5.僕と、歴史的遺物と、スポンサー候補
「古代絶滅種……? 僕が……?」
頭が完全にフリーズしかける。
僕の存在自体が神話の領域だなんて。
けれど、コンロの上から漂うトマトと赤ワインの濃厚な香りが、僕を現実へと引き戻した。
ここで火を止めないと、ソースが煮詰まって台無しになってしまう。
「……あの、話の途中ですみません。パスタが伸びちゃうので、とりあえず食べてください」
僕は困惑を一度頭の隅に追いやり、手際よくボロネーゼを5つの大きなお皿に盛り付けた。
「これ、ボロネーゼです。ひき肉のソースなんですけど……あ、もしよかったら、付け合わせのナスで麺を巻いて食べてみてください。ナスのジューシーさとソースが絡んで、すごく美味しいですよ」
「あんた、この状況で料理の解説は怠らないわけね……」
フェイ先生は呆気にとられながらも、促されるままにフォークを手にした。
ピピも丸メガネを少し押し上げ、未知の赤黒いソースがかかったパスタを警戒半分、興味半分で見つめている。
5人が一斉にパスタを口に運んだ。
そして、調理室が一瞬で静まり返る。
「……っ!!」
「んんんんんーーーっ! おいひいっ!」
最初に叫んだのは、やっぱりコニーだった。
金の尻尾がちぎれんばかりに高速回転している。
アオイも「んむ……!」と目を輝かせ身体を震わせながら黙々とフォークを動かし始めた。
「な、何これ……! めんつゆのパスタとは完全に別次元……! トマトの酸味と、お肉の旨味が信じられないくらい麺に絡んで……美味しい……っ!」
委員長のピピが、直角に折れ曲がった左耳をピンと立たせて感動している。
「マジか……。何これ、ヤバい。マジで美味しいんだけど……」
さっきまで血眼になっていたフェイ先生も、一口食べた瞬間、とろけるようなパンダ顔になってパスタを頬張った。
「ナスで巻くの、最高にセンスあるわ……」と至福の表情を浮かべている。
ひとまずみんなの口に合ったようで安心し、僕はフェイ先生に向き直った。
「それで、先生……さっきの『人間』の話なんですけど」
フェイ先生はハッと我に返り、フォークを持ったまま、少し真面目な顔で口を開いた。
「あ、そうそう、人間の話。……うちの歴史学や考古学の定説ではね、『人間』は私たち獣人の共通の祖先……つまり『すべての源流』だとされているの。でも、おかしいのよ」
先生はパスタを飲み込み、僕を凝視した。
「数億年前に姿を消したという口伝はあるけれど、地質学的な化石や発掘データとしては、この世界の歴史をどれだけ遡っても、人間が存在した物理的な証拠はどこにも出てこない。つまり、歴史の表舞台には一度も記録が残っていない種族なの。……それなのに」
先生はゴクリと息を呑んだ。
「その『神話の存在』である人間が、当時の衣服を着て、当時の文化を持ったまま、今ここに現れた。……あんたが本当に人間なら、数億年の『歴史の空白』を飛び越えて、本当に過去から時空を越えてやってきたとしか説明がつかないのよ。一体どうやって……?」
歴史の空白。そして、本当に過去から来たかもしれないという可能性。
スケールが大きすぎて、僕のキャパシティは完全に限界を迎えた。
やっぱり僕は、歴史を揺るがすとんでもない事態に巻き込まれているらしい。
自分が本当に迷子なのだと突きつけられ、僕が再び青ざめそうになった、その時だった。
カツン、とプラスチックの軽い音が響いた。
「ヒロキ、おかわり」
見上げると、サリーが、一粒のソースすら残っていない完全に綺麗なお皿を僕の目の前に差し出していた。琥珀色の目を爛々と輝かせ、
黒い猫耳を期待に満ちた様子でピコピコと動かしている。
「えっ? あ、もう食べちゃったんですか?」
「だって美味しいんだもん。ほら、まだ鍋に残ってるでしょ? 私、たくさん食べるからさ、これっぽっちじゃ全然足りないの。早く次ちょうだい、次!」
「……サリー、あんたねぇ。歴史的な大発見の最中なんだけど……」
フェイ先生が呆れてツッコむが、
サリーは「だって、お腹が空いたら歴史の勉強どころじゃないし」とどこ吹く風だ。
「あはは……。じゃあ、大盛りにしますね」
張り詰めていた調理室の空気が、サリーの凄まじい食欲のせいで一気にふにゃふにゃと緩んでいく。
自分が古代絶滅種だろうが過去から来ようが、
目の前でおいしそうに僕のご飯を待っている人がいる。
それだけで、僕の心は少しだけ軽くなるのだった。
「ぷはぁーっ! 食べた食べた! マジで美味しかったー!」
コニーが大きなお腹をさすりながら、
満足そうに金の尻尾を床にパタパタと打ち付けた。
結局、その後は全員が競うようにおかわりを重ね、最初に「おかわり」を要求したサリーにいたっては、大盛りで3杯目も見事にたいらげていた。
「(多めに材料を買っておいて、本当に良かった……)」
痩せ型で食が細い僕からすれば、彼女たちの食べる量はまさに未知の領域だ。
一時はどうなることかと思ったけれど、全員の底なしの胃袋を満たすことができて
料理人としてはホッと胸を撫で下ろす。
「ふぅ……。ちょっとこれ、マジで私たちの世界の『パスタ(洋風うどん)』の概念がひっくり返るわよ。歴史の謎も気になるけど、このボロネーゼのレシピの出処のほうが気になっちゃうわ」
フェイ先生もお皿をピカピカにして、感動に震えながら丸メガネのピピ委員長に同意を求めている。
ピピも小さく何度も頷きながら、上品に口元を拭いていた。
調理台を片付けようと、僕が空いたお皿をまとめ始めた、その時だった。
すうっ、と僕の頭上に大きな影が落ちた。
「あの……、ヒ、ヒロキくん……っ」
驚いて見上げると、そこにはアオイが立っていた。
彼女は大きな身体をこれ以上ないほど縮こまらせ、灰色のクマ耳をペタンと寝かせながら、もじもじと指先を合わせている。心なしか、その綺麗な顔がほんのり赤くなっているようだ。
人見知りな彼女が、自分から僕に話しかけてくるなんて。
「あ、はい、アオイさん。どうしました?」
「あのね……その……。私、食べるの、大好きなんだけど……自分じゃ、こんなに美味しいもの、作れなくて……」
アオイはゴクリと息を呑むと、意を決したように僕の前に一歩踏み出し、両手を胸の前でギュッと握りしめた。上から見下ろす彼女の瞳は、真剣そのものだ。
「これからの、材料費……! 私、ぜんぶ出すから……! だから……これからも、ウチらに、ヒロキくんのご飯……作って、ほしいな……って……ダメ、かな……?」
「えっ……」
まさかの、スポンサー(?)の立候補だった。
「材料費を全部出す」という言葉に、隣で聞いていたコニーが「えっ! 抜け駆けずるいアオイ! 私も出す!」と飛びつき、
サリーも「私もバイト代から出す!」と大騒ぎを始める。
「あはは……。そんなに気に入ってもらえたなら、僕で良ければいくらでも作りますよ。材料費も、みんなで割り勘にしてください」
僕が困ったように笑って答えると、アオイは寝かせていた耳をパッと立ち上げ
本当に嬉しそうに「……本当!? ありがとう……っ!」と、大輪の花が咲いたような笑顔を見せた。
自分が過去から来た「古代絶滅種」だという衝撃の事実は、まだ何一つ解決していない。
けれど、この世界で僕の料理を待ってくれる、大きくて少し騒がしいお姉さんたちができたこと。
それだけで、僕の心の中にあった恐怖心は、温かいスープのように綺麗に溶けていくのだった。




