38.僕と、焼肉のタレと、女社長
ある日のこと、特別寮のリビングのドアが勢いよく開き、不敵な笑みを浮かべたフェイ先生が滑り込んできた。
「寮長、今から出かけるぞ! サリー、運転を頼む!」
「えっ? これからですか?」
「あ、はーい! すぐ準備するね!」
僕が頭のパンダ耳を戸惑いでピコピコと揺らす間もなく、サリーは車のキーを手に取った。
寮の駐車場には、以前ロンじいさんの工房へ向かうときにも使用した電気自動車が静かに佇んでいる。
何の説明もないままフェイ先生に連れ出され、サリーの安定した運転で車を走らせることしばらく。やがて見えてきたのは、街の中心部にそびえ立つ、ガラス張りの巨大なオフィスビルだった。
その正面入り口には、威風堂々とした文字で『獅子丸食品』と掲げられている。
この世界のスーパーでよく見かける大手食品メーカーの名前だ。
「フェイ先生、ここって一体……」
「いいから黙ってついてきなさい」
ヒールをコツコツと響かせるフェイ先生の後ろを、僕とサリーは不安げに首を傾げながら追った。受付に到着すると、フェイ先生は迷いのない口調で受付嬢に告げる。
「本日、社長と会う約束をしているアカザワだけど……」
受付の猫族の女性獣人は一瞬緊張した面持ちになり、すぐに内線で社長室へ確認を取った。
「確認が取れました。アカザワ様、こちらからどうぞ」
手渡された3人分のセキュリティパスをゲートにかざし、全面ガラス張りの専用エレベーターへと乗り込む。
グン、と心地よい加速と共にエレベーターが上昇を始めた。外の景色が高速で眼下へと流れていく様子を見つめながら、僕は得体の知れない不安に胸をバクバクと高鳴らせていた。
隣のサリーも、垂れ下がった猫耳を心細そうに小さく動かしている。やがてエレベーターが静かに停止し、チーンと電子音が響いてドアが開いた。
するとそこには、ビシッとした黒スーツに身を包み、鋭いサングラスをかけた男たちが直立不動で待ち構えていた。
その威圧感たるや、僕の元の世界の某漫画に出てくる『ざわざわした黒服』そのものだ。
「お待ちしておりました。こちらへ、社長がお待ちです」
重厚な廊下を案内され、通されたのはエグゼクティブ感溢れる広大な社長応接室だった。
パーテーションの向こうにあるふかふかの高級革張りソファーに腰掛け、待つこと約2分。
カチャリ、とドアが開いて入ってきたのは、一見すると猫族のようだが、圧倒的なオーラと体格を誇る獣人の女性だった。
よく見ると、耳の形や鋭い眼光が猫のそれとは違う――ライオンの獣人だ。女性だから立派なたてがみはないけれど、その佇まいはまさに百獣の王。なるほど、『獅子丸食品』のトップというわけか。
僕たちは反射的に立ち上がり、その女性と対峙した。
「フェイ、久しぶりね。大学の卒業式以来かしら?」
「レミ、急に連絡してすまなかったね」
「いいのよ。あなたの話を聞いて、私自身、ものすごく興味が湧いてきたから……」
レミと呼ばれた社長は、ふっと妖艶に口元を歪めると、今度は僕の方へと視線を移した。
その鋭い眼差しは、まるで極上の獲物を品定めする「狩人」のようで、僕は思わず背筋がゾクリとした。
「はじめまして。ヒロキくんに、こちらはサリーさんね。獅子丸食品社長の、ミナカミ・レミです。よろしく」
差し出されたのは、ゴールドの箔押しがされた高級感のある名刺。僕とサリーが恐る恐るそれを受け取ると、レミさんはすぐに長い尾を優雅に揺らしながら歩き出した。
「さて。挨拶はこれくらいにして、早速だけどこちらにいらして」
彼女の案内で部屋の奥の扉を抜けると、そこは応接室とは打って変わって、白一色で統一されたクリーンな「開発研究所」のような空間だった。
そして中央のステンレス製テーブルの上には、つい先日実用販売が始まったばかりの、あの量産型ホットプレートと小型IHクッキングヒーターが数台、すでにセッティングされていたのだ。
そこで、フェイ先生が不敵な笑みを浮かべ、自身のバッグからコンと2本の透明な小瓶を取り出し、テーブルに並べた。
中身は、琥珀色に澄んだ『特製ポン酢』、そして、あの数々の獣人たちを虜にしてきた、にんにくの鮮烈な香りが漂う『特製焼肉のタレ』だ。
「レミ、ロジックは単純よ」
フェイ先生は腕を組み、自信満々にその驚くべきビジネスプランを語り始めた。
「このホットプレートと小型IHが一般家庭に広く普及すれば、家の中で手軽に集まって料理をする『焼肉』や『鍋物』の需要が爆発的に高まるはず。そうなれば当然、それを引き立てる最高の調味料が必要になるわ。……そこで、この寮長が開発した最高傑作の『ポン酢』と『焼肉のタレ』を、あんたの会社のラインで大量生産して、世界中に売ってほしいのよ」
天才的な先見の明と、あくどいまでの商業ロジック。
フェイ先生のその言葉に、獅子丸食品の女社長、ミナカミ・レミはフッと肉食獣らしい獰猛で魅力的な笑顔を浮かべ、僕たちの目の前にある小瓶へと手を伸ばした。




