78.僕と、お弁当と、家族の誓い
「ねえ、ジュリーちゃん……サリーと、何があったの?」
耐えかねたようにアオイがそっと尋ねる。俯いて唇を噛み締めるジュリーに代わり、重い口を開いたのは、ソファーから静かに立ち上がったフェイ先生だった。
「アオイ、それは私が話すわ。ジュリー、いいわね?」
フェイ先生の硬い表情に、ジュリーは小さく頷いて顔を伏せた。
それからフェイ先生の口から語られたサリーの過去は、僕をはじめ、その場にいた特別寮の面々を戦慄させるに十分なものだった。
すべての始まりは、まだ姉妹が幼い頃だった。
彼女たちの母親は、父親から日常的に暴力を振るわれていた。幼いながらに傷つく母親を見かねたサリーはある時、身を挺して母親を庇ったのだという。
しかし、その日を境に、暴力の矛先はすべてサリーへと向けられるようになった。
「……そして、母親はそんなサリーを助けなかったの。また自分に暴力の矛先が向くのを、ただ怖がったから。自分の娘が代わりに傷ついているのを知りながら、見て見ぬふりをしたのよ」
フェイ先生の言葉に、アニーが思わず口元を押さえ、ピキピキと拳を握りしめる。
さらに歪んでいたのは、その母親は自分の父親であるロンじいにすら、頑なに助けを求めようとしなかったことだ。ロンじいは後に、大切な孫娘がそんな地獄のような窮地に立たされていたことに気づけず、何もしてやれなかったことを、今でも激しく悔やみ、酷く後悔し続けているのだという。
「だけど、姉妹の身体の成長は早かった。サリーが11歳になる頃には、その身長は父親と並ぶくらいにまでなっていたわ。……自分より大きくなったサリーからの『反撃』を恐れたのでしょうね。それ以来、父親の暴力はピタリと鳴りを潜めたそうよ」
身体が大きくなることで、ようやく自らの身を守ることができた。サリーが自分の高身長や強靭な身体に対して、どこか複雑なプライドと執着を持っていた理由が、僕には痛いほど理解できた。
そんな両親のことを、サリーが信じられなくなるのも、憎むようになるのも、至極当然のことだった。
「ただ……2歳年下のジュリーには、その暴力の被害が及ばなかった。だからジュリーは、当時の本当の地獄を知らない。ジュリーが両親と普通に打ち解けている姿を見るたびに、サリーの孤独とすれ違いは、余計に募っていったのね……」
逃げるように実家を飛び出したサリーが頼ったのが、従姉妹であるフェイ先生だった。当時、フェイ先生もコジマ家でそんな凄惨な事態が起きていたとは露ほども知らず、ボロボロで泣きついてきたサリーを必死で抱きしめた。
それからのサリーは、自らの力で未来を切り開くために猛烈に勉学に励み、フェイ先生と同じ、世界に名高い「優美林女子高校」のエリートの門をくぐることになったのだ。
すべてを話し終えたフェイ先生の部屋に、長い沈黙が流れる。
ジュリーはただ静かに涙を流し、アニーやユイナ、ピピたちも、サリーが背負ってきたあまりにも重い傷の深さに、言葉を失っていた。
(サリー……)
僕は、天井の向こうで一人、暗闇の中で布団にくるまっているであろう親友の姿を想い、胸が締め付けられるような痛みを覚えるのだった。
ジュリーはこのままフェイ先生の部屋に泊まることになった。
そして翌朝、まだ空気の冷たい早朝のうちに、サリーとは一度も顔を合わせないまま学校説明会へと赴き、そのまま実家へと帰って行った。
リビングに漂う気まずい空気のなか、僕はいつものようにキッチンに立ち、学校へ行くサリーのために弁当を作って手渡した。
中身は、昨日の残りのミートボール。
それに、サリーの好きな甘めの卵焼き、ポテトサラダ、彩りのミニトマト、そしてかつおぶしをたっぷりかけたごはん。
お弁当箱を受け取ったサリーは、一瞬驚いたようにそれを見つめたあと、いつもの柔らかい笑顔を少しだけ戻して僕を見た。
「あはは、ヒロキってば完全に私のお母さんじゃん……」
その言葉の奥にある複雑な響きに、僕の胸が少しだけズキリと痛む。
すると、横からそれを見ていたアニーが、わざとらしく頬を膨らませて羨ましそうに声をあげた。
「いいなー! うちには作ってくれへんのに……ずっこいわ、サリーちゃん!」
アニーの全力の茶化しに、サリーはくすくすと声を立てて笑いながら、お弁当箱を大事そうにカバンへと仕舞い込んだ。
「ふふふ……あげないよーんだ」
そう言ってアニーに少しだけ舌を出したサリーの横顔を見て、僕は小さく息を吐いた。
幼い頃に負ったサリーの深い傷が、これから完全に塞がることはないのかもしれない。家族という形が、彼女にとって一生受け入れられないものだとしても、それは仕方のないことだと思う。
だけど、血の繋がりなんてなくても「孫だ」と言ってくれたロンじいがいて、こうして理不尽に怒ってくれる仲間がここにはいる。
だから僕は、自分の可能な範囲で、美味しいごはんを作りながら、これからもサリーのすぐ側で彼女の支えになってあげたいと、心から思った。




