24.僕と、巨躯の老人と、遺伝の法則
ハイテクな給電道路を外れ、車は舗装の荒い山道へと入っていった。
それから揺られること約1時間。
視界が開けた山間に、ポツリと建つ異質な建造物が姿を現した。
コンクリート打ちっぱなしの、窓の少ない無機質な外観。大自然の緑の中に建つその建物は、どう見ても普通の住宅ではなく、何かの「研究所」のような怪しい佇まいを見せていた。
「フェイ先生……。僕、やっぱりここに監禁されて、何かの実験台にされるのですか?」
この世界の科学力を思い出し、僕は本気で身の危険を感じて尋ねた。
すると、助手席のフェイ先生はバックミラー越しに僕を見て、ニヤリと肉食獣のような不敵な笑みを浮かべた。
「なーに、殺されやしないわよ。……たぶんね」
「たぶんって言いました!? いま完全にたぶんって言いましたよね!?」
僕の不安を全力で煽って楽しむフェイ先生を乗せ、サリーは慣れた手つきで建物の前に車を滑り込ませて停車させた。
エンジンが止まり、静寂が戻った山の中に、プシューと重厚な扉が開く音が響く。
中から姿を現したのは、独特な渋みのある和装――作務衣を身に纏った、大柄な大熊猫族の男性だった。
「おじいちゃーーん!」
車を降りるやいなや、サリーが満面の笑みでその男性の胸へと飛び込んでいった。
「おお、サリーか! よく来たな、元気にしていたかい」
男性はサリーを軽々と受け止め、目尻を下げてその頭を大きな手で撫でた。
この人こそが、フェイ先生の祖父であり、優美林女子高の元校長である「ロン」さんだった。
それにしても、その体躯は圧倒的だ。
初対面のとき、188cmあるフェイ先生を見上げてその大きさに絶句した記憶があるけれど、目の前のロンじいさんはそれを遥かに凌駕している。軽く2mは超えているだろう。
作務衣の上からでも分かる強靭な骨格と肉体は、隠居している老人とは到底思えないほどの威厳を放っていた。
僕は抱き合う二人をフェイ先生の背中越しから恐る恐る窺っていた。
すると、ロンじいさんの鋭くも温かい視線が、フェイ先生の肩越しにいる僕へと向けられた。
「……おや、君が噂の『人間』君だね?」
ロンじいさんはサリーを優しく地面に下ろすと、地響きがしそうな足取りで僕の方へと歩み寄ってきた。見上げるほどの巨躯が目の前に迫り、思わず身体が強張る。
しかし、彼は僕を怯えさせるどころか、大きな、だけど丁寧に手入れされた分厚い右手を僕の前に差し出してきた。
「私はロン。驚かせてすまないね。ずっと君に会いたかったんだ」
「あ……はじめまして、ヒロキです」
僕は緊張で声を上ずらせながらも、恐る恐るその大きな手に応じた。
包み込まれた手からは、不思議と冷徹な研究者というよりも、すべてを包み込むような温厚な温もりが伝わってくる。
「ふむ、良い手だ。……さあ、立ち話もなんだから、中に入ってくれたまえ。歓迎するよ」
ロンじいさんが優しく微笑むと、サリーは嬉しそうに彼の太い腕を両手で抱きしめ、一緒に建物の中へと歩き出した。
2m超のパンダじいさんと黒猫少女が並んで歩く姿は、なんだか不思議な絵本の世界のようだ。
「ほら、寮長。怯えてないで入るわよ」
フェイ先生が僕の背中をポンと叩く。
「……実験、本当にないですよね?」
「さあね? じじいの気が変わらないうちに、ご機嫌をとっておくことね」
相変わらずの調子で笑うフェイ先生と並び、僕は意を決して、その研究所のような謎の建造物へと一歩足を踏み入れた。
一歩足を踏み入れてみると、そこは至って普通の落ち着いた洋風建築だった。
木目を基調とした温かみのあるインテリアで、戸棚やキッチンもピカピカに、かつ綺麗に整理整頓されている。
案内されるまま、僕たちは大きなダイニングテーブルへと着席した。
「ヒロキ君、改めてはじめまして。私がフェイとサリーの祖父、ロンです。御年90の老人ですが、よろしく頼むよ」
ロンじいさんは、にこやかにそう言って頭を下げた。
「きゅ、90歳……っ!?」
僕は思わず声を裏返してしまった。
確かに顎には綺麗に整えられた白いヒゲを蓄えているけれど、とてもじゃないけれどそんな年齢には見えない。
2メートルを超える引き締まった巨躯、ハリのある肌、そして何より現役の戦士のような力強い眼光。元の世界の感覚なら、せいぜい40代前半と言われても納得してしまうレベルだ。
「えっと……この世界のご老人は、皆さんこれほどお若く見えるのでしょうか?」
率直な疑問を口にすると、隣のフェイ先生が呆れたように鼻で笑った。
「んなわけないでしょ。このじじいが異常なだけよ。野生の化け物みたいなものだから、年齢の概念がバグってるの」
「こらこら、フェイ。初対面の青年を怖がらせるようなことを言うんじゃないよ」
ロンじいさんは困ったように笑っているけれど、フェイ先生の「バグってる」という表現もあながち誇張には見えない。
「……あ、それと、もう一つお聞きしてもいいですか? さっき、フェイ先生と『サリーの』お祖父さん、っておっしゃいましたよね?」
僕の言葉に、サリーが嬉しそうに黒い猫耳をピコピコと動かした。
ロンじいさんの説明によると、彼には亡くなった奥様との間に2人のお子さんがいたそうだ。そして、フェイ先生は長男のお子さん。サリーは長女のお子さんなのだという。
「つまり、フェイ先生とサリーは……従姉妹同士ってことですか?」
「うん、そうなるね! 私とフェイはお姉ちゃんと妹みたいなものなんだよ!」
サリーが自慢げに胸を張る。
だけど、パンダと猫が従姉妹というのは、元の世界の生物学からするとあまりにも不思議な感覚だ。
僕がキョトンとした顔で固まっているのを見て、フェイ先生がフッと口元を緩め、獣人同士の『遺伝』のメカニズムについて講義を始めてくれた。
この世界の獣人は、たとえ異なる種族間であっても、問題なく子供を授かることができる。
そして、生まれてくる子供の種族は、遺伝子的に
「必ず父親の属性(種族)を引き継ぐ」
という絶対的な法則があるらしい。
ロンじいさんの奥様は「羊族」だったそうだが、父親であるロンじいさんが大熊猫族だったため、生まれた長男も長女も共に「大熊猫族」として育った。
そして、長男の娘であるフェイ先生は当然、大熊猫族。
一方で、長女は「猫族」の男性と結婚したため、生まれたサリーは父親の種族を受け継いで「猫族」として産まれてきた……というわけだ。
「なるほど、父親の種族が100%遺伝するシステムなのか……」
と、そこで僕の脳裏に、ある一つの致命的な仮説が浮かび上がった。
もし、その法則がこの世界のすべての交配に適用されるのだとしたら――。
「……あ、察しが良いわね、寮長」
僕が顔を強張らせた瞬間、フェイ先生が僕の思考を完全に先回りして、面白がるようにニヤリと笑った。
「もし、あなたとこっちの世界の獣人の間で子供を授かることが生物学的に可能だった場合……生まれてくる子供は、父親であるあなたの属性、つまり『全員100%純粋な人間』になるってことよ」
ゾクッと、背筋に冷たいものが走った。
この世界において、絶滅したはずの「人間」が再び増える可能性がある。それだけで、世界のパワーバランスや倫理観を根底から揺るがす大スキャンダルだ。
「だからこそ、あなたの存在を大っぴらにできないのよね。もし国の上層部や変な研究機関にバレたら、それこそ本当に『実験台』にされて、人間量産計画の種馬にされるのがオチだわ。……ね、さっきの私の冗談、あながち笑えないでしょ?」
フェイ先生はそう言って僕の肩を小突いた。
全く笑えない。笑えないどころか、赤い頭巾の重要性がこれまでの100倍くらいに跳ね上がった気がする。
「安心するといい、ヒロキ君。私が君をここに呼んだのは、そんな俗世の企みから君を巻き込むためではない。むしろ逆さ」
ロンじいさんは、怯える僕の視線を真っ正面から受け止め、深く、包み込むような声で静かに語りかけてきた。




