83.僕と、いなり寿司と、留学生の帰還
早いもので、今年も暦の上では早くも『180日』が過ぎた。
朝、僕はキッチンで大量の「いなり寿司」の仕込みに追われていた。豆腐から作った油揚げを、出汁と醤油と砂糖でじっくり、ジュワッと味が染み出すまで甘辛く煮詰める。それを丁寧に袋状に開いていく。
中に詰め込むのは、ただの白米じゃない。ロンの工房の裏山で、なぜか1年中収穫できるという「松茸(に酷似した茸)」を贅沢に使った炊き込みご飯だ。一口かじれば、お揚げの甘みと、上品で濃厚な茸の香りが口いっぱいに広がる特製いなり寿司。
なぜ朝からこんなに大量に作っているのかというと、今日、特別寮にあいつが留学から帰ってくるからだ。
「オー、ヒローキー! ナイスユーミーチュー!」
玄関の扉が勢いよく開いたかと思ったら、リビングに飛び込んできた狐族の小娘――コニーの姿に、僕は思わず持っていたしゃもじを落としそうになった。
「……え?」
そこにいたのは、出発前とは似ても似つかない、超ミニスカートに胸元がかなり大胆に開けられた制服姿のコニーだった。しかも、やけにアメリカナイズされた、身振り手振りの大きい喋り方。
「コニー……お前、そんなキャラだったっけ?」
僕は思わず、心の底から冷ややかな目を向けてしまった。確かに露出度はこれでもかと高い。高いのだけれど……なんだろう、この全く唆られない感じは。
隣では、生真面目な学年委員長のピピが、「コ、コニーさんが不良になって帰ってきたわ……! どうしましょう、学校に報告すべきかしら!?」と、黒の丸メガネをガタガタ震わせながらあわあわと大混乱している。
「あはは! ジョーダンだよ、ジョーダン! 二人とも顔がマジすぎ!」
どうやらこれはコニーなりの「帰国サプライズ」だったらしい。ひとしきり僕たちのリアクションを楽しんだ彼女は、ケラケラと笑いながら自分の部屋へと上がっていった。
しばらくして、荷物を置いて私服に着替えて戻ってきたコニーは、留学前と全く変わらない、見慣れたいつもの姿に戻っていた。ピピが「本当に良かった……」と胸をなでおろしている。
……いや、変わらない、と思ったけれど、何かが違う。
「あれ? コニー、もしかして……背、伸びた?」
リビングに集まってきたサリー(184cm)の横にコニーが並んだ瞬間、僕は違和感に気づいた。留学前は179cmで、サリーとは5cmほどの身長差があったはずなのに、今は目線の高さがほぼ同じなのだ。
「あはは、やっぱり分かる? 向こうでチアダンスの練習をしすぎたせいで、なんか背が伸びちゃったみたいなんだよねー」
コニーはそう言って、あんまり嬉しくなさそうに耳をペタンと寝かせた。優美林の女子にとって、発育が良すぎるのは必ずしも手放しで喜べることではないらしい。特に、最近妹のジュリーに身長(と胸部)を抜かれてデリケートになっているサリーの前では、ちょっと気まずい話題だ。
何はともあれ、特別寮メンバーが久々にテーブルに揃った。
大皿に山盛りにされた特製いなり寿司を囲み、お茶で「おかえり!」と乾杯する。
「んふー! やっぱりヒロキのごはんはサイコー! 涙出そう!」
コニーはいなり寿司を両手で持って頬張り、狐族特有の大きな尻尾をブンブンと振った。
「向こうはとにかく、食べ物が美味しくなくてね。とにかく油っぽくて、サイズがデカけりゃいいんだろ? みたいな料理ばっかり。太らないようにダンスの合間の体型管理が本当に大変だったんだから!」
もぐもぐと口を動かしながら、留学先の容赦ない食事情を教えてくれるコニー。どうやら、僕の世界の「世界の警察」と全く同じような食文化の国だったらしい。そんな環境から帰ってきた彼女にとって、出汁と松茸の香りが利いた上品ないなり寿司は、五臓六腑に染み渡る美味さだったようだ。
食事が落ち着いたところで、僕はコニーがいない間に『ししし屋』の隣のスペースを押さえ、新たに『ししし餃子』という専門店を開いたことを報告した。
「えーっ! 餃子!? あの、皮で包むやつ? すごいじゃん!」
コニーは目を丸くして感心したように僕を見た。
「なんかヒロキは、すっかり経営者だよねえ。これから世界のいろんなところでヒロキの考えた料理が食べられるようになるなら、私は大歓迎だけどね」
コニーのその言葉に、僕は少し前にレミ社長と考え込んでいた「支店展開の問題点」を思い出しながら、苦笑いして答えた。
「ありがとう。でも、今はまだ、僕の手の届く範囲のことしかできないんだ。機械の量産とか、冷凍の物流とか、課題が山積みでね。……だけど、そのうちカントウだけじゃなくて、カンサイや、ナンゴク、そしてコニーが留学していた国みたいに、世界のいろんな場所にお店が出せたらいいなとは思ってる。そのためには、もっといろんなアプローチを考えなきゃいけないんだけどね」
「大丈夫、ヒロキなら絶対にできちゃうよ! その時は私、海外支店のチアガールとして雇ってよね!」
コニーがそう言ってウインクすると、食卓はいつもの賑やかな笑い声に包まれた。サリーもアニーも、久しぶりのフルメンバーでの食事に本当に楽しそうだ。
結局、久しぶりの和食に飢えていたコニーの食欲が起爆剤となり、みんなのペースも大加速。朝から仕込んでいた分では全く足りず、僕がキッチンに立って急遽追加で作った分を合わせて、なんと200個ちょっとのいなり寿司が、綺麗に寮生たちの胃袋へと消え去っていったのだった。
やっぱり、みんなで囲む食卓が一番賑やかでいい。
たくさん食べて大きくなった(物理的にも)仲間たちの笑顔を見ながら、僕は空っぽになった大皿を抱え、もっともっと美味いものを作ってやろうと、静かに闘志を燃やすのだった。




