46.僕と、世界の仕組みと、留学生
壮行会が無事に終わり、特別寮に戻って一息ついた夜のこと。
僕はダイニングのソファでいつものように炭酸水を飲んでいるフェイ先生の前で、ふと日中に抱いた疑問を口にした。
「フェイ先生、今さらなんですけど……チア部の大会、なんで『世界大会』なんですか? この世界って、僕が見た地図だと大きな大陸が1つだけでしたよね?」
元の世界の感覚だと、世界大会といえば海を越え、いくつもの大陸を越えた地球規模のものを想像してしまう。しかし、この世界の地図には広大な一つの陸地が広がっているだけだったはずだ。
フェイ先生はグラスをコトッと置くと、フッと笑って長袖の腕を組んだ。
「あぁ、なるほど。寮長にとっては不思議よね。この世界はね、物理的には1つの大きな大陸だけど、その中に100近い『自治区』が存在するのよ。それを形式上、私たちは『国』って呼んでるわ。それぞれの国に独自の『国王』や『元首』がいて、国ごとの『法律』があるの」
「100もの国が……! じゃあ、国ごとに住んでいる獣人の種類が全然違ったりするんですか?」
「いいえ、どの国にもあらゆる種族の獣人が暮らしているわ。多少の偏りはあっても、基本的には大差ないわね。ただね……」
フェイ先生は少し声を落とし、歴史を紐解くように語る。
「国ごとに『言語』が全く異なる場合があるのよ。これは数百年前の凄惨な『紛争時代』の名残ね。お互いに敵方に作戦や機密を悟られないように、それぞれの地域で独自の暗号のような言語を発達させた結果、それがそのまま今の公用語になっちゃったのよ。だから、ちょっと遠くの国に行くだけで言葉が通じないなんてザラよ」
言葉の壁が戦争の歴史から生まれたものだと知り、僕は頭のパンダ耳を少し神妙に伏せた。
「へぇ、そうなんだ……。じゃあ、国を行き来するのも大変なんですか?」
「当然、基本的には『渡航許可証』が必要になるわ。審査もそれなりに厳しいしね。……ただ、例外もあるわ」
フェイ先生は人差し指を立ててウィンクした。
「唯一、私たちが今いるこの国『カントウ』の隣国である『カンサイ』、そしてさらにその隣にある『ナンゴク』の2つの国にだけは、歴史的な協定があって、許可証なしで自由に行き来ができるのよ」
「へえ! 許可証なしで隣国へ行けるんですね」
「そう。だからその2つの国からの移住者や交流はすごく盛んなの。現に、優美林高校の1年生にも留学生がいるわよ。専門課程コースに1人、遠い『ナンゴク』から。そして普通コースに1人、お隣の『カンサイ』から来てる子がね」
「そうだったんだ……」
大陸は一つでも、そこには100もの国家と、紛争の歴史が生んだ多様な言語、そして厳格な渡航のルールが存在する。だからこそ、国を代表して戦うチア部の大会は、紛れもない「世界大会」なのだ。
翌日、僕はさっそくサリーにお願いして、普通コースに通うという『カンサイ』からの留学生を特別寮まで連れてきてもらった。
リビングのドアから恐る恐る入ってきたのは、つぶらな瞳と丸い耳が特徴的な、鼠族の女の子だった。
「ア、アノ……ワ、タシハ、ナマエ、アニー、イウデス。ネズミゾク、デアリマス。ヨロ、シク、デスマス……っ!」
身長は150cmくらい。優美林高校の関係者で、僕よりも小さな獣人に会ったのはこれが初めてだ。
小さな身体をさらに縮こまらせて、両手をぎゅっと握りしめながら、ロボットみたいにたどたどしい言葉で一生懸命に挨拶をしてくれた。慣れない『カントウ』の言葉に、心臓がバクバクいうほど緊張しているのが見て取れる。
言葉の壁が紛争時代の名残だと昨日フェイ先生から聞いたばかりだった僕は、彼女の緊張をほぐしたくて、すかさず親しみやすい笑顔でこう返した。
「カンサイの言葉で喋ってもろてもええで」
その瞬間、アニーちゃんの丸い耳がピーンと跳ね上がった。
「何やあんさん、カンサイの言葉わかるんかいな! うち、標準語しゃべらな思て緊張しすぎて、ホンマ倒れるかと思うたわ〜〜!」
それまでのガチガチな様子はどこへやら、アニーちゃんはカンサイ独特の、そしてテンポの良いイントネーションでめちゃくちゃ饒舌にしゃべりだした。
表情も一気にパッと明るくなり、小さな手足を身振り手振り動かして、堰を切ったように言葉が溢れ出てくる。
「ヒロキ、カンサイ語も喋れるんだ! すごいすごい!」
隣にいたサリーが、金の尻尾をパタパタと揺らしながら目を輝かせて軽く拍手をしてくれている。
「いやいや、そんな大層なもんやないって……」
僕は頭のパンダ耳をポリポリとかきながら苦笑いした。
ヒロキ的には、元の世界の本物の関西人が聞いたら「お前のそれはエセ関西弁やろ!」って一発でツッコミを入れられるな……と思うレベルの、テレビの知識主体のなんちゃってカンサイ語だ。
だけど、この世界の大陸の『カンサイ語』としては、アニーちゃんに完璧に通じたらしく、彼女の警戒心を解くには十分すぎたみたいだ。
「カントウの言葉って何かツンツンしてて耳が痛うなるねん。あー、助かったわぁ。ところで寮長さん、うちは何でお呼ばれしたん?」
ほっと胸をなでおろして椅子にちょこんと腰掛けたアニーちゃん。言葉が通じた安心感からか、彼女の大きなしっぽが嬉しそうに床をトントンと叩いている。
小さな鼠族の留学生アニーちゃんを前に、僕はこの国『カントウ』とは全く違う文化を持つ『カンサイ』の食事情をリサーチするべく、まずは温かいお茶を淹れることにした。




