39.僕と、女社長と、ギャップ
レミ社長は壁のハンガーへと歩み寄ると、かかっていた真っ白な白衣を手に取り、無駄のない動きで颯爽と身にまとった。
一国のトップとしてのオーラはそのままに、一瞬で「開発研究者」の顔へと切り替わる。
すると、どこからともなく白衣を着た犬族の黒服が二人、音もなく現れた。その手には綺麗にサシの入った豚バラ肉の皿とトング、そして取り皿とタレ用の小皿が乗ったトレイが握られている。彼らは手際よくそれらをテーブルに配置すると、再び一礼して一歩下がった。
「失礼するわね」
レミ社長は自らトングを握ると、ホットプレートの上に豚バラ肉を2枚、丁寧に並べた。
ジュワァァ、と脂の弾ける小気味いい音が静かな室内に響き渡る。肉の焼ける香ばしい匂いが立ち上ると、彼女はトングを素早く箸へと持ち換え、流れるような動作で肉をひっくり返した。
手際よく小皿へと注がれる、琥珀色のポン酢と、深みのある色合いの焼肉のタレ。
レミ社長は焼き上がった肉をそれぞれの小皿へと移すと、まずは焼肉のタレを肉にたっぷりと絡めた。そして1枚、続いてポン酢を潜らせたもう1枚へと、迷いのない所作で肉を口に運んでいく。
長い指先で口元を上品に隠しながら、静かに、だけど真剣に咀嚼を繰り返す。
にんにくの鮮烈な風味や、柑橘の爽やかな酸味が、ライオンの獣人である彼女の鋭い味覚を刺激しているはずだ。それにしても、肉を焼くところから口に運ぶまで、いちいちすべての動きがエレガントすぎて、僕は緊張もあって何一つツッコミを入れることができない。
やがて、ゆっくりと肉を飲み込んだレミ社長は、静かに箸を置いた。
トコトコと僕の方へ真っ直ぐ歩み寄ってきたかと思うと、驚くほど力強い、だけど温かい両手で僕の右手をぎゅっと包み込んだ。
「パーフェクト……!」
サングラスの奥の瞳をキラリと輝かせ、彼女は興奮を隠せない様子で声を大にした。
「素晴らしいわ、ヒロキくん! このタレのコクとパンチ、そしてポン酢の濁りのない爽やかさ……。これがホットプレートで焼いたお肉と合わさることで、お互いの魅力を何倍にも引き立て合っている。我が社の技術をもってしても、ここまでの調味料はそう簡単に作れないわ!」
その言葉を聞いた瞬間、僕のすぐ横で腕を組んでいたフェイ先生が、まるで天下を取ったかのような「勝った!」というドヤ顔を浮かべた。
「どう? 寮長の自信作、すごいでしょ? 私の目に狂いはなかったってことよ」
自分のことのように胸を張るフェイ先生と、僕の手を握ったまま熱弁を振るうレミ社長。
「あ、あら、ごめんなさい! 興奮しすぎてつい……っ」
白衣を着た犬族の黒服がすっと現れ、「社長……手を離していただかないと、ヒロキ様がお困りです」とそっと耳打ちしてくれたおかげで、ようやくレミ社長の手から僕の右手は解放された。
少し赤くなった手をさすりながらホッとしていると、レミ社長はコホンと小さく咳払いをして、元のキリッとした女社長の表情に戻った。
僕は持参していたメモ用紙に、特製焼肉のタレとポン酢の材料、そして配合の比率を手際よく書き写し、彼女に手渡した。
「これが詳しいレシピです」
レミ社長は受け取ったメモをじっくりと、プロの目で凝視する。
にんにく、りんご、醤油、そして柑橘の比率……。
「……なるほど。入手が難しい特殊な素材は一切使われていないのね。既存の調味料の組み合わせと絶妙なバランスだけで、この領域に達しているなんて。――これなら、すぐにでもうちの工場の生産ラインを構築できるわね」
彼女がパチンと手で合図を送ると、控えていた黒服が恭しくメモ用紙を受け取り、そのまま足早に研究室の奥へと去っていった。おそらく即座に試作ラインの検証に入るのだろう。
その黒服たちの姿が完全に見えなくなると――。
「ふぅーーーっ! 緊張したぁ! マジで良かったぁぁ〜〜!!」
レミ社長がそれまでのエレガントな姿勢を崩し、白衣をパタパタさせながらソファーへ深く腰掛けた。驚いたことに、その表情は一気に緩み、口調までどこか砕けたギャルっぽい雰囲気に激変したのだ。
「えっ……? 社長……?」
僕とサリーが呆気に取られていると、フェイ先生は「あはは、あいつらの前じゃ威厳を保たなきゃいけないから大変よねー」とケラケラ笑っている。
よくよく話を聞いてみると、レミ社長は暦のカウントでいうとほんの60日ほど前に、この大手『獅子丸食品』の社長に就任したばかりなのだという。
先代社長であるお父様が急逝してしまい、心の準備もないまま会社を継ぐことになったのだそうだ。
「ぶっちゃけさ〜、うちの代になって経営傾いたりしたらどうしようってマジで病みかけてて〜。プレッシャーやばくね? って時に、フェイからこの話が舞い込んできたわけ! だからマジで二つ返事で『今すぐ連れてきて!』って言っちゃった」
レミ社長はそう言って、親しみやすい笑顔で僕たちを見た。
「うち、昔から『しょうゆ』と『みりん』が主力商品でさ〜。でも最近、ぶっちゃけ他の会社からも同じようなクオリティのものがたくさん出てて超激戦区なわけ。なんか新しい看板商品出さなきゃマジでヤバーイ! ってなってたから、今回のヒロキくんのタレとポン酢はマジで渡りに船っていうか、ウチの救世主!」
百獣の王の獅子族でありながら、中身は等身大でちょっと親しみやすいギャル。そんなレミ社長のギャップに、僕の頭のパンダ耳はすっかり緊張が解け、パタパタと心地よく揺れていた。隣のサリーも「レミさん、面白い人だね」と、垂れていた猫耳を嬉しそうにピンと立てている。
「そういうことだから、寮長。これは獅子丸食品にとっても、我が特別寮の予算にとっても、win-winの超巨大ビジネスになるわよ」
ニヤリとあくどく微笑むフェイ先生の横で、レミ社長は「これからよろしくね、ヒロキくん、サリーちゃん!」と、今度はギャル全開の明るい笑顔で僕たちにウインクを送るのだった。
登場人物が増えました。
ミナカミ・レミ
女性。24歳。身長185cm
獣人世界の大手企業『獅子丸食品』代表取締役社長。
獅子族。金髪の肩にかかる程度のセミロング。
フェイと同じく優美林女子高校の専門課程から同大学を卒業した才媛。
大学卒業と同時に獅子丸食品に入社
先代社長でもあった父親の急逝により社長に就任。
新たな看板商品を模索していたところに
フェイからヒロキを紹介され『ポン酢』と『焼肉のたれ』の発売に踏み切る。
部下の前ではキリッとしたキャリアウーマンを演じているが
普段はギャル言葉で喋ることが多い。




