115.タケダと、1枚のレシピと、大きな借り
「……ふぅ」
タケダの事務所のデスク。
ソファに深く背たれかかり、手元にある数枚の紙を見つめて、思わずフッと笑みを漏らした。
正直なところ、最初にこのドラマ『白百合学園の事件簿』の主役の話を受けたときは、「後輩たちのお守りはちょっと面倒だな」なんて思っていたんだ。
いくら主役級の扱いとはいえ、台本を開けば最終的には崖から突き落とされて海にドボン、そのまま死体役になる役だぞ?
芸能界の可愛い後輩たちのためじゃなきゃ、わざわざ受ける理由なんてどこにもなかったさ。
しかし、あの出演者のサカイ・アオイくんが撮影現場に連れてきた『差し入れの中華弁当』によって、状況は一変した。
最初はただのよくあるロケ弁の類だと思っていたのに、フタを開けた瞬間に目に飛び込んできたそれは、いい意味で僕の予想を遥かに超えていた。
香ばしいごま油とニンニクの匂い、そして黄金色のチャーハン。
ひと口食べた瞬間、驚いたの何のって。まるで僕のためだけに作られたかのような完璧な味付け。これまで仕事柄、数々の美食を口にしてきたはずのこの僕が、ただただ言葉を失って唸るしかなかった。
しかも、その弁当を作ったのが、巷で話題沸騰中の『ししし屋の冷凍餃子』を作った本人だというじゃないか。
挨拶に来た料理人を見てみれば、ただの小柄な大熊猫族の少年。
だけど、僕の直感がその瞬間に激しく告げていた。
――この少年とは、ここで関係を終わらせてはいけない、とね。
だから僕は彼の大ファンであることを熱烈に伝え、単純に「もっとニンニクががっつり効いた、魔改造バージョンがあれば最高なんだけどなあ」という僕個人の願望をぶつけてみた。
「こんな弁当が毎日食べられるなら死体役でも喜んでやるよ」と、このドラマの結末を皮肉ったお洒落なジョークのつもりだったけれど、どうやらあのウブな少年には上手く伝わらなかったらしい。
それもまた初々しくて悪くなかったがね。
何より印象的だったのは、僕の無茶振りに戸惑いながらも、自分の仕事に絶対の自信を持った、あの少年のまっすぐで強い目の光だ。
そして今日の完成試写会。彼は僕の期待を120点以上のクオリティで打ち返してきた。
新兵器だという魔法の保温箱から漂う、出来立ての熱々の料理たち。
何より、僕の要望通りに作ってくれた特製の『にんにく増し増し餃子』……! あれは本当に素晴らしかった。フタを開けた瞬間に現場の理性が吹き飛ぶのが分かったよ。
これはぜひとも商品化してほしいな。さっきからビュッフェ会場の端で、僕の方をチカチカとハートの目で見てくる派手なギャルが、噂に聞く獅子丸食品の若社長らしい。あの人に直接「タケダ印の魔改造ニンニク餃子を出してよ」と頼めば、速攻でカントウ中のスーパーに並べてくれるだろうか。
何にしても、こんな極上の味を知ってしまったんだ。明日からの食事に絶対に『ヒロキ・ロス』が来るに決まっている。自分で作れるかは怪しいけれど、マネージャーにでも作らせるために、何か僕でもできそうなメニューのレシピでも個人的にもらっておこうかな……。
そんなことを考えていた、試写会から数日後のことだ。
僕の所属事務所のデスクに、あの日のケータリングの精算書が回ってきた……はずだった。
「……おいおい」
マネージャーが困惑した顔で僕に手渡したのは、請求書ではなかった。
代わりに届いたのは、あの日の材料費の請求は一切受け取らないという旨の手紙。そして、丁寧に綺麗な文字で書き連ねられた、あの極上の『エビチリ』と『麻婆豆腐』の特製レシピ帖だったのだ。
手元の上質なレシピの紙を見つめながら、僕は小さく苦笑した。
「参ったな……。ヒロキくん、これは僕に、とんでもなく大きな借りを背負わせたつもりかな?」
材料費を全額僕が持つと言ったのに、それを綺麗に断り、代わりに欲しがっていたレシピを極上の形でプレゼントしてくるなんて。
小柄な大熊猫族の皮を被っているけれど、あいつ、中身はとんでもなく強烈な「男気」を持った一流の男じゃないか。
「いいだろう」
僕はレシピ帖を丁寧にメモ帳に収めると、極上のワインを味わうように目を細めた。
「これは、今後の僕たちの縁を繋いだ証だ。その大きな借り、喜んで背負ってやろうじゃないの」
崖から突き落とされたタケダ先生の明日は冷たい海の中だったけれど、現実のタケダ・ヒロアキの未来は、あのちびっこ寮長のおかげで、最高に美味しくて面白いものになりそうだ。




