118.僕と、フリーズドライのサンプルと、サスペンス
大象食品の技術力と、あの人の行動力は本当に規格外だ。
フリーズドライの製法自体は、理屈を理解してしまえば既存のラインを使ってすぐにでも量産体制に入れるとのことだった。とはいえ、あの『三者会談』からわずか6日でサンプルを作り上げてしまうなんて。
大象食品のアキラ専務は、朝早くからその持ち前のフットワークの軽さで、自ら特別寮までサンプルを届けてくれた。
今回販売に向けて動いているスープは、味のベースこそ僕のあの鶏ガラスープ(清湯)なのだが、具材は家庭に馴染みやすい『たまご』と『ベーコンとほうれん草』の2種類。
アキラ専務が見守る中、四角い固形のサンプルをマグカップにぽんと入れ、お湯を注ぐ。
じゅわっと小気味よい音を立ててブロックが解け、スプーンで軽くかき混ぜると、あっという間に黄金色のスープが出来上がった。
ひと口、口に含む。
「……うん! 完璧です。鶏の旨味も、卵のふんわり感も、ほうれん草のシャキッとした食感もそのまま残ってます!」
味も風味も申し分なし。アキラ専務と固い握手を交わし、このままのクオリティで製品版として売り出すことをその場で決定した。
アキラ専務は「では、すぐに本生産のラインを確保します」と爽やかに去っていったのだけれど、手元にはそれぞれ200食分、計400食分という大量のサンプルが残された。
これだけの量、大食い揃いの特別寮なら放っておいても充分消化はできそうだけど、せっかくの出来立てだ。誰かにお裾分けしようかな……。
そう考えていたところに、リビングの階段からトントンと足音がして、アオイさんが降りてきた。
今日の他の寮生はみんな学校だけど、アオイさんは珍しく仕事も学校もオフらしい。
「あ、アオイさん。ちょうどいいところに!これ、試作品なんですけど飲んでみてください」
早速、出来立てのフリーズドライスープを試飲してもらうと、アオイさんは「お湯を注いだだけなのに、ヒロキくんのスープの味がします……!」と大喜びで太鼓判を押してくれた。
美味しいスープを飲んでアオイさんの機嫌も良さそうだし、僕はふと思いついて彼女に尋ねてみた。
「ねえ、アオイさん。このスープ、ストシーのみんなにもお裾分けしてあげたいんだけど、彼女たちの住む寮に届けることってできるかな?」
試写会のとき、ボーカルのランちゃんが僕のスープをすごく気に入ってくれていたのを思い出したからだ。これならお湯さえあれば楽屋でも手軽に飲めるし、喜んでくれるんじゃないかと思って。
ところが、その言葉を聞いた瞬間。
アオイさんはスープの入ったマグカップを持つ手をフルフルと震わせながら、ゆっくりと僕の方を振り返った。
「……ヒロキくん。今度は、年下にまで手を出すつもりなのですね……おろろろ……」
「えっ!? 手を出すって何言ってるの、アオイさん!?」
突如始まったあらぬ邪推。しかも、アオイさんのその冷ややかな目の据わり方は、昨日スクリーンで観たばかりの『白百合学園の事件簿』の最凶殺人犯のそれに完全に切り替わっていた。
192cmの熊族の威圧感でその目をされるのは、心臓に悪すぎる。
「手を出すわけないでしょう! 試写会のときにランちゃんがスープ気に入ってたから、これなら気軽に飲めるし、あげたら喜ぶかなって思っただけで――」
「ああ……!! もう『ちゃん付け』で呼ぶ間柄なのね……。ヒロキくんってば、相変わらずハレンチな……。ああ…羊族のあの子、首細かったわ……あの時みたいに腕を回してキュッと……」
「物騒なこと言わないで!?」
劇中で10人を手にかけた女の顔で呟くアオイさんをなだめるのは、本当に一苦労だった。
「冗談ですよぅ」と言いながら浮かべた彼女の顔はいつもの笑顔に戻っていたけれど、最後まで目が一切笑っていなかったのを、僕は見逃さなかった。
その後、サンプルはアオイさんの事務所のルートを通じて、無事にストシーのメンバーたちの手元へと届けられた。
後から聞いた話だと、ランちゃんをはじめとするメンバー全員が「お湯を入れただけなのに、あのうどんのスープの味がする!」と、飛び上がって大喜びしてくれたらしい。
アオイさんのあの凍りつくようなジト目を耐え抜いた甲斐は、一応あったみたいだ。




