84.僕と、僕らの今後と、共に歩む道
200個以上あったいなり寿司が綺麗に消え去り、賑やかな笑い声の余韻が残るリビングで、僕は一人、静かに洗い物をしていた。
ふと、さっきのコニーの言葉が頭をよぎる。
――「なんかヒロキはすっかり経営者だよねえ」
未来の店舗展開、グヌマーでの工事建設、世界への進出。確かに僕の頭の中は、少しずつ「今ここ」の先のことで占められつつある。
だけど、そこで一つの大きな、そして避けては通れない疑問が頭をもたげた。
「そういえば……ここの寮生がみんな卒業したら、僕はどうすればいいのだろう」
僕が管理しているのは『優美林女子高校特別寮』。みんなは今、高校2年生だ。暦の上で180日が過ぎたということは、彼女たちと一緒にいられる高校生活も、もう折り返し地点を過ぎている。
もしみんなが卒業した後も、僕が新しい生徒たちを迎えて寮長を続けたとしたらどうなるか。
まず、気心の知れたサリーたちと離れるのが純粋にツラい。そしてそれ以上に、実務的・安全面での最大のリスクが立ちはだかる。
新しく入ってくる見ず知らずの生徒たちに、僕が『人間』であるという最大の秘密を周知し、共有しなければならなくなるのだ。人数が増え、世代が変われば、それだけ秘密が外に漏れるリスクは跳ね上がる。
そもそも僕は寮長であって、ここの学生ではない。男子である僕が女子高校に通えるわけがないし、便宜上この寮に置いてもらっているだけだ。
そう考えると、年齢的にも、サリーたちと時期を合わせて一緒にここを「卒業」するという形を取るほうが、周囲の目を欺く意味でも圧倒的に自然な気がする。
「そうなると、その先はどうするかな……」
寮長という肩書を外した後の僕の身の振り方。
レミ社長のいる獅子丸食品に正式に籍を移して、役員か開発責任者として組織の力を使って動くことになるのか。それとも、特定の組織に縛られない完全自由な立場で、一人の料理人・経営者として動くことになるのか。
どちらにもメリットとデメリットがあり、非常に悩みどころだった。
シンクを片付け、一息ついたところで、リビングのソファで熱心にノートを広げていたサリーの姿が目に入った。
僕は温かいお茶を新しく淹れ、彼女の前に置きながら、それとなく気になっていたことを聞いてみることにした。
「ねえ、サリー。……サリーはさ、ここを卒業したら、何かやりたいことってあるの?」
僕の突然の質問に、サリーは持っていたペンをピタリと止めた。
少しだけ耳を伏せ、俯きながら、ノートの端を見つめて小さな声で呟く。
「……大学に、行こうかなって、最近思い始めた」
「え、大学? 普通コースから、専門課程のみんなみたいに併設の女子大に?」
「うん。それも1つの選択肢かな」
サリーは少し俯いたまま、だけど決意を秘めたような声で続けた。
「フェイ先生みたいに、もっとたくさん知識をつけたいの。……ヒロキがこれからやろうとしてること、私、聞いててワクワクする。でも、今の私のままじゃ、ただ美味しいごはんを食べて応援することしかできないから。……ヒロキと一緒に歩いていくためには、もっと勉強しなきゃって、思ったの」
「サリー……」
そこまで一気に言うと、サリーは急に耳を真っ赤に染め、バッと僕から顔を背けた。
「あ、今の、今のなし! 忘れて!」
ノートと筆記用具をひったくるように抱え上げると、長い足を慌ただしく動かして、逃げるように自分の部屋へと駆け上がっていった。階段の途中で長い尻尾がパタパタと激しく揺れているのが見えた。
リビングに残されたのは、温かいお茶の湯気と、激しくドギマギしている僕だけだった。
「一緒に歩いていく、か……」
サリーが、僕の描く未来の隣に、自分を置いて考えてくれていた。その事実が、驚きとともに、僕の胸の奥をじんわりと、そして強く震わせる。
僕が人間であること。彼女が抱える家族への深い傷。この世界に巻き起こそうとしている料理の革命。
色んなものが複雑に絡み合う未来だけど、みんながそれぞれの足で一歩を踏み出そうとしている。
「僕も、悩んでる場合じゃないな」
サリーが僕のために上を目指そうとしてくれるなら、僕だって彼女が誇れるような、もっと大きな男にならなきゃいけない。
2年目の後半へと突入していく特別寮の静かな夜。僕は、自分の未来の選択肢をもう一度心の中で並べ直し、心地よいプレッシャーを感じながら、そっとお茶をひと口すするのだった。




