76.僕と、食材探訪と、謎の独立国家(4)
「まいったよ、完敗だ。お前さんたちの料理に、俺たちみんなやられちまったな」
ハクさんは大きなお腹をさすりながら、豪快に笑って降参のポーズをとった。
広場では、サリーが白虎族の子供たちに囲まれて猫耳をパタパタと動かしながらたこ焼きのひっくり返し方を教えているし、アニーとケンジさんは若者たちと一緒になって「米に一番合うソースはどれか」という熱い議論で大盛り上がりしている。閉ざされていたはずのグヌマーの関所の中は、今や完全に笑顔のあふれるお祭り会場になっていた。
みんながすっかり打ち解けたのを見届け、一息ついたところで、僕はハクさんの隣へ歩み寄った。
「ハクさん」
僕はまっすぐハクさんのアイスブルーの瞳を見つめ、声を落として言った。
「……少しの間だけでいいです。2人きりでお話できませんか?」
僕のただならぬ真剣な眼差しに、ハクさんは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに「……いいだろう。ついてこい」と頷き、静かな奥の部屋へと僕を連れていってくれた。
重い木扉が閉まり、喧騒が遠ざかる。部屋の中に、僕とハクさんの2人だけの沈黙が流れた。
僕は意を決して、頭に手をかけた。そして、いつも大熊猫族の姿を偽装するためにかぶっている特製のヘッドギアを、ゆっくりと外した。
現れたのは、白黒の毛並みではなく、紛れもない「人間」の肌と黒髪。
「……っ!? お前、それは……!」
さしものハクさんも、驚愕に目を見開いて一歩後ずさりした。この世界には存在しないはずの種族。あまりの衝撃に、彼の巨体が微かに震えている。
「驚かせてすみません。これが、僕の本当の姿です。僕は大熊猫族じゃありません。別の世界から飛ばされてきた『人間』なんです」
僕はヘッドギアを両手で抱えながら、ハクさんの目をまっすぐに見据えて言葉を続けた。
「僕がこの世界で生きていけるように、この姿でいられるようにこの機械を作ってくれたのが、ロンじいでした。血は繋がっていませんが、僕はロンじいの孫だと、この世界で胸を張って言えます!」
驚きに固まっていたハクさんの表情が、僕の言葉を聞くうちに、ゆっくりと、しかし確かな温かみを帯びていく。彼はふっと息を漏らすと、大きな手を僕の頭にぽんと置いた。
「なるほどな……。血の繋がりなど、あのクソ頑固ジジイには最初から関係なかったというわけか」
ハクさんは懐かしそうに目を細め、納得したように深く頷いた。
「お前さんの目の奥にある、俺には測りきれんものの正体がようやく分かったよ。異世界の異端児、か。だがな、ヒロキ。そんなことはどうでもいい。俺たちのこんにゃくを最高の美味に変えてみせた。その事実だけで十分だ」
ハクさんは不敵にニヤリと笑うと、僕の肩をガシッと掴んだ。
「お前さんの正体は、俺の胸の中にだけしまっておいてやる。さあ、最高の料理人よ。これからの『こんにゃく』の未来について、じっくりと話を詰めようじゃないか!」
その力強い言葉に、僕はヘッドギアをしっかりと抱き締め直しながら、心からの笑顔で力強く頷き返すのだった。
こうして、僕とハクさんの二人だけの秘密の会談は、これ以上ないほどの大成功に終わった。
奥の部屋から広間へと戻ると、ハクさんは集まっていた白虎族の民たちの前で豪快に腕を組み、堂々と宣言してくれた。
「これより、我がグヌマーは『ししし屋』、そして『獅子丸食品』と正式な取引を開始する! 秘伝のこんにゃく、包装を工夫した極上のキャベツを、定期的に外の世界へ卸すことをここに約束しよう!」
しかもハクさんは、仕入れ値を驚くほど手頃な価格に設定してくれたのだ。これなら、コストの面でも何一つ心配することなく、カントウの街で美味しいこんにゃく料理をみんなに安く届けることができる。
さらに、話はそれだけで終わらなかった。
「ヒロキ、お前さんから聞いたレミの海外工場計画……あれを、このグヌマーにも誘致したい。ここに獅子丸食品の巨大な工場を建て、うちの有り余る力を持て余した若者たちに、まっとうな『働く場所』を与えてやってくれんか?」
ハクさんのその提案に、僕は胸が熱くなった。
カントウ、カンサイ、ナンゴクに続く、第四の拠点としての『グヌマー工場』。これが実現すれば、閉ざされていたグヌマーの失業率は間違いなく激変するし、白虎族の若者たちがその屈強な腕力を活かして、世界を豊かにするソースの製造に携わることができる。美味が紡ぐ未来の輪が、またひとつ大きく広がった瞬間だった。
「ハクさん、ありがとうございます! レミ社長に伝えたら、きっと嬉しくて飛び跳ねると思います!」
「フン、あの小娘の驚く顔が目に浮かぶようだな。……それと、もうひとつだ」
ハクさんは関所の外へと続く遠い空を見つめ、どこか寂しげに、けれど晴れやかな表情で静かに微笑んだ。
「近いうちに、俺も一度関所を出てカントウの街へ行く。ゴロウの墓前に、ようやく手を合わせに行けそうだ……」
すべての交渉を終え、僕たちは満杯の笑顔で見送られながら、再び電気自動車に乗り込んでグヌマーの関所を後にした。
トランクには、ハクさんから託された最高のみずみずしいキャベツと、歴史の呪縛から解き放たれたプルプルのこんにゃくが、次の出番を待つように静かに揺れている。
車窓から流れる山々を眺めながら、僕は小さく息を吐き、隣で満足そうに居眠りをしているアニーや、楽しそうに笑うサリーとケンジさんの姿に目を細めた。
今回の冒険で手に入れたのは、新しい食材だけじゃない。閉ざされていたひとつの国の未来と、たくさんの獣人たちの笑顔、そして紡がれた過去の絆だった。




