知る物理法則や常識とは
まったく違うバランスの上で成り立っているのだと、改めて突きつけられた気がした。
「ま、そういうわけだから、この厨房で怪しい実験(たき火)なんか始めないでね? 寮長がガス中毒で倒れたら、明日から私たちが飢え死にしちゃうから」
フェイ先生はそう言うと、いつもの気だるげな笑みに戻り、空になったカップを置いて厨房を出て行った。
「……火が、禁忌の世界」
僕は一人、静まり返った厨房で、フラットなIHのガラス天板を見つめ直した。
制約があるなら、それを受け入れるまでだ。僕はこの「火のない世界」のエネルギーを使って、彼女たちが驚くような、もっと新しい料理を作ってみせる。
神話の料理人としての僕の探求心は、禁忌の話を聞いた後でも、消えるどころか静かに燃え上がっていた。




