4.僕と、ボロネーゼと、絶滅種
「おはよー! サリー、ちびっ子、よく眠れた?」
寮のエントランスに降りると、すでに待ち構えていたコニーが元気いっぱいに金の尻尾を振った。
アオイも「……おはよう」と、恥ずかしそうに縮めながらペコリと頭を下げる。
僕はといえば、一晩中サリーに抱き枕(物理)にされていたせいで、腰がバキバキの寝不足状態だ。
「うん、私はバッチリ。じゃあ学校に行こ……って、2人とも何その荷物」
サリーが目を丸くする。
コニーとアオイの腕には、なぜか大きめのエコバッグが握られていた。
「だって! 委員長たちに相談する前に、またあのご飯食べたいじゃん!」
「……お昼ご飯……また、作って、ほしいな……って」
昨日、僕のカルボナーラもどきに胃袋を掴まれた2人は、完全に僕の手料理をおねだりする気満々だった。
サリーも「あー、確かにあれはまた食べたい……」と琥珀色の目を輝かせる。
「いいですよ。じゃあ、学校に行く途中でスーパーに寄りましょう。別のパスタを作りますね」
僕の提案に、3人は「やったー!」と大喜び。道中、僕が「ボロネーゼとかどうですか?」と聞いてみると、3人の頭の上に昨日ぶりの巨大な『?』が浮かんだ。
「ボロ……ねーぜ?」
「何それ、新しい呪文?」
「……ウチの、料理の教科書には……ない、名前……」
嫌な予感がして、立ち寄った現代的な大型スーパーの棚をぐるりと見渡してみる。
そこには確かにパスタの麺は売っていた。
だけど、ミートソースやカルボナーラといった、元の世界ならどこにでもあるはずの
「パスタソースのレトルト」が一切ないのだ。
「あの……この世界の人たちって、パスタをどうやって食べてるんですか?」
不思議に思って尋ねると、サリーが当然といった顔で答えた。
「どうやってって、普通に塩茹でして、めんつゆをかけて食べるけど」
「……えっ?」
「そうそう! 薬味にネギとか刻みのりをのせると美味しいんだよねー!」
コニーがうんうんと頷き、アオイも「……たまに、天ぷらを……のせる……」と補足する。
「(うどんじゃないんだから……!)」
心の中で全力のツッコミを入れた。
どうやらこの世界、文明は現代的なのに、イタリアンの概念が致命的に欠落しているらしい。
パスタはただの「洋風の細いうどん」として処理されていたのだ。
「よし、それならなおさらボロネーゼですね。ひき肉と、トマトと、玉ねぎ、にんじん……」
カゴを持った僕の後ろを、平均身長180cm超えの女子高生3人が、
ひよこの群れのようにぞろぞろとついてくる。
僕がテキパキと食材を選んでいく姿を見て、コニーが「ちびっ子、買い物の手つきが完全にお母さんじゃん」とクスクス笑った。
買い物を済ませた僕たちは、サリーたちが通う学校へと向かった。
到着した校舎は、これまた僕の世界の高校とよく似ているけれど、机や椅子のサイズが全体的に一回りから二回りほど大きい。
「休日の相談だから、まずは調理室を借りておいたよ。ここでご飯を作って、委員長たちを待とう」
サリーに案内されて入った調理室。
換気扇のスイッチを入れ、調理台に食材を並べると、僕の料理人としてのスイッチがパチリと入る。
「うどんじゃないパスタの本当の姿、見せてあげますからね」
寝不足の目をこすりながら、僕は包丁を握り直した。
調理室に、ひき肉と赤ワイン、そしてじっくり炒めた玉ねぎとトマトが渾然一体となった、
濃厚で芳醇な香りが満ちていく。
この世界におけるパスタの地位(=洋風うどん)を覆すための、僕の特製ボロネーゼだ。
コニーとアオイが調理台の端で、
おあずけを食らった犬のように鼻をピクピクさせている。
「おー、やってるやってる。っていうか、何このめちゃくちゃヤバい匂い。マジで嗅いだことないんだけど」
調理室のドアが開き、気だるげながらも通る声が響いた。
入ってきたのは、黒髪を無造作にまとめた、背の高い大人の女性だ。身長は188cm。
モノトーンの服装に、どこか気品を感じさせる佇まい——だが、頭の上にはモコモコとした黒いパンダの耳がある。
「フェイ先生、ピピ、遅いじゃん!」
サリーが手を振る。
先生の後ろからひょこっと顔を出したのは、白い髪に丸メガネをかけた女の子だった。
頭の上のウサギの耳は、左側だけが綺麗に直角に折れ曲がっている。身長は170cm。
この世界の獣人たちの中ではかなり小柄なほうだけど、
168cmの僕と比べれば、それでもまだ少し高い。
「遅いじゃん、じゃないわよサリー。休日に呼び出しておいて……って、ちょっと待って。そこにいる、ちっちゃい生き物は誰?」
フェイ先生が丸いパンダ耳をピクッと動かし、鋭い視線を僕に向けた。
委員長のピピも、丸メガネの位置を直しながら、驚いたように僕を見つめている。
「あ、委員長、先生。こいつがさっき連絡した迷子。私の家の前に突然現れてさ。名前はヒロキ」
サリーが僕の肩にポンと手を置く。
「はじめまして、ヒロキです……。あの、これ、お礼に作ってるボロネーゼです」
僕がおとなしく一礼すると、ピピがトコトコと近づいてきて、僕の頭のあたりをじっと観察し始めた。
「……サリー。この子、どこの部族? 私の知る限りの名簿や、周辺の自治体の種族データにも、こんな『頭の上に耳がない』特徴の種族は登録されていないのだけれど。……まさか、不法入国者?」
委員長らしい理路整然とした、だけど少し物騒な推理に、僕は慌てて首を振った。
「ち、違います! 僕はその……自分のいた世界では、『人間』って呼ばれる種族で……」
「ニンゲン?」
ピピは折れ曲がった左耳をさらに傾げ、丸メガネの奥の目を丸くした。やっぱり『?』が浮かんでいる。
しかし、その単語が発せられた瞬間。
それまで「何その料理、マジ美味そうなんですけどー」と鍋を覗き込もうとしていたフェイ先生の動きが、ピキッと完全に止まった。
「……え?」
フェイ先生の顔から、みるみるうちに余裕が消えていく。
彼女は長い手足を生かして一歩で僕との距離を詰めると、
僕の肩をガシッと掴み、顔が触れ合いそうなほどの距離まで迫ってきた。
「せ、先生……?」
「あんた……今、なんて言った? ニンゲン……? 漢字で書くと、人の間に、間って書く、あの『人間』……!?」
「は、はい……そうですけど……」
「マジで……!? 冗談抜きで言ってる……!?」
フェイ先生の息が荒くなる。
彼女の変貌ぶりに、サリーもコニーもアオイも
「え、先生どうしたの?」とオロオロし始めた。
「ちょっと先生、落ち着いてよ。ニンゲンってそんなに変な種族なの?」
サリーが宥めようとするが、フェイ先生は僕のツルツルの耳や、手足の形を血眼になって観察し、ついに頭を抱えて叫んだ。
「変な種族とかそういうレベルじゃないわよ! 『人間』って……数億年前に世界から完全に姿を消した、神話と歴史の教科書の中にしか存在しない、幻の『古代絶滅種』じゃん!! あんた、本当に人間なの!? 本物なの!?」
「ええええええーーーっ!?」
調理室に、サリーたちの絶叫が響き渡った。
鍋の中のボロネーゼが、そんな大騒ぎを余所に、
コトコトと静かに美味しそうな音を立てて煮込まれていた。
新たに登場人物が2人増えました。
ピピ(兎族) → 170cm
フェイ(大熊猫族) → 188cm




