81.僕と、餃子と、ラー油作り
ラー油作りの部分が丸ごと抜けてましたので再投稿しました(汗)
レミ社長のゴーサインも出て、内装工事や器具の搬入も順調。すべてがトントン拍子に進んでいるように見えた『ししし餃子』のプロジェクトだったが……ここで、開店に向けての最大にして最悪の試練が僕の前に立ちはだかった。
それは、餃子の美味さを引き立てる名脇役――『ラー油作り』だ。
僕の世界では当たり前のように卓上に置かれているラー油だけど、この世界にはそんな調味料は存在しない。つまり、完全にゼロから自作するしかなかった。
「自家製ラー油なんて、向こうの世界にいた頃も含めて一度も作ったことないぞ……」
手探りの状態で、僕はまず厨房で試作を開始した。
最初に思いついたのは、お馴染みの「ごま油」をベースにする方法だった。香ばしい香りがそそるし、間違いなく美味しくなるだろうと踏んでいた。
……が、実際に作ってみると大きな問題が発生した。
「あれ? なんか、ごま油の香りが強すぎてバランスが悪いな……」
細かく刻んで油に移したねぎや生姜、ニンニクといった香味野菜のせっかくの爽やかな香りが、ごま油自体の主張の強さに完全に負けてかき消されてしまうのだ。これでは、僕が理想とする「餃子の味を引き立てるラー油」にはならない。
試行錯誤の末、僕はベースにする油をガラリと変えることにした。
「よし、ごま油ベースは諦めて、クセのない普通の菜種油を使おう」
油自体に主張がない菜種油なら、香味野菜の旨味と唐辛子の辛味をストレートに抽出できるはずだ。
さらに、もう一つの問題が僕を悩ませた。ラー油の奥深い風味と痺れるような辛さを生み出す「山椒(あるいは花椒)」に当たる食品が、この世界の市場をいくら探しても見当たらなかったのだ。
「山椒がないのは痛いけど……なんとかするしかない!」
配合を微調整し、何度も何度も香味野菜と油の比率を変えて試作を繰り返した。
そして、いよいよ最終工程。
大きなボウルに粉状に挽いた唐辛子を入れ、そこに限界まで熱した菜種油を少しずつ注ぎ入れていく。
ジュワワワワワッ!!!
激しい音を立てて、油の中で唐辛子が鮮やかな赤色に染まっていく。成功だ! と思ったのも束の間、一気に厨房の中に立ち込めたのは、猛烈なカプサイシンの白煙だった。
「ごほっ、ごほっ……うわっ、目が、目がぁぁ!」
換気扇を強に回していても全く追いつかない。鼻を突く強烈な激辛の煙がヘッドギアの隙間から容赦なく入り込み、涙と鼻水が止まらなくなった。文字通り目がやられそうになりながら、必死にボウルをかき混ぜる。料理人というより、完全に危険な薬品の調合実験をしている気分だった。
「……ハァ、ハァ……死ぬかと思った……」
涙を拭い、激しく咳き込みながら、冷ましておいた完成品をそっと小皿に移す。
目の前には、濁りのない、どこまでも深く鮮烈な琥珀色の液体が完成していた。
箸の先に少しだけつけて、恐る恐る舌に乗せてみる。
――ピリッとした心地よい辛みの後に、ねぎと生姜の豊かな香りが鼻に抜け、菜種油を使ったことで後味は驚くほどすっきりしている。山椒がない寂しさはあるが出来は上々と言えよう。
「できた……! これなら、及第点だ」
涙目で勝ち誇ったように笑いながら、僕は完成した自家製ラー油の瓶を高く掲げた。
「あ……しまった。完全に忘れてた……!」
完成した自家製ラー油の瓶を前に、僕はその場にガタッとへたり込んでしまった。頭を抱え、自分の浅はかさに猛烈な目眩を覚える。
元の世界の常識、そして『ししし屋』でのお持ち帰りスタイルに囚われすぎていて、完全に失念していたのだ。
お好み焼きやたこ焼きなら、焼き上がったソースの上に直接ソースやマヨネーズをかければ済む。だけど、僕が今やろうとしている『冷凍餃子』のテイクアウトには、食べる直前に使うための味付け用『たれ』と『ラー油』の小袋が絶対につきものだ。
そして言うまでもなく、液体を個包装するそんな便利な小袋なんて、この世界には存在しない。
「どうする……? 瓶ごと買ってもらうわけにはいかないし、ビニール袋にそのまま液体を入れるわけにもいかないぞ……」
そこで僕が思い出したのは、お弁当の隅っこに必ず入っていた、あの魚の形をした醤油入れ――『ランチャーム』だ。あれに相当するものなら、この世界の技術でもどうにかなるんじゃないか。
僕は藁にもすがる思いで、ロンじい、そしてフェイ先生のツテを頼って優美林女子大学の工学博士の元へと足を運び、知恵を借りることにした。
最高峰の知性が集まる研究室で、僕の拙い説明を聞いた博士とロンじいは、腕を組んでうなり声を上げた。
「なるほどな。型を作って小さいプラスチック製の容器を成形し、中を一度真空状態にしてからタレとラー油を正確に流し込み、熱でフタを圧着する……か。ヒロキ、機構的には十分に可能じゃ」
「本当ですか!?」
「ああ。だがな、ヒロキ」とロンが大真面目な顔で僕の肩に手を置いた。「問題はコストじゃ。それを実現するための専用の自動製造機をゼロから設計・開発するとなれば、莫大な費用がかかる。餃子一パックにつけるだけのオマケの容器に、そこまで金をかける国はどこにもないぞ」
コストの壁。そう、僕が始めようとしている餃子専門店は、タネを自動で包む『餃子包み機』だけでもニッチなのに、さらに『ランチャーム製造機』という、この世界にはまだ存在しない超特殊な精密機械を特注で作るという、とんでもない出だしになってしまったのだ。普通なら、ここで計画が頓挫してもおかしくない。
けれど、僕は諦めるどころか、じわじわと胸の奥が熱くなっていくのを感じていた。
「……いや、これは無駄な出費じゃない。絶対にこれからこの世界に広まっていくはずです」
冷静に考えれば、餃子だけじゃない。これからこの世界でテイクアウトやデリバリーの文化が発展していけば、ソース、ドレッシング、あらゆる調味料を小分けにする技術は、絶対に必須になる。
「わかりました。これも未来への初期投資だと割り切ります。必要な費用は、僕が全額出します!」
僕は腹をくくった。幸いなことに、僕にはこれまで『ししし屋』の展開や、この世界に持ち込んで大ヒットさせたホットプレート、小型IH調理器の普及で稼ぎ出した、十分すぎるほどの貯蓄がある。
元々、自分の私利私欲のために使うつもりなんてないお金だ。美味い餃子をみんなに届けるため、この世界の未来を切り開くためなら、いくらでもつぎ込んでやる。
「がっはは! 言うようになったじゃねえか、ちびっ子寮長!」
ロンじいが豪快に僕の背中を叩いた。
「そこまで腹が決まってるなら、俺も職人のプライドにかけて、最高に精密な機械を組み上げてやるよ!」
工学博士も「フム、未踏の機械開発ですか。学者としても血が騒ぎますね」と不敵に微笑んでくれた。
こうして、莫大な資金と最高峰の頭脳を注ぎ込んだ、世界初の『タレ容器自動製造プロジェクト』がスタートした。
まだ見ぬ『ししし餃子』は、僕の想像を遥かに超えた、カントウの歴史を動かす一大プロジェクトへと変貌を遂げようとしていた。




