26.僕と、ヘッドギアと、身分証
騒乱のような賑やかな食事会が終わり、器がきれいに空になったところで、ロンじいさんがお茶をすすりながらフゥと一息ついた。
「さて、ヒロキ君。お腹も満たされたところで、本題に入ろうか。君に見せたいものがあるんだ。ついてきておくれ」
そう言って促され、建物のさらに奥へと案内される。重厚な扉の先、連れてこられたのは、広大なスペースに旋盤や3Dプリンター、見たこともない精密な工作機械がズラリと並んだ本格的な「工房」だった。
「……すごい、ここは一体?」
僕が目を丸くしていると、フェイ先生が横から口を開いた。
「じじいはね、おばあちゃんが亡くなったのをきっかけに校長を退任したの。それからはずっと、ここに引き籠もって趣味の機械工作に耽ってるわけ。まぁ、優美林の工学部のじじいたちの親玉みたいなものね」
なるほど、この圧倒的な機材の山は、引退した最高学府のトップが本気で趣味に没頭した結果というわけか。
ロンじいさんは棚の奥から、一つの小ぶりなヘルメットのようなものを取り出し、僕へと手渡してきた。マットな質感の、白と黒のシンプルなデザインだ。
「ヒロキ君、これを頭にかぶるんだ」
「えっ、これをですか……?」
また実験の類いじゃないだろうな、と一瞬身構えたけれど、ロンじいさんの真剣な、だけど温かい目を信じて、僕はそれを頭へとすっぽりとかぶってみた。
カチリ、と軽い作動音がして、頭部に吸い付くようにフィットする。
「わあ……! ヒロキがパンダになった……!?」
正面にいたサリーが、黒い猫耳をピンと立たせて驚愕の声を上げた。
慌てて工房の姿見の前に走って鏡を覗き込むと、そこには驚くべき光景が映っていた。
ヘルメットをかぶったはずなのに、鏡の中の僕の頭には、ふさふさとした本物そっくりの「パンダの耳」がちょこんと生えている。さらに、人間の耳があったはずの顔の横は、精巧な毛並みの人工皮膚によって完全に覆い隠されていた。はたから見ても、どこがヘルメットの継ぎ目なのか全く分からない。
体躯こそ人間のままだが、これではどう見ても「ものすごく小柄なパンダ」の少年にしか見えない。
「ロンさん……これ……」
「大熊猫族の生体データを元に、私が偽装用に開発したヘッドギアさ。生体電流を感知して、君の感情に合わせてその耳もちゃんとピコピコと動く仕組みになっている。それがあれば、もうそんな息苦しい赤いフードを深くかぶらなくても、この世界を自由に見歩くことができるよ」
ロンじいさんは優しく微笑むと、さらに作務衣の懐から、パスケースサイズのスマートなIDカードを差し出してきた。
「そして、これも受け取ってくれ」
プラスチックのカードには、僕の顔写真と、この世界の文字で何かが印字されている。
「それが、君の身分証だ。まあ、元校長の人脈を使ってちょいとばかりイリーガルな手段は用いたがね、公的機関のデータベースにも正式に登録されている有効なものだよ。これで君は、今日から名実ともにこの世界の住人だ。その気になれば、車の免許だって受けに行けるさ」
頭に手をやると、人工のパンダ耳が僕の驚きに連動して小さくピクンと動いた。
「身分証」がない。戸籍がない。
この世界に来てから、どこか心の奥底でずっと僕を縛り付けていた「自分は何者でもない」という圧倒的な孤独感と不安が、その一枚のカードによって、音を立てて崩れ去っていくのが分かった。
「ロンさん……フェイ先生……サリー……本当に、ありがとうございます……っ」
視界がじわじわと滲んでいく。
この世界で出会った獣人たちが、僕という一人の人間のために、ここまで命懸けで寄り添い、未来を切り開いてくれた。
僕は涙ぐみながら、胸の前にIDカードをぎゅっと抱きしめ、みんなに向かって何度も、何度も深く頭を下げるのだった。




