79.僕と、三色弁当と、弁当争奪戦
あの日、アニーから「うちには作ってくれへんのに……」と羨ましがられたけれど、実際のところ、僕が寮生たちにお弁当を持たせることは滅多にない。
理由はとても単純で、僕自身の時間が圧倒的に足りないからだ。毎日の『ししし屋』のメニュー開発や店舗の管理、食材の仕入れ交渉、そして特別寮の朝晩のごはん作り。僕のスケジュールは、ありがたいことにつねに破綻寸前で回っている。これに加えて毎朝全員分の凝ったお弁当を作るとなれば、いよいよ僕の睡眠時間が消滅してしまう。
それに、時間が足りないこと以上に、お弁当に関しては「以前やらかしてしまった、とある事件」が原因で、僕自身が少し慎重になっているという背景もあった。
あれは数ヶ月前、少しだけ朝の仕込みに余裕があった日のことだ。ちょっとした遊び心のつもりで寮生全員分のお弁当を作ったことがあった。
メニューは、僕の世界でも大定番の『三色弁当』。
醤油と生姜で甘辛く、ポロポロになるまでじっくり炒りあげた「鶏そぼろ」。
ほんの少しの塩とみりんで優しく仕上げた、菜の花のように鮮やかな「炒り卵」。
そして、胡麻の風味を効かせてキリッと味を締めた、瑞々しい「ほうれん草の和え物」。
四角い折箱の中に、緑、黄色、茶色の三本の鮮やかなラインが美しく並ぶそのお弁当は、我ながら完璧な出来栄えだった。蓋を開けた瞬間に誰もが笑顔になる、そんな確信があった。
実際、確信通りだった。――ただ、その効果が「僕の身内だけ」に留まらなかったのが、計算違いだったのだ。
その日の昼休み、優美林女子高校の普通コースの教室で、サリーとアニーがお弁当の蓋を開けた。その瞬間、教室中に鶏そぼろの香ばしいお肉の匂いと、甘い卵の香りがふわりと広がったらしい。
「え、ちょっと……何そのお弁当、すっごく可愛い!」
「三色に分かれてる! めっちゃ綺麗!」
少数精鋭のエリート校である優美林のクラスメイトたちが、その見慣れない、けれど猛烈に食欲をそそるお弁当に興味を示さないはずがなかった。
獣人たちの鋭い嗅覚は、人間以上に敏感だ。あっという間に彼女たちの机の周りには人だかりができたという。
「これ、もしかして噂の『ちびっ子寮長』の新作!? ねぇ、お願い、私にも一口ちょうだい!」
「私も! その黄色いのとお肉のやつ、一緒に食べたら絶対美味しい!」
優美林の生徒たちは、家柄も育ちもいいお嬢様やエリートばかりだが、美味しいものに対する情熱と行動力もまた「超一流」だった。
最初は「ダメだよ、これは私のごはんだもん!」と抵抗していたアニーたちだったが、キラキラとした猛猛しい肉食獣たちの視線に圧され、スプーンで一口、また一口と分けてあげる羽目になった。
結果はどうなったか。
放課後、寮に帰ってきたアニーは涙目で僕にしがみつき、サリーは苦笑いしながら空っぽになったお弁当箱を差し出してきた。
「ヒロキぃ……うち、鶏そぼろ一口しか食べられへんかった……。みんなが美味しい美味しいって、アリんこみたいに群がってきて、あっという間に消え去ったわ……」
「ごめんね、ヒロキ。せっかく作ってくれたのに、私たち、ほとんど食べられない状況になっちゃって。でも、本当に大好評だったんだよ?」
話はそれだけで終わらなかった。
一口食べたら最後、その悪魔的な美味さに魅了された生徒たちが、翌日から学校側に猛烈な直訴を始めたのだ。「あの三色のごはんを毎日食べたい」「学校の購買部で販売してほしい」と。
学年委員長であるピピを経由して、正式に学校側から僕のところに「レシピ提供の打診」が来たときは、さすがに仰天した。
断る理由もなかったので、大量調理用にアレンジしたレシピを購買部に渡したのだが……今ではその『三色弁当』は、優美林女子高校の購買部における「伝説の名物メニュー」と化している。昼休み開始のチャイムが鳴ると同時に、普通コース、芸能コース、専門課程コースの生徒たちが、購買部へ猛ダッシュする争奪戦が日々繰り広げられているらしい。アオイさんも「仕事がオフの日の昼休み、油断してたら3秒で売り切れて買えなかったわぁ」とぼやいていた。
そんな前科があるからこそ、僕は滅多にお弁当を作らない。もし僕が毎日みんなに違うお弁当を持たせたら、今度は優美林の購買部がどんな大騒ぎになるか分かったものではないからだ。
「お弁当屋さん、か……」
一人静かになったキッチンで、洗い物を終えたお弁当箱を拭きながら、僕はぽつりと呟いた。
確かに、この世界での「持ち運びができる、冷めても美味しいお弁当」の需要は凄まじいものがある。今回導入した『とうもろこし粉』でのとろみ付け技術を使えば、冷めても水分が垂れないおかずだってバリエーション豊かに作れるはずだ。『ししし屋』のソースを使った冷めても美味い唐揚げ弁当や、グヌマーのこんにゃくを使ったヘルシーお弁当なんて出したら、カントウ中の働く獣人たちが放っておかないだろう。
ビジネスとしての勝算は、間違いなくある。
「でも、今はあれこれ手を広げる時期でもないからなあ……」
僕は苦笑いしながら、綺麗になったお弁当箱を棚へと仕舞った。
「お弁当屋さんは、もうちょっと僕が経営者として大きくなって、仲間が増えてからの楽しみに取っておこう」
ヘッドギアの位置を少しだけ直し、僕は明日の『ししし屋』の仕込みのために、再び力強く包丁を握り直した。今の僕には、お弁当で世界を驚かせる前に、目の前にいる大切な仲間たちの胃袋と笑顔を満たすという、最高の役目があるのだから。




