86.僕と、冷凍うどんと、ヘッドハンティング
ある日の午後。特別寮のインターホンが鳴り、玄関を開けると、日差しを浴びて眩しく光る、白いスーツを完璧に着こなした男性が立っていた。
「突然の訪問、失礼する。優美林女子高校特別寮の寮長、ヒロキくんだね? 君にどうしても面会したくてね」
差し出された名刺には、がっしりとした文字で『大象食品』と書かれている。
大象食品。その名に違わず、彼は『象族』である。
言われてみれば彼の鼻は普通の人(獣人)よりもちょっとだけ長い気がする。
この会社は、僕にとっては今一番ホットで、なおかつ因縁のある名前だった。なぜなら、レミ社長率いる獅子丸食品が『ししし冷凍餃子』で「世界初」の枠に滑り込んだまさにその瞬間、ほぼ同時に『冷凍唐揚げ』を市場に投入し、熾烈なシェア争いを繰り広げているライバル最大手だったからだ。
名刺の肩書に目を落とすと、そこには『専務取締役』の文字。
「私は、大象食品の専務を務めている、タイゾウ・アキラという。まぁ、現社長の息子、と言った方が通りが良いかもしれないがね」
アキラ専務は応接スペースに腰を下ろすと、長い鼻を少しだけ動かし、単刀直入に本題を切り出してきた。
「単刀直入に言おう。ヒロキくん、我が社に来てくれないか」
――いわゆる、ヘッドハンティングというやつだった。
「君の能力は市場を見れば一目瞭然だ。我が社へ来てくれれば、商品開発部の『取締役待遇』のポストを用意しよう。もちろん給料も現行の比ではない。それに加え、君が開発した商品がヒットした際には、固定給とは別に莫大な『開発インセンティブ(ボーナス)』を支払うことを約束する」
取締役待遇。開発ボーナス。
そのあまりに具体的な数字と好条件を提示され、僕は思わず喉が鳴りそうになった。
そういえば……と、僕は自分の現状を思い返す。
僕は今、獅子丸食品からは「顧問料」という名義で一定の報酬を得てはいる。けれど、お好み焼きがどれだけバカ売れしようが、冷凍餃子が世界初として全国のスーパーに並ぼうが、それ以上の売上に応じた「ボーナス的なもの」は一切貰っていない。すべてレミ社長の会社の利益になっている。
「今までのお付き合いもあるし、レミ社長の手腕は見事で、一緒に仕事をしていて本当に勉強にはなる。……けれど」
目の前で不敵な笑みを浮かべるアキラ専務もまた、あのレミ社長を本気にさせ、電子レンジのない世界で『冷凍唐揚げ』をヒットさせただけのことはある、超のつくキレモノの可能性が高い。経営者としての器も、獅子丸食品に劣らないものを持っていそうだ。
(もしかして……この話に乗っかった方が、僕の『手取り』も一気に増えるんじゃないか……?)
一人のビジネスマン(中身17歳)としての邪念が頭をよぎった、その時だった。
アキラ専務は、保冷バッグから「これをお近づきのしるしに」と、白くて綺麗な四角い塊を取り出した。
「我が社が現在、総力を挙げて開発している『冷凍うどん』のサンプルだ。君の意見を聞きたくてね」
そのツヤツヤとした白い麺の塊を見た瞬間、僕の脳内で、お金の計算よりも遥かに強い『料理人としての製作意欲』が爆発してしまった。気がつけば、僕はサンプルを受け取り、キッチンに立っていた。
「ちょっと、待っててください。今、最高に美味い食べ方で作りますから」
大象食品の冷凍うどんは、技術力が高いだけあって、凍ったままでもしっかりとエッジが立ち、茹で上がれば恐ろしいほどのコシとツヤを見せた。冷水で一気に締め、水気を切って器に盛る。
ここに合わせるのは、王道のツユだけじゃない。
真ん中にぽとりと落とした新鮮な「卵黄」。
瑞々しい「刻みネギ」をどっさり盛り付け、上から濃いめの「めんつゆ」を回しかける。
そして仕上げに、僕の目が潰れそうになりながら完成させたあの自家製「ラー油」と「ごま油」を、黄金比率でタラリと垂らした。
――特製『ピリ辛ラー油の釜玉風ぶっかけうどん』の完成だ。
「どうぞ、食べてみてください」
差し出された器から立ち上る、ラー油とごま油の暴力的な香りに、アキラ専務の長い鼻がピクピクと大きく揺れた。
「ほう……これは……」
専務は箸を入れ、卵黄を崩して麺に絡めると、豪快にうどんを すすり込んだ。
ジュルルッ! と小気味いい音が響き、アキラ専務の動きが完全に止まる。
卵黄の濃厚なコクと、めんつゆの旨味。そこに僕のラー油のキレのある辛味と香味野菜の香りが、大象食品の自慢のコシの強い麺にこれでもかと絡みついている。美味くないはずがない。
「……美味い。美味すぎる……! ラー油をうどんに合わせるだと!? なんだこのコシの活かし方は……!」
アキラ専務は額に汗をにじませながら、夢中でうどんを貪り食べている。
ヘッドハンティングに来たはずの高級スーツの専務に、ライバル会社(のラー油)を使ったアレンジうどんをごちそうして大絶賛させているこの状況に、僕は厨房で冷や汗をかきながらも、どこか誇らしい気持ちになっていた。
お金の条件は確かに魅力的だし、大象食品の技術力も素晴らしい。
だけど、僕の料理を世界の定番にしていくためには、ここからどう動くのが正解なのか。
僕の「次なる選択」への悩みは、さらに深く、そして最高にエキサイティングなものへと変わっていくのだった。




