74.僕と、食材探訪と、謎の独立国家(2)
作者はその独立国家に30年前に足を踏み入れたことがあります。
「じゃあ、みんな、忘れ物はない? 出発するよ!」
僕の声に、電気自動車の運転席に座るサリーが「いつでも行けるよ、ヒロキ!」と元気よく猫耳をぴょこぴょこと動かした。
僕たちが目指すのは、同じカントウ領内にありながら、立ち入るだけで特別な「渡航許可証」を必要とする謎に包まれた未開の地――『グヌマー』。
フェイ先生にあれほど「怖いもの知らず」と脅されたけれど、僕の料理人としての好奇心は止められなかった。
今回の『グヌマー捜索隊』のメンバーは、僕を含めて4人。
運転手役は、長距離のドライブも安定してこなしてくれる猫族のサリー。
何か予想外の危険や荒くれ者に遭遇した時、持ち前の俊敏さで素早く僕を抱えて逃げてくれそうな鼠族のアニー。
そして、『ししし屋』の鉄板をいつも寡黙に預かってくれている、大黒柱のように屈強な犬族のケンジさん。これ以上ないくらい心強い布陣だ。
車の後部座席やトランクには、ロンじい特製のポータブルホットプレートに民生用のたこ焼き器、そして獅子丸食品自慢の各種ソースや、水揚げされたばかりの巨大たこ、厳選した食材や調味料がこれでもかと積み込まれている。どんな状況になっても、美味しいもので相手の胃袋を掴むための「僕たちの武器」だ。
「なぁヒロキ、ほんまに大丈夫なん? そのグヌマーいうとこ、人食い虎みたいな奴らがウジャウジャおるんちゃう?」
後部座席のアニーが、窓の外を警戒するようにキョロキョロ見回しながら、不安げに尻尾を丸めている。
「大丈夫だよ。一応、事前にちゃんと情報収集はしてきたからさ」
出発前、僕は『たこ焼き新ソースコンテスト』の優勝者である虎族のノムラ・コテツ氏に連絡を取り、グヌマーについての話を詳しく聞いていた。コテツ氏の話によると、グヌマーを統治している虎族は、一般的な虎族とは一線を画す、希少種族の『白虎族』を名乗っているらしい。そして、現在その地を統べる長は、なんとすでに50年もの長きにわたって独裁体制を敷き、君臨し続けているというのだ。50年って、一体どれほど凄まじい威厳を持った人物なのだろう……。
「白虎族の長か……。手強い相手になりそうだけど、こんにゃくの利権を分けてもらうためには、避けては通れないよね」
僕がそう呟くと、後部座席で腕を組んでいたケンジさんが、「フン、料理人の気概、見せてやりましょう」と太い腕を叩いて不敵に笑った。
車はカントウの整備された中心街を抜け、次第に木々が鬱蒼と茂る山道へと入っていく。
窓の外の景色は、進めば進むほど野生味を帯び、道なき道へと変わっていった。時折、未知の野生動物の鳴き声が遠くから響き渡り、車内には心地いい緊張感が漂う。
「……そろそろ、ナビの地図が途切れるよ」
サリーが真剣な表情でハンドルを握りながら言った。
街を出発してから、電気自動車に揺られること約3時間。
うっそうとした密林を抜けた瞬間、僕たちの目の前に、それは突如として姿を現した。
「みんな、見て……着いたみたい」アニーが息を呑む。
目の前にそびえ立っていたのは、太い丸太を幾重にも組み上げて作られた、まるで要塞のような巨大な木製の『関所』だった。その門の上には、禍々しい虎の頭骨が掲げられ、周囲には鋭い眼光を放つ筋骨隆々の白毛の虎族たちが、大きな武器を手にして警備に当たっている。
(ついに来た……ここが、禁忌の地グヌマーの入り口……!)
車が関所の前にゆっくりと停車する。窓を開けると、一斉に鋭い獣の視線が僕たちへと突き刺さった。僕の胸は緊張でバクバクと高鳴っていたけれど、不思議と恐怖はなかった。トランクに眠る、僕たちの「美味しい魔法」を信じて、僕は懐から手に入れたばかりの渡航許可証をそっと取り出した。
屈強な白虎族の衛兵が、僕が差し出した渡航許可証を無言で受け取った。
彼はじろりと僕たちを値踏みするように見つめたあと、地の底から響くような低い声で、ぽつりと呟いた。
「……クサツヨイトコ」
事前の情報にはなかったその言葉に一瞬戸惑ったけれど、僕の元の世界の知識が、無意識に口を動かしていた。
「イチドハオイデ」
僕がそう返した瞬間、衛兵の険しかった表情がふっと和らいだ。彼はニカッと牙を覗かせて笑うと、「ようこそ、グヌマーへ」と、僕の手を壊れそうなほどの力強い握手で出迎えてくれた。どうやら、この地に伝わる「合言葉」を無事にクリアできたらしい。
重々しい丸太の門が開き、車は再び走り出した。
関所からさらに険しい山道を走ること約30分。深い霧の向こうから現れたのは、要塞のようにも見える、ひときわ巨大な石造りの工場のような建物だった。
車を敷地内に滑り込ませると、その建物の入り口に、一人の男が立っているのが見えた。
片目に大きな傷が刻まれた、優に2メートルを超える大男。全身を覆う衣服の上からでも分かる圧倒的な筋肉の質感、雪のように白い髪、そして冷徹に全てを見通すようなアイスブルーの瞳。彼から放たれる圧倒的な覇気だけで、彼こそが50年間この地に君臨し続ける『長』であると、確信せざるを得なかった。
車を降りた僕を見下ろし、長は地を這うような声で睨みを利かせてきた。
「お前が獅子丸食品のまわしものか」
アニーが僕の後ろで息を呑み、ケンジさんが一歩前に出ようとするのを手で制しながら、僕は長の目を真っ直ぐに見据えて答えた。
「……ああ、そうだ」
「ふん……ゴロウはこんな大熊猫族の子供を遣いによこすとはな、俺もなめられたものだ」
『ゴロウ』――それは、レミ社長の父親であり、獅子丸食品の先代社長の名前だ。このグヌマーの長と獅子丸食品が、かつて深い信頼関係で結ばれていたことは、その親しげな呼び名からも明らかだった。
僕は静かに、けれどはっきりとしたトーンで告げた。
「先代のゴロウさんは、亡くなりました。今は娘のレミさんが社長を継いで、会社を引っ張っています」
「――なんとっ! そうだったのか……!」
長は目を見開き、その屈強な身体を微かに震わせた。深い悔恨と悲しみがその顔に滲み出ている。
「俺は……ゴロウが死んだことすら知らず、なんという不義理を働いていたのだ……!」
閉ざされた地グヌマーにいたせいで、外の世界の情報が届いていなかったのだろう。僕はすかさず、トランクから持参してきた自慢の品を取り出し、長へと手渡した。
「レミさんは今、お父さんの会社をしっかりと継いで、僕たちと一緒にこれらを作り上げました。今、世界中で大ヒットしているんです」
差し出された『お好み焼きソース』と『ごま油』の瓶を、長は大きな手で包み込むようにして受け取った。ラベルの文字や、琥珀色に輝く液体の美しさをじっくりと見つめながら、彼はどこか愛おしそうに目を細めた。
「そうか……あの小娘が、これほどのものを……。フッ、まあ、立ち話もなんだ。中に入れ。詳しい話はそれからだ」
長の案内で、僕たちは建物の中へと通された。外観の無骨さとは裏腹に、中はこんにゃくの原料となる芋の香りが微かに漂う、整然とした加工場になっていた。
応接室のような広間に腰を下ろすと、長は改めて僕の顔をじっと見つめてきた。
「大熊猫族は、この世界でも数の少ない希少な種族だ……。お前さん、カントウの街にいる、ロンという男を知っているか?」
不意に出てきた名前に、僕とサリーは顔を見合わせた。サリーの猫耳が嬉しそうにピンと立つ。
「知ってるも何も、僕とそこにいる猫族のサリーは、ロンじいの孫ですよ。」
「そうか! ロンはまだ健在か、あのクソ頑固ジジイめ……!」
長は今日一番の快活な笑い声を上げ、豪快に胸を叩いた。先代社長だけでなく、あの天才職人のロンとも昔馴染みだったなんて、本当に世間は狭い。
「俺の名前はハクだ。覚えておけ、ヒロキ」
獅子丸食品の先代への義理、そしてロンとの繋がり。張り詰めていた空気は完全に氷解し、僕たちの間には温かい信頼のベースが出来上がっていた。
「ハクさん、僕たちに、この地に伝わる秘伝の『こんにゃく』を卸してもらえませんか」
ロンの名前が出たことで和んだ空気の中、僕は意を決して本題を切り出した。
すると、ハクはさっきまでの笑顔を消し、深く、重いため息をついた。そのアイスブルーの瞳に、グヌマーの地が背負ってきた重苦しい歴史の影が宿る。
「……こんにゃく、か。お前さんたちは、なぜそれがこのカントウで『禁忌』の扱いを受け、この地が閉ざされることになったのか、その本当の理由を知っているか?」
ハクさんは静かに、しかし一言一言を噛みしめるように、こんにゃくの成り立ちから滾々(こんこん)と語り始めた。




