112.僕と、ミーハー社長と、伝説の幕開け
ビュッフェウォーマーの中に並べた料理たちは、どれも湯気のヴェールを纏って、今か今かと主役の座を待っている。モニターの対面に陣取ったこの特設会場は、自分でも言うのもなんだけど、スタジオの一角とは思えないほど豪華で、かつ食欲をそそる良い香りに満ち溢れていた。
そんな中、タケダさんが颯爽と挨拶に来てくれた。僕と目が合うと、あの爽やかな笑顔を浮かべて肩を叩いてくれる。
「ヒロキくん、すごい気合いを感じるよ! ビュッフェのセッティングだけでも圧巻だ。もしかしたら僕らは今日、伝説の1ページを目の当たりにするのかもしれないね」
「伝説だなんて大げさですよ、タケダさん。でも……ありがとうございます。気合いは十分、これ以上ないくらい詰め込みました」
僕は、ちょうどウォーマーの中で完璧な熱を保っていた『エビチリ』と、優しい出汁が染み込んだ『豆腐のうま煮』の小皿をタケダさんに手渡した。
「まずはこれ、試食してみませんか? 今日用意したメニューの中でも、自信のある組み合わせです」
タケダさんは迷うことなく箸をとり、プリプリに育ったエビを頬張った。そのあと、対照的な優しさを持つ豆腐のうま煮を口に運ぶ。
彼は一瞬だけ目を見開くと、満足げに喉を鳴らした。
「……うん。文句なしに最高だ。辛さと旨味、そして癒やし。この構成、ドラマのサスペンスと感動のバランスと同じくらい計算し尽くされてるよ。……よし、今日の試写会、これで勝ち確だね!」
タケダさんはそう言って、少年のような無邪気さと、大人としての余裕が混ざった笑顔でガッチリと握手を交わしてくれた。
獣人としての誠実さが伝わってくる、力強くも温かい握手だった。
そんな光景を横目で見ながら、僕はふと、会場の入り口で黒服たちと陣取っているレミ社長の方に視線を移した。
「……っ!?」
そこには、ビジネスの交渉相手を探す食の業界最大手のトップの姿はなかった。
あるのは、タケダさんが去った後の会場に続々と入ってくる他の若手共演者たちを、まるで品定めでもするかのように、しかし瞳をハートにして見つめる「乙女モード全開」のレミ社長の姿だけだった。
「あら、あの若手俳優さん、身長180オーバーね……いいわぁ……」
「おっ、あの子は中堅ドッグ系……渋くていいお声だこと……」
彼女は手元のメモに、食材の卸先情報じゃなくて、明らかに「俳優たちの個人的なチェックリスト」を書き込んでいる。
(……いやいや、レミ社長。あなたは食品業界最大手のトップですよ! 会社の威信をかけて、この食の最前線であるケータリングに来てるんじゃないんですか……!?)
僕は思わず心の中でツッコミを入れた。
彼女のそのミーハーぶりは、もはや清々しいほどに全開だ。仕事の合間にこれだけの強力な布陣を敷いてくれた恩は感謝しているけれど、明日の業界紙に『レミ社長、撮影現場で若手俳優狩り?』なんて見出しが載らないことを祈るばかりだ。
まあ、タケダさん自身が満足してくれているなら、とりあえず今日は良しとしよう。
共演者たちが次々とビュッフェに集まり始め、驚きと歓喜の声が会場を包み込み始める。
さあ、僕の出番だ。最高の中華を、最高の人たちに届ける。そのために、この場に立っているんだから。
「さあ、皆さん! 準備万端です。冷めないうちにどんどん食べてくださいね!」
僕の声と共に、華やかな試写会の幕が、美味しい香りと共に切って落とされた。




