22.僕と、鶏ガラスープと、骨せんべい
特別寮の厨房に戻ると、僕は早速大鍋を取り出して鶏ガラの下処理に取りかかった。
元の世界で実際にガラを引いた経験なんてない。完全に元の世界にいたときの記憶力と知識だけが頼りだ。
「(確か……何より大事なのは、汚れを完全に落とすことだったはず)」
雑味のないスープを作るために、水洗いだけでなく、まずは沸騰した湯にガラをくぐらせる「湯引き」を行った。
表面の色が変わったところで冷水に上げ、流水の中で骨の隙間に残った血合いを綺麗に指先でこそぎ落としていく。
下処理を終えた2羽分のガラをたっぷりの水に浸し、長ネギの青い部分としょうがを投入して火にかけた。
水が沸騰した瞬間に浮き上がってきた灰汁を徹底的にすくい取り、そこから一気に弱火へと火力を絞る。
「(よし、ここからは絶対に沸騰させない。ポコポコと表面が揺れる程度の適温をキープだ)」
グラグラ煮立ててしまうと、骨の髄の脂分と水分が混ざり合って白濁(乳化)してしまう。
僕が目指しているのは、澄み切った清湯スープだ。火加減に細心の注意を払いながら、じっくりと2時間煮出していく。
それにしても、ただ火の前でじっと待つだけの気の遠くなるような工程だ。
「(……あぁ、現代の『顆粒鶏ガラスープの素』が恋しすぎる)」
元の世界なら、顆粒をサラサラと鍋に振り入れるだけで、ものの数秒で完璧なベーススープが完成していた。
あの科学の結晶のような便利さに比べると、この世界でのスープ作りはあまりにもアナログで手間暇がかかる。
2時間後、タイマーの電子音が鳴り響いた。目の細かいザルで丁寧に中身を濾すと、鍋の中にはキラキラと輝く、どこまでも透明な黄金色のスープが出来上がっていた。
「よし、スープはこれでよし。あとは…」
ザルの上に残った、出汁を出し切った鶏ガラ。
普通の家庭なら捨てるだけのものだけど、僕はそれをハンマーで細かく叩き砕いた。
そして、それを高温の油でカラリと揚げる。パチパチと小気味いい音がして、香ばしい匂いが厨房を満たしていった。
油を切って、仕上げに塩とコショウを強めに振る。
これで、カリカリの『骨せんべい』の完成だ。
さらに、出来立ての黄金色スープを小鍋に少し分け、キャベツと溶き卵を投入。塩とコショウだけで優しく味を整えた。
「みんな、ちょっと早いけどおやつの時間ですよー!」
僕の声に、リビングで思い思いに過ごしていた4人が吸い寄せられるように集まってきた。
「わあ……何これ、すっごく優しい匂いがする!」
サリーが黒い猫耳をピンと立たせ、配られたスープの器を両手で包み込む。
一口すすると、全員の顔が同時にふにゃりと緩んだ。
「んあぁ……体の中にじんわり染み込んでくる……美味しいぃ……」
コニーが金の尻尾をゆったりと揺らし、ピピも黒い丸メガネの奥の目を細めて「一から丁寧に引いた出汁は、トゲがなくて本当に心がほっこりしますね」と息を吐く。
そんな中、アオイの視線はスープの隣に置かれた皿に釘付けだった。
「……これ、さっきの、骨……?」
「はい。アオイさんがさっき食べたいって言ってたから、ハンマーで砕いてしっかり素揚げしてみました。『骨せんべい』です。食べてみてください」
アオイが大きな手でそっと一切れを口に運び、奥歯で小気味よく「バリバリッ!」と音を立てた。
その瞬間、彼女のグレーのクマ耳がこれ以上ないくらい激しくパタパタと小刻みに揺れ動いた。
「っ……! カリカリして……すっごく香ばしくて……美味しい……っ!!」
アオイの顔がパァッと輝く。そして次の瞬間、彼女は「ヒロキくん……!」と、192cmの大きな身体を僕に隙間なく隙間なく押し付けてきた。
そのまま僕の胸や肩に頭を擦りつけるようにして、クネクネと全身で喜びを表現し始める。
「わ、ちょっと、アオイさん……!?」
普段は極度の人見知りで、みんなの後ろに隠れているような大人しい彼女なのに、今の密着度は完全にキャパシティを超えている。
大型犬、いや、本物の大きなクマに全身で甘えられているようなものすごい質量と、女の子の柔らかい感触に、僕は一気に顔が熱くなった。
「ずるいアオイ! 私にもその骨頂戴!……って硬っ! 痛っ! 猫族の歯じゃ無理ぃ!」
「あはは、アオイちゃん、完全にヒロキに懐いちゃったねー。一気に距離感ゼロじゃん!」
サリーが歯を押さえて悶絶し、コニーが金の三つ編みを揺らして爆笑している。ピピは呆れたように丸メガネの位置を直していた。
どうやらアオイは、一度心を許して馴染んでしまうと、一気に距離感がなくなって甘えん坊になるタイプだったらしい。
「アオイさん、まだ骨せんべいはたくさんありますから、ちょっと落ち着いてください……」
顔を真っ赤にしながら僕が宥めると、アオイは僕の服の袖をぎゅっと握ったまま、はにかむような大満足の笑顔を見せた。
そこへ、廊下からドタドタと勢いよく足音が響いてきたかと思うと、リビングのドアが勢いよく開いた。
「ちょっと! なによこの信じられないくらい香ばしい匂いは! 私を置いておやつパーティーなんていい度胸じゃない!」
現れたのは、よれよれのジャージ姿を揺らしたフェイ先生だった。
鼻をフンスフンスと鳴らしながらテーブルへと突進してくると、アオイの前に置かれた皿を鋭く見つける。
「あら、これ鶏ガラじゃない。寮長、まさか骨からスープを引いたの? ……ってことは、こっちはその残骸ね!」
「あ、フェイ先生。アオイさんのために素揚げして骨せんべいにしたんです。でも、結構硬いから——」
僕の制止の言葉が終わるより早く、フェイ先生は獰猛な肉食獣のような手つきで骨せんべいをひょいとつまみ、躊躇なく口へと放り込んだ。
直後、厨房の中に「バキッ! ボリボリボリッ!!」という、アオイのときよりもさらに凄まじい破壊音が鳴り響いた。
「……っ!! なにこれ、最高にジャンクでめちゃくちゃ美味しいじゃない!!」
フェイ先生は大きな白黒の耳を激しく前後に揺らし、狂ったようにバリバリと骨を噛み砕いていく。
さすがは竹をも容易く噛み割る大熊猫族の顎だ。アオイに負けず劣らず、圧倒的なパワーで骨の髄まで文字通り粉砕していた。
「濃いめの塩コショウが、カラッと揚がった骨の香ばしさと完璧にマッチしてるわ! じじいたちを締め上げた後の身体に、この塩分とカルシウムが染み渡るーー!」
「フェイ先生、それ私の……っ」
アオイが僕の袖を握ったまま、グレーのクマ耳をペタンと寝かせてフェイ先生をちょっと睨む。
「いいじゃないアオイ、まだいっぱいあるんだから! これに合う飲み物は…炭酸水ね。寮長、とりあえず一丁持ってきて!」
すっかり居酒屋のおじさんのようなノリで骨せんべいを貪るフェイ先生を見て、サリーとコニーは完全に引き気味だ。
ピピも黒い丸メガネの位置をキリッと直しながら、「いくら顎が強いからといって、品性を疑います」と小さくため息をついていた。
アオイは自分のために作ってもらった骨せんべいを横取りされて少し不満そうだったけれど、
僕が「アオイさんの分はちゃんと残してありますからね」と内緒で多めに取り分けておいた皿を見せると、すぐにまたご機嫌になって僕の脇腹に頭をクネクネと押し付けてきた。
「もう、フェイ先生もアオイさんも、骨はよく噛んで食べてくださいね。顎が強くても喉に詰まったら大変ですから」
僕が苦笑しながら注意すると、フェイ先生は骨をボリボリと鳴らしながら「分かってるわよー」と豪快に笑った。




