6.僕と、ちびっ子寮長と、世界地図
全員の胃袋が完全に満たされたところでフェイ先生が、コホンと一つ小さく咳払いをした。
今どきの若者っぽい気だるげな雰囲気を少しだけ引っ込め、教師として、
そして歴史学の権威としての真面目な顔になる。
「さてと。ご飯も美味しかったことだし、そろそろヒロキくんの今後の身の振り方について、現実的な話をしましょうか」
その言葉に、それまでお腹をさすっていたコニーも、大きな身体を少し正したアオイも、丸メガネを直したピピ委員長も、一斉に先生に視線を向けた。
「先生。ヒロキは私の部屋にこのまま居候させるわけにはいかないの? 料理も上手いし、私、大歓迎なんだけど」
サリーが黒い猫耳をピコピコと動かしながら提案する。
「ダメに決まってるでしょ。忘れたの? うちの学校は『全寮制の女子校』よ」
フェイ先生の言葉に、僕は思わず「えっ」と声を漏らした。
女子校。どうりで見かける生徒が女の子ばかりだと思った。
自分がそんな場所に紛れ込んでしまっていたことに、今更ながら顔がカッと熱くなる。
「それにね」と、フェイ先生は僕を見つめた。
「さっきも言った通り、ヒロキくんは神話の存在である『人間』……つまり古代絶滅種よ。ぶっちゃけ、こんな存在を多くの獣人の目に晒すのは、学術的にも政治的にも危険すぎるわ。どこかの国の上層部に見つかったら、研究施設に隔離されてもおかしくないんだから」
「そ、そんな……っ」
アオイが青ざめ、僕を庇うように大きな身体を乗り出した。
ピピも「確かに、不用意に公表するのはリスクが高すぎますね……」と眉をひそめる。
「じゃあ、どうするのさ先生。外に放り出すわけにいかないじゃん」
不満げに尻尾を揺らすサリーに、フェイ先生はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「そこでよ。私にちょっとしたアイデア……っていうか、特権があるの。私、実は校長先生にめちゃくちゃ貸しがあるわけ」
フェイ先生は自分の胸に手を当て、自信満々に言った。
「校長に話を通して、今使われていない学校の古い別館(旧男子寮か旧教員宿舎)を、国からの『重要歴史遺物保護のための特別研究施設』って名目で、私直轄の寮として融通してもらうわ。もちろん、名ばかりの特別寮よ」
「特別寮……?」
ピピがメガネの奥の目を瞬かせる。
「そう。メンバーは、ここにいるサリー、コニー、アオイ、ピピ。あんたたち4人を、その新しい寮に引っ越しさせる。もちろん私も管理責任者として出入りするわ。つまり、この5人だけが住む秘密の女子寮を作るのよ」
「おおっ! 面白そう!」
コニーが身を乗り出して金を尻尾をビシバシと振る。
「じゃあ、ヒロキの身分はどうなるの? 生徒としては暮らせないんでしょ?」
サリーの疑問に、フェイ先生は僕を指差してウィンクした。
「ヒロキくんには、その新しい寮の寮長になってもらいます!」
「ええっ!? 僕が、寮長ですか……!?」
僕が女子高生たちが住む寮のトップになるなんて。
「そうよ。名目は寮の管理人兼、私たちの保護者(笑)。実質は、私たちの『専属料理番』。それなら男子禁制の女子校の敷地内でも、特例の職員として匿うことができるわ。どう? これならヒロキくんの安全も確保できるし、あんたたちも毎日あの絶品料理が食べられる。一石二鳥でしょ?」
フェイ先生の悪魔的、かつ天才的な提案に、女子高生4人の目が一斉に輝いた。
「賛成! 異議なし! ちびっ子寮長、よろしくねー!」
コニーが僕の背中をバシバシと叩く。
「……ヒロキくんが、寮長……。毎日、ご飯……嬉しい……」
アオイがホッとしたように胸をなでおろし、はにかんだ。
「まあ、規則としてはグレーゾーンだけれど……ヒロキくんの安全と、あのボロネーゼのためなら、私も委員長として目をつぶりましょう」
ピピも折れ曲がった耳を揺らしながら、嬉しそうに同意してくれた。
「決まりね。じゃあヒロキ、今日からよろしく。あ、ちなみに私の朝ご飯の分もよろしくね?」
サリーがニカッと八重歯を見せて笑う。
数億年の歴史の謎、全寮制女子校での秘密の同居生活、そしてまさかの「ちびっ子寮長」への就任。
目まぐるしく変わる自分の運命に戸惑いながらも、
僕は「……はい。精一杯、美味しいご飯を作ります」と、おとなしく、だけどしっかりと頷くのだった。
「——よし、じゃあ新しい寮の手続きにいく前に、ヒロキくんにこれを見せてあげるわ」
フェイ先生は調理室のテーブルに、古びた、だけど精巧な大判の羊皮紙を広げた。
この世界の「世界地図」だ。
「この世界の、地図……」
僕は促されるままに地図を覗き込み、思わず息を呑んだ。
そこにあったのは、僕が学校の地理の授業で見慣れた「地球」とは、全く異なる世界の姿だった。
アジアも、アメリカも、ヨーロッパも、アフリカもない。
巨大な海の中に、すべての陸地が歪なハート型のように巨大にひとまとめになった、
ただ一つの「超大陸」がデカデカと描かれていた。
「これ……陸が、全部繋がっている……?」
「そうよ。この世界には『大陸』は一つしか存在しないの。私たちの祖先は、この一つの大地で生まれ、進化してきたとされているわ。……どう? あんたの世界の地図と違う?」
フェイ先生の問いに、僕はコクコクと頷きながらも、地図の端に細かく刻まれた「数字」に目を留めた。
緯度と経度を示す、グリッド線と数値。
僕は理系男子高校生だ。数字の並びを見て、調理実習の予習と同じくらい頭の片隅で記憶が火を吹いた。
僕が元いた場所の、おおよその緯度と経度。確か、北緯35度、東経139度あたり……。
「先生、ここの……今の僕たちの現在地って、この数値で言うとどこになりますか?」
「ん? 現在地? ええっと、この超大陸の東の端っこの、この湾になっているあたりね。数値で言うと……北緯35度、東経139度のあたりだけど、それがどうかした?」
「っ……!」
背中に、ゾクッと冷たい電気のような衝撃が走った。
「同じ、だ……」
「え? 何が?」
サリーが不思議そうに黒い猫耳を近づけてくる。コニーもアオイも、ピピ委員長も、僕の様子が一変したのを見て顔を見合わせた。
「僕が……僕が昨日までいた、自分の部屋の場所と、緯度も経度も……全く同じです」
「……は!?」
フェイ先生の目が丸くなった。丸メガネのピピも絶句している。
「陸の形は全然違うし、海の位置も違う……。でも、この場所の座標は、僕の家と、完全に一致しています」
調理室に、しんと冷たい沈黙が降りた。
地殻変動で全ての陸地が一つにまとまり、全く新しい超大陸に生まれ変わっている地球。
だけど、座標は僕の家と同じ。
「……じゃあ、やっぱり、あんたは……」
サリーが琥珀色の目を大きく見開いて、僕を見つめる。
フェイ先生が、震える手で世界地図を指でなぞった。
「ヒロキくん、あんたがいた時代は私たちの歴史よりももっと前……地層が何度もひっくり返って、すべてが完全に風化して消え去るほど、遥か、遥か遠い『未来』なんだわ……!」
「未来……。僕は、未来の地球にいるんだ……」
人類が作ったビルも、文明も、生きていた証も、
数億年という果てしない時間の砂に埋もれて完全に消失してしまった世界。
窓の外を見上げれば、僕たちの文明を真似たような、だけど少し歪な獣人たちの現代的な街並みが広がっている。
あまりのスケールの大きさに足が震えそうになった僕の肩を、サリーの大きくて温かい手が力強くガシッと掴んだ。
「……ま、細かい理屈は私にはよく分かんないけどさ!」
サリーはニカッと笑って、僕の顔を覗き込んだ。
「数億年未来だろうが何だろうが、あんたが今、私の家の前に現れて、私と出会って、こんなに美味しいご飯を作ってくれたのは事実じゃん。未来から来たなら、なおさら私たちが守ってあげなきゃね、ちびっ子寮長?」
「サリー……」
「そうそう! 数億年前の神話の料理、毎日食べられるなんて最高じゃん!」
コニーがいつもの調子で笑い飛ばし、アオイも「……未来でも、現在でも……ヒロキくんは、ヒロキくんだよ」と静かに微笑んでくれた。
「……みんな、ありがとうございます」
おとなしい僕は、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
座標は同じ。だけど、ここは人類が遥か昔に去った、新しく温かい世界。
僕の、数億年の時を越えた「秘密の女子寮ライフ」が、確かな足取りで動き出そうとしていた。




