71.僕と、食材探訪と、海苔の養殖場
『ししし屋』の厨房を飛び出し、カントウの海岸沿いへとやってきた僕の目の前には、どこまでも青い海が広がっていた。
「わあ……! ヒロキ、海だよ、海! 潮の匂いが凄くいいね!」
隣を歩くサリーが、潮風に長い黒髪のポニーテールを揺らしながら、嬉しそうに猫耳をぴょこぴょこと動かしている。いつもの制服姿とは少し違う、動きやすい私服に身を包んだ彼女の長い黒尾は、遠足に来た子供みたいに左右へパタパタと大きく振られていた。
今日、僕たちがここへやってきたのには理由がある。
先日開催した『たこ焼き新ソースコンテスト』の過程で判明した、この世界の「海苔」の謎。それをこの目で確かめるため、僕たちは青のりの原料となる海苔の養殖場へと見学に訪れたのだ。
案内人の獣人さんは僕たちを大歓迎してくれた。お好み焼きとたこ焼きの大ヒットで青のりの需要が高まり、増産も決まってご満悦なのだそうだ。
養殖場の方に案内されて船に乗り、少し沖合へと進む。
海面に近づくと、そこには規則正しく並んだ無数の木杭と、そこに張られた大きな網が、水面の下でゆらゆらと揺れているのが見えた。
「へえ、こういう風に育ててるんですね……」
案内人の説明によると、陸上の施設であらかじめ育てた、海苔の「苗」のようなものをこの網の目へと付着させ、海の力で大きく育てるのだそうだ。
実は、僕は元の世界でも海苔がどうやって養殖されているのか、その正確なプロセスを詳しくは知らなかった。
だから、この世界で行われている方法が果たして元の世界と同じなのか、そしてこれが養殖としてベストなやり方なのかは、僕の知識では判断がつかない。
ただ、一つだけ、明らかに僕の常識を超えている部分があった。それは、網にへばりついている海苔そのものの「大きさ」だ。
「……あの、いくらなんでも、ちょっと育ちすぎていませんか?」
思わず僕が海面を指差すと、案内人はガハハと豪快に笑った。
「そうだろう! このカントウの海は、とにかく栄養が豊富だからな。油断すると、あっという間に50センチくらいまで苗が育っちまうんだよ!」
50センチ。海の中でワカメかコンブのように不気味なほど長く、立派にたなびいている黒緑色の物体が、すべて「青のり」の原料なのだという。
その異常なまでの成長スピードの秘密は、この世界特有の資源である『エネルギーキューブ』にあった。
エネルギーキューブは、海中の一定の圧力以下……つまり、ある程度の深い場所じゃないと、水圧がなくなり、自然と溶け出してしまうという特殊な性質を持っている。
広大な海の浅瀬で溶けたキューブの成分が、海水を極上の栄養スープへと変え、植物たちの成長を爆発的に促しているのだ。
「なるほど……。じゃあ、これを収穫した後はどうするんですか?」
今度はサリーが興味津々で尋ねる。
「収穫した海苔はな、しっかり天日干しにして乾燥させるんだ。で、完全に乾いたら、職人たちが石臼を使って手作業で粉々に砕く。それが、あんたたちも使ってる『青のり』になるわけさ!」
「石臼で、粉々に……」
僕は案内人の言葉を反芻しながら、うーんと腕を組んで考え込んでしまった。
やっぱり、僕の予想通りだった。
この世界には、海苔を細かく刻んで、枠に流し込んで水分を切り、薄い紙のように乾燥させるという、あの「板海苔」を作るための技術そのものが存在しないのだ。
(もし、僕の曖昧な記憶を頼りに、ロンじいに頼んで『紙漉き』みたいな機械を作ってもらったら、板海苔は作れるかもしれないけれど……)
頭の中で、板海苔ができるまでの工程をシミュレーションしてみる。
50センチもあるお化け海苔を一度ドロドロに裁断して、均一な薄さに広げて、乾燥させて、綺麗に剥がして……。
「……いや、ダメだ。コスパがもの凄く悪すぎる」
思わず口から本音が漏れてしまった。
この世界の人手と現在の技術でそれをやろうとすると、どれだけ莫大な手間とコストがかかるか、容易に想像がついてしまう。そんなに苦労して作った板海苔は、1枚あたりがとんでもなく高額な「超高級品」になってしまうだろう。それでは、とてもじゃないけれど気軽におにぎりに巻いたり、お店のメニューに組み込んだりすることはできない。
「ヒロキ? 難しい顔をして、どうしたの?」
サリーが僕の目を覗き込んできた。
「ううん、なんでもないよ。ちょっと、新しい料理の計算をしてたんだ」
「そっか! ヒロキの『美味しい魔法』が、また始まるんだね!」
無邪気に期待の目を向けてくれるサリーには申し訳ないけれど、僕は心の中でそっと結論を下した。
(板海苔の製造と、それを使った新メニューの展開は……ひとまず、完全な『先送り案件』だな。今はまだ、その時期じゃない)
まずは、カントウ・カンサイ・ナンゴクでの獅子丸食品の新工場設立を軌道に乗せること。そして『餃子』をお店で流行らせることの方が、今の僕たちにはずっと現実的で、みんなを幸せにできるはずだ。
「よし、サリー! 養殖の仕組みも分かったし、お腹も空いたから、寮に帰ってみんなのご飯を作ろう!」
「うん! 今日の夜ご飯は何かな? 楽しみ!」
海の恵みである青のりの香りを胸いっぱいに吸い込みながら、僕はサリーと一緒に船を降りた。
板海苔への挑戦は未来の僕に預けることにする。




