85.僕と、ラー油の小瓶と、冷凍食品
大企業の、というか、レミ社長のトップとしての判断力と動きの早さには、本当に毎回脱帽してしまう。
僕たちがランチャームの専用機械や自動注入器の設計を巡って、ロンたちと頭を抱えながら四苦八苦しているその裏で、獅子丸食品の開発部隊はすでに驚くべきスピードで次の一手を打っていたのだ。
なんと、獅子丸食品が『ラー油』の単体販売に乗り出したという。
しかもその容器が凄かった。『ししし餃子』のオープン初日に、僕が苦肉の策として限定配布した「目薬の容器を流用したラー油入れ」――あのアイデアを完全に転用し、なんと市販向けの製品としてブラッシュアップさせてしまったのだ。
手のひらに収まるサイズの、1滴ずつ正確に出すことが可能なプラスチック製の小瓶。これには僕も驚いた。元の世界でも「ラー油の小瓶」といえば、まさにこういう構造だったのをよく覚えている。
あの使い勝手の良さを、この世界にある既存の製造ラインを組み替えるだけで瞬時に再現してみせるなんて、さすがは大企業の開発力だ。
そして、レミ社長の電撃作戦はそれだけにとどまらなかった。
この世界初となる記念すべき冷凍食品として、『ししし冷凍餃子』が20個入りのパッケージで正式に全国発売されることになったのだ。
量産化の都合上、店舗の『ししし餃子』で出しているものに比べると1個1個のサイズはちょっと小ぶりになっている。けれど、中身の餡にはもちろんグヌマー産の甘いキャベツが凝縮されていて、あのジューシーな旨味は完全にキープされている。
実は、この裏ではちょっとしたビジネスの覇権争いがあったらしい。
レミ社長の話によると、業界の別の食品メーカーが、近々『冷凍唐揚げ』を発売する流れで極秘に動いていたのだという。それを察知したレミ社長が、「『世界初』の称号は絶対にうちが取るわよ!」と、開発部隊に猛烈なハッパをかけ、『冷凍餃子』の販売を急ピッチで進めさせたのだ。
電子レンジがないこの世界で、揚げる手間の要らない唐揚げは確かに強い。けれど、フライパンで蒸し焼きにするだけの餃子だって、手軽さでは負けていない。他社の動きを読んで一気にリソースを集中させ、タッチの差で「世界初の冷凍食品」の枠をかっさらっていくあたり、本当にレミ社長は油断も隙もないというか、最高の経営者だと思う。
これまでは、コンプレッサー式の立派な冷蔵・冷凍庫が各家庭にあっても、中に入っているのは生肉や余った食材くらいのものだった。当然、街のスーパーに行っても「冷凍食品コーナー」なんていう棚は存在しなかった。
それが、この『ししし冷凍餃子』と、ライバル社の『冷凍唐揚げ』の登場によって、一気に変わろうとしている。
「あちこちのスーパーに、あの冷たいガラス扉の冷凍食品コーナーができるんだな……」
自分が持ち込んだ料理のアイデアが、この世界のライフスタイルや流通の景色をガラリと塗り替えていく。その歴史的な瞬間に立ち会えていることに、僕は一人の料理人として、ただ単純にワクワクしていた。
「よし、僕も負けていられないな」
タレの小袋問題で一時は足踏みしたけれど、ラー油の単体販売が始まったことで、お客様も「この小瓶を1本買って帰れば、お家で冷凍餃子が完璧に楽しめる」と大喜びするはずだ。
一歩先を行くレミ社長の背中を追いかけながら、僕は今日も、特別寮のキッチンと『ししし餃子』の厨房を賑やかに繋ぐために、お揚げを煮る手をさらに心地よく動かすのだった。




