20.僕と、焼肉丼と、アナログな世界
にぎやかなデパートのレストラン街。
香ばしいお肉の匂いに誘われるようにして、僕たちは目的の店へとたどり着いた。
そこは『焼肉丼』をメインに扱う専門店だった。
メニューのサンプルを見ると、タレを絡めてツヤツヤと輝く牛ロース肉が、玉ねぎやピーマンと一緒に炒められ、ご飯の上に文字通り山盛りになっている。
実物を見るだけでも、一気に胃袋を刺激されるようなビジュアルだ。
「ここ、私とアオイの行きつけだったんだよねー! 学校の帰りにしょっちゅう寄ってたの」
コニーが金の三つ編みを弾ませながら教えてくれた。けれど、僕が特別寮の寮長になってからは、一度も足を運んでいなかったらしい。
店に入り、それぞれ注文を決める。
僕とピピは「普通盛り」。
コニーは「大盛り」を選び、
大食いのサリーとアオイは迷わず最高のボリュームである「特盛」をオーダーした。
しばらくして、目の前に圧倒的な存在感の焼肉丼が運ばれてきた。
さっそく箸をつけてみる。味付けは醤油と砂糖をベースにした、王道の甘辛いタレだ。
濃いめの味が牛ロースのジューシーな脂や、シャキシャキした野菜の甘みによく合っていて、
おびただしい量のご飯を強引に引き込んでいく。
普通に考えれば、十分に美味しい。
しかし……。
食べている彼女たちの反応が、どこか微妙だった。
いつもなら、一口食べた瞬間にサリーの黒い猫耳が狂ったようにピコピコ動き、
コニーの金の尻尾がビシバシと床を叩き、
アオイがグレーのクマ耳を寝かせてはにかむはずだ。なのに彼女たちは、どこか神妙な顔をして、黙々と箸を動かしている。
僕はその理由を、内心ですでに察していた。
この世界の食材は、どれもこれも命の味が恐ろしいほど濃い。
だからこそ、ただの醤油と砂糖を合わせただけのシンプルなタレでは、素材の持つ圧倒的なパンチ力に負けてしまい、
どこか平坦で物足りない味に感じられてしまうのだ。
とはいえ、そこは食いしん坊な彼女たち。出された料理は一粒残さず全員がきれいに完食し、僕たちは店を後にした。
デパートの賑やかな廊下に出たところで、満足げに息を吐きつつも、どこか不完全燃焼そうな顔をしていたサリーが、ニヤリと笑って僕たちを振り返った。
「……ねえ。みんな、言いたいことは一緒みたいね。せーので言おうか。せーの」
パッと全員の視線が交差する。
「「「「タレが違う」」」」
綺麗に揃った4人の声が響き渡った。
「そうなの! 美味しいんだけどね!? 美味しいんだけど、なんかこう……ガツンとくる深みが足りないっていうか!」
サリーがもどかしそうに黒い手をぶんぶんと振る。
「ヒロキの作った、あのおろしリンゴとニンニクが効いたタレの味が頭から離れなくてさー! 贅沢になっちゃったなぁ、私たちの舌!」
コニーが困ったように笑いながら、金の尻尾をパタパタと揺らした。
「……うん。ヒロキくんのタレの方が……お肉が、もっと美味しくなる……」
アオイもグレーのクマ耳を少し寂しそうに寝かせながら、僕の袖を小さく引っ張ってくる。
「贅沢病ですね。ですが認めざるを得ません。あのお肉の旨味を極限まで引き出す複雑な調合を一度知ってしまうと、市販のタレでは物足りなさを覚えてしまいます」
ピピも真面目な顔で黒い丸メガネの位置を直し、深くため息をついた。
どうやら毎日僕の料理を食べ続けた結果、
彼女たちの身体は僕の作ったタレじゃないと満足できない仕様に完全に書き換えられてしまっていたらしい。
「あはは……。じゃあ、今日の夜ご飯は、僕のタレをベースにして何か作りましょうか。市場調査としては、最高の収穫になりましたよ」
僕が苦笑しながらそう言うと、4人の耳が一斉にピンと立ち、
リビングにいるときのような明るい笑顔が戻った。
僕は嬉しそうに今夜のメニューを相談し始める彼女たちの後ろ姿を見ながら、
頭の中で次なる特製ダレの配合を楽しく計算するのだった。
そして、デパートのレストラン街をさらに歩き回ってみて、
この世界の食の現状がより詳しく見えてきた。
並んでいる店の多くは、丼ものや定食を扱う店だ。
そんな中、目を引いたのはうどんやそばを出す麺類の専門店だった。
メニューの看板を眺めていると、どうやら各店舗でそれぞれ「めんつゆ」を自家製しているらしい。
かつお節や昆布から出汁を取るという基本の技術は、数億年が経過したこの世界でもしっかりと受け継がれ、今も料理人たちの手で行われているのだ。
さらに別の店を覗くと、洋食のデミグラスソースを扱っている店も見かけた。
牛や鶏の骨をじっくり煮込んで出汁を取るという技法そのものは、この世界でも決して失われてはいない。
ふんわりとした溶き卵を浮かべた「鶏ガラスープ」は、人気の定番メニューになっているようだった。
「(出汁やスープの文化は、ちゃんとベースとして存在してるんだな……)」
ただ、元の世界と決定的に違う部分がある。
それは、スーパーに行っても『顆粒だしの素』や『出汁パック』、『缶詰のブイヨン』といった、
現代の科学と流通が生んだ便利なインスタント製品が一切存在しないことだ。
どんなに有名で人気のある店であっても、料理を作るためには必ずかつお節を削り、昆布を浸し、鶏の骨を何時間も煮込むという、
一からの泥臭い手作業を毎日行わなければならない。この世界の歪な技術発展は、
食のインフラにおいては「超アナログな職人の世界」をそのまま残していた。
「ヒロキ、あっちの卵スープのお店もすっごい良い匂いするよ! 寄り道していく?」
サリーが黒い猫耳をソワソワと動かしながら、スープをすする他のお客さんを羨ましそうに見つめている。コニーも金の三つ編みを揺らして興味津々だ。
「いいえ、今日はもう帰りましょう。お店のスープも美味しそうですけど、家に戻ったら、僕がもっと驚くようなスープを1から作ってみせますから」
僕がそう言うと、アオイがグレーのクマ耳をピコピコと嬉しそうに動かし、ピピも黒い丸メガネの奥の目を輝かせた。
この世界にある「出汁の技術」と、僕の持つ「元の世界のレシピ」。そして、何より濃厚なここの食材たち。
これらを自分の手でゼロから組み合わせたら、一体どれほど美味いものができるだろうか。
現代の便利な顆粒だしがないなら、
自分の腕と時間で勝負するまでだ。
僕は4人の賑やかな足音に挟まれながら、
早く自分の厨房に立ちたくて、
特別寮への帰り道を少しだけ急ぐのだった。




